第16話

「着いたのか……?」


 前回は座標からかなりズレた位置に出てしまったけれど、今回はどうやら設定した通りラボの前だった。


「あちゃー、こりゃ完全にオーバーヒートしてるな」


 ボンネットから噴き上がる煙に苦笑いを浮かべながら、俺はラボに目を向けた。ラボとかっこよく言ってはいるけれど、要は古ぼけた鉄筋アパート。俺の自宅だ。


 大家の爺さんお手製の車庫にプリウスを止め直してから、俺ははやる胸を押さえながらアパートへと足を向けた。


「本日の日付は……っと」


 俺は自宅のWi-Fiに繋がったスマホで今日の日付を検索する。


 2023年6月15日。

 どうやら今回は数日程度のズレで済んだようだ。


「俺が過去に行ってから4日後、か」


 未来が変わっていなければ、ラボには血まみれの明護がいるということになる。



「……ッ」


 緊張するなというほうが無理だった。

 部屋の前で立ち止まった俺は、一度深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 この扉の向こうに笑顔の明護がいることだけを願う。


 万が一の時は何度だって時間を遡ってやる。

 そう覚悟を決め、俺はドアノブに手を伸ばした。


 ――ガチャン。


「あっ、先輩! やっと還って来たんっすか!」

「――――えっ!?」


 だ、誰だ……こいつ!?


 扉を開けると部屋の奥、パソコンの前に座る金髪の男がこちらに振り返る。目が合うと慌てて煙草を消し、人懐っこい笑顔で歩み寄ってくる。


「どうしたんすか?  そんなところでアホ面を晒して。自分ちなんですから遠慮せず入ってくださいよ」


 見るからに俺とは縁もゆかりも無さそうな海胆頭は、家の中だというのに革ジャンを羽織り、腰にはじゃらじゃらと鎖を付けている。

 そいつはどこからどう見てもパンク野郎だった。


「――で、ちゃんと過去には行けたんっすよね?」

「……過去?」


 なんでこいつがそれを知っているんだ?


「え? まさか行けなかったんっすか? なら先輩は4日間もどこをほっつき歩いていたんっすか!」


 肩を落とし落胆した男が、部屋の奥へと戻っていく。


「いい加減、部屋に入ったらどうっすか?」

「あ、ああ……」


 狭い廊下――台所を通り8畳程の部屋に足を踏み入れる。確かめるように部屋を見渡すが、そこは間違いなく俺の部屋だった。


「ん……これは!」


 俺は冷蔵庫の上に置かれた写真立てを手に取った。

 そこには俺と、大人になった十六夜が並んで映っていた。


「ああ、去年のスノボ旅行の時のやつっすよね? オレも映ってたのに切り取るとか酷くないっすか?」

「去年のスノボ……?」


 なんのことだ?

 というか……、


「おい、十六夜は生きてんのかッ!」


 俺は思わず男に掴みかかっていた。


「ちょっ、何すんっすか!? つーか何をわけのわかんないこと言ってるんっすか! なんっすか? 十六夜先輩は生きてんのかって?」

「俺は、十六夜と付き合っているのか?」

「はぁ? 十六夜先輩とは小学生時代からずっと付き合ってるって、酔っ払うたびに自慢してるのは先輩じゃないっすか。どっかで頭でも打ったんじゃないっすか?」


 ……落ち着け。

 俺は口に手を当て、今にも叫びだしそうな気持ちを必死に押さえた。

 胃がムカつき、今にも吐き出してしまいそうだったが、あいにく胃の中は空っぽだった。

 おぼつかない足取りでベッドに腰掛けた俺は、頭を抱きかかえながら思考する。


 これは間違いなくタイムパラドックスがもたらした結果だ。

 それは俺が望んだことでもある。

 男の話では俺と十六夜はあれからずっと付き合っているらしい。つまり、この世界の十六夜は生きているということ。


 それはいい。

 というか、そうでなくちゃ困る。

 俺はわざわざタイムマシンを作り、9年前に行って田中を殺したのだ。これで何も変わっていなければそちらのほうが問題だ。


 しかし、問題は明護の姿がどこにも見当たらないということ。

 ベッド脇に置いてある時計で時刻を確認する。時刻は14時。

 この時間、普段の明護なら大学に行っているか、ラボに顔を出しているはず。


 まだ明護が死んだと決めつけるには早すぎる。

 にしても、こいつは誰だ……?


