第18話

「あれが瘴気」


 遥か彼方に見えた街は、漆黒の霧に包まれていた。その霧は妖しげで不気味な響きを放ち、かつて栄華を誇った街を一掃し、廃墟と化してしまったことを物語っていた。

 俺は千寓寺が運転する原付きの後ろから、息を呑むほどの壮観さに圧倒されていた。


 俺が知っているこの街は活気に満ち、人々の夢と希望が渦巻いていた。

 しかし、今は衰えた建物の残骸が荒涼と広がり、灰色の陰鬱な空気が立ち込めている。


 その街並みはかつての輝きを映し出すこともなく、歴史の断片が草むらに埋もれているように見えた。窓ガラスは割れ、建物の外壁は腐食し、荒れ果てた道路には草が生い茂り、自然が不気味な一体感を演出していた。

 霧の中から時折漏れる微かな灯りは、死者の灯火のように静かに点滅している。

 千寓寺いわく、あれはモンスターの眼光だという。


「これ以上は近づかないほうがいいっす。瘴気ってのは言ってしまえば魔力の渦、あの中ではモンスターの強さが格段に跳ね上がるんっす。ちなみに瘴気の中ではゴブリンにすらショットガンは豆鉄砲っすよ」

「ショットガンが豆鉄砲!?」


 そんなことがあるのかと、俺は顎が外れるほど驚きを受ける。


「目には見えないんっすけど、モンスターは鎧みたいな膜を体中に張っているらしいんっすよ。それが瘴気の中では強力になるみたいっすね。ちなみに強力な魔力の鎧は、魔力を秘めた攻撃――スキルじゃないと破れないと言われてるっす」

「だからスキルが高額で取引されているのか」


 千寓寺はその通りだと頷いた。


「でもスキルを使えばかなり疲労するよな? 腹も減るだろ? ゴブリンを倒すのにいちいちスキルなんて使ってたら効率悪くないか?」

「だからみんな【外装魔力】っていうスキルを欲しがっているんっすよ」

「【外装魔力】……ってなんだ?」


 聞き慣れない言葉に俺は驚きの表情を浮かべた。


「パシッブスキルっすね。【外装魔力】を習得すると武器に魔力が自動付与されるんっすよ。ちなみに【外装魔力】は最もドロップしやすいスキルって言われてるっす」


 千寓寺の話だと、【外装魔力】は日本円で100〜300万程で取引されているらしい。

 しかも普通のスキルとは違って、空腹感を感じることもないようだ。


「まあ【外装魔力】で付与される魔力は少量だって言われてるんで、やっぱり大物を狩るとなれば強力なスキルは必須になるんっすよね」


 【外装魔力】で銃弾や刀を魔力でコーティングして戦うのか。


「あの霧は瘴気っていうだけあって、直接吸い込んだら人体に害があるのか?」

「ないっすよ。ならなんであれが瘴気と言われているかというとっすね。あの瘴気がモンスターを生み出してるんっすよ」

「生み出す? なら放って置けばモンスターであふれ返るってことか!?」


 千寓寺はそれはないと薄く笑う。

 こいつ、いま俺のこと莫迦にしなかったか? むっと唇を尖らせてしまう。


「瘴気には規模に応じてキャパがあるっす。なんでキャパを上回る数は発生しないっす。逆に瘴気の元を取り除かない限り、瘴気内ではモンスターを倒しても、時間が経つと元通りってやつっすね」