 俺の知り合いにこんな金髪の男はいない。

 そもそも高校でも大学でも変人扱いされていた俺は極端に知り合いが少ない。

 ましてや俺のことを先輩と慕ってくれる後輩など一人もいなかった。


「今から少しおかしなことを聞くかもしれないが、いいか?」

「別に構わないっすよ。つーか先輩がおかしくなかったことなんてないじゃないっすか」

「そ、そうか」


 ということは、一応この世界でも俺は変人として名を馳せているらしい。


「で、なんすか?」


 俺は男の顔を見て逡巡した後、


「お前……誰?」


 素直に尋ねることにした。


「は?」


 怪訝な顔の男は怒ってしまったのだろうか、眉根を吊り上げた。


「その冗談マジでつまんないっすよ」


 不愉快だと、男の声音が言っていた。

 けれど、状況がわからない以上は質問を繰り返すしかない。


「なんなんっすか一体! これもなんかの実験ってやつっすか?」

「――違うッ!」


 思わず大きな声を出してしまった。

 男は驚いたのか、それとも呆れたのか、PCの前に座ると煙草を口に咥える。

 セブンスターの香りだ。


「その、怒鳴って悪かった」

「別にいいっすけど。吸わないんっすか?」


 男はセブンスターの箱を俺に突き出していた。一本くれるようだ。

 セブンスターはタールがきつくて普段は吸わないのだが、ここは有り難く頂戴する。


 肺が煙で満たされると、若干冷静になれた気がする。苛立ちや怒りといったものを、煙が包み込んで紫煙と共に外に吐き出してくれているような気がする。


千寓寺龍せんぐうじりゅうっす」

「え」

「オレの名前っすよ。ちなみに先輩の名前は外道戦樹っす」

「……それはさすがにわかる」

「そりゃなによりっすね」


 変な空気になってしまった。

 千寓寺は今も訝しむようにこちらを見ている。


「千寓寺は信じられないかもしれないが、その……俺は今日、というか今はじめてお前に会ったんだよ」

「……なんすかそれ? もうラボには来るなって遠回しに言ってるんっすか!」

「いや、違う違う。勘違いするな。ここに来たいなら今まで通り来てくれても構わない」

「……そうっすか」


 困ったな。

 この状況をどう説明すればいいのかがわからない。


「さっき過去から戻って来たのかって聞いたよな?」

「聞いたっすよ。過去に行って発生源を調べて、マッドでサイエンティストな先輩が明護先輩をギャフンと言わせるんっすよね」

「……いま、なんつった?」


 聞き間違いなんかじゃない。

 千寓寺はいま確かに、明護先輩と口にした。


「マッドでサイエンティストな先輩……?」

「そのあとだッ!」

「明護先輩をギャフンと言わせる……?」


 明護先輩……ということは、明護は生きているのか。


「彼女は、明護は生きているんだな!」

「……そりゃ生きてるに決まってるっしょ」


 俺は今すぐに明護に会いたかった。

 会って直接謝りたい。

 たとえこの世界の明護が田中に殺されたことを覚えていなかったとしても、彼女は俺の身勝手に付き合って死んだのだ。


「明護は今どこにいる!」

「え、そりゃ大学のラボじゃないっすか?」


 俺はベッドから立ち上がると古いスマホをベッドに投げ捨て、この部屋に置いて行ったはずのスマホを探した。


「俺のスマホ知らないか?」

「それならここにあるっすよ?」


 千寓寺からスマホを受け取り、すぐに明護に電話をかけようと電話帳を開いたのだが、


「……あれ」


 ない。

 どこにも明護の電話番号がないのだ。

 ならばとLINEを開いてみたが、数少ないLINEの登録者に明護の名前はなかった。


「お前俺のスマホ触ったか?」

「えっ? 触ってないっすよ。それにパスワード知らないし」


 それもそうだな。


「どうかしたんっすか?」

「明護の番号もLINEも全部消えてんだよ」

「……消えてるもなにも、はじめから知らないだけなんじゃないっすか?」

「そんなわけないだろ」

「そうなんっすか? まあ……先輩がそういうならそうなんっすかね」


 俺と明護は保育園からずっと一緒だったんだ。俺の隣にはいつも明護がいたし、明護の隣にはいつも俺がいた。

 たとえ世界線が変わっていようと、俺たちが幼馴染だったことまで変わるわけない。


「ちょっと大学行ってくる!」

「――ちょっ、先輩ッ!」


 俺は明護に会うためラボを飛び出した。

 大学までは車で向かいたかったが、生憎プリウスは熱で寝込んでいる。


「しゃあない、電車で行くか」


 大学までは二駅、電車に乗ればあっという間だ。通りに出て20分も歩けば駅に着く。


「先輩! そっちはダメっすよ!」


 バルコニーから顔を出した千寓寺がよくわからないことを叫んでいる。


「ダメって何が?」

「そっちは危険区域っすよ!」

「危険区域……?」


 危険区域ってなんだよ。

 俺の目元には相手の言葉を理解できないといった表情が浮かんでいたことだろう。それはまるで曇り空のような、重い影を投げかけるようなものだった。


「瘴気が発生しているの、忘れたわけじゃないっすよね?」


 ……瘴気。

 なんだ、それ……?

 聞きなれない言葉に、俺の思考はしばらく停滞していた。言葉の羅列が俺にとってはただの音の雨となり、理解することができない。


 千寓寺の眉間には困惑と焦りが交差していた。


「まさか先輩……それも忘れたんっすか?」


 俺は自分が思考停止に陥っていることを自覚していたが、それをどう解決すればいいのか見当もつかなかった。相手の言葉の奥に隠された意味や思想にアクセスすることができず、俺の内なる理解力は封じられてしまったかのようだった。


「………」


 時間が経つにつれ、俺は自分の無力さに苛立ちを感じ始めた。

 どれだけ集中しても、どれだけ努力しても、相手の言葉を理解することができないのだ。


 俺は心の中でつぶやいた。


 ――この世界は本当に俺の知っている世界であっているのか? いや、タイムパラドックスが起きた時点でそれは俺の知る世界ではない――が、こんなにも変わるものなのか?

 俺の知らない後輩に、危険区域という謎のワード。それに瘴気。

 これらは一体なんだ……?


「オレも下りるんで、ちょっと待っててほしいっす。そこ、動かないでくださいよ」


 動かないも何も、俺は動けなかった。

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