 まるでゲームだな。


「瘴気の元ってのは?」

「魔晶石と云われるクリスタルのことっすね。これを破壊すれば瘴気は消えるっす。でも、魔晶石の側にはいわゆるボスモンスターってやつがいると言われているっすよ」

「ボスがいるのか」

「ちなみにボスはドロップ率100%らしいっすよ。一攫千金を目指す冒険者たちは瘴気攻略に挑んでいたりするっすよ」


 という割には、この辺りには俺たち以外には誰の姿も見当たらない。

 と思ったのだが、遠くのほうから銃声が響いてきた。


「ボスを狩るのは無理でも、少しでもドロップ率の高いモンスターを狩ろうとみんな躍起になっているんっすよ。うちの大学にも冒険者サークルとかいうのがあったっすよ」

「千寓寺は入らないのか?」

「あんなのただのお遊びサークルっすよ。それに、俺は先輩と攻略するって決めたんで」


 どうやらこの世界線の俺は、千寓寺という後輩からは好かれているらしい。

 俺にはそんな後輩はいなかったので、少しだけ羨ましく思う。



 ◆◆◆



「なんか悪いな」

「別にいいっすよ。特に用もないんで」


 最寄り駅が使えない俺の家から大学までは、車かバスが一番早い移動手段になる。

 俺は大人しくバスで大学へ向かおうとしたのだけど、いまの非常識な俺を一人にはしておけないと、大学までは千寓寺がバイクで送ってくれることになった。


「千寓寺は別に付いてこなくてもいいんだぞ?」


 大学まで送ってくれただけで十分なのだが、明護のいる研究室まで案内してくれるという。非常に有り難くはあるものの、なんか過保護な親みたいで恥ずかしい。


「明護先輩なら、たぶん第二研究棟に居ると思うっすよ」

「さんきゅーな、千寓寺がいてくれて助かったよ」

「それは全然いいんっすけど、本当に会うんっすか?」

「……そりゃ会うだろ。そのために来たんだから」


 おかしなことを聞くやつだなと、俺は後頭部を掻きながら研究棟に入っていく。


「――ちょっと待ってくださいよ先輩!」


 本当に明護先輩と会うのかとしつこく袖を引っ張ってくる千寓寺に、こいつは一体なんなんだよと嫌気が差す。


「だって先輩たち――」

「うっさい」


 俺は千寓寺の手を振り払い、スキル研究室と書かれた扉を開けた。

 つんっと化学薬品の独特の匂いが鼻腔を刺激する。


「……?」


 研究室には学生が数名いたのだが、なぜかみんな俺を見た途端、手を止めて額にしわを寄せた。静まり返った室内の雰囲気に異常を感じる。


 あれ……なんだろこの感じ。


 中学時代、俺が教室に入った途端、それまで騒いでいたクラスメイトたちが急に黙り込んで席に着席する。久しく味わっていなかったあの嫌な感覚が蘇る。


「あっ!」


 俺は助けを求めるようにサッと室内を見渡した。

 白衣姿の学生たちの中に、俺は馴染みの顔を発見する。


「明護!」


 彼女と別れて一日しか経っていないというのに、俺の胸はまるで数年ぶりの再会のように高鳴りを奏でた。

 時を超えた懐かしい顔に、俺の心は満たされるばかりだった。


 明護は相変わらず猫のように気品と優雅さを兼ね備えた女性だった。

 肩口で内側に巻かれた女性らしいミディアムボブが軽やかに揺れている。その髪は窓から差し込む光によって赤銅色に輝き、まるで秘密の庭園に咲く花のような鮮やかな色彩を纏っていた。

 気の強そうな瞳は確かな意志を持ち、その眼差しには周囲の人々を魅了する不思議な力が宿っている。繊細な鼻筋は高く、品のある唇はほんのりと色づいている。乳白色の肌は透明感があり、絹のように滑らかだった。


 間違いなく俺の幼馴染――明護朱音だ。


 もう会えないかもしれないと思っていた大好きな親友に、一番の理解者に、俺はまた会えた。


「よかった、よかった。本当によかった」

「――――ッ!?」


 嬉しさから明護に駆け寄った俺は、今にも泣き出してしまいそうな顔のまま再会の抱擁を交わした。


「ちょッ、先輩……」


 明護のやつも俺との再会を喜んでくれているのか、歓喜に身を震わせている。


「ひぃ……いぃ……」

「どうかしたか?」


 涙目になってぷるぷる震える明護の頭上から――ジュポッ! と蒸気が噴き上がっている。


 なんだ、この変なリアクションは……。


「どっ、どどどどうかしたかじゃないわよこの変態ッ!」

「変態ッ!?」


 真っ赤な顔の明護に突き飛ばされてしまった。


「あ、ああああああんた何考えてんのよッ!」

「は?」


 いつもの軽いノリで人前で抱擁したのがいけなかったのだろうか。明護がめちゃくちゃ照れている。


「何って……さすがにみんな見てる前だとまずかったか? そうだよな、いつもは俺んちで二人だったもんな」

「「「「!?」」」」


 一瞬周囲の空気がものすごいことになり、どよめいた。


「明護さんと変人がいつも抱き合ってるだと!?」

「それも変人の部屋で二人きりでッ!?」

「うそだぁッ! おれは信じんぞ! おれたちのマドンナがあんな変人となんてありえるかッ!?」


 俺たちはタイムマシンが完成に近づくたび、二人で抱き合って喜びを分かち合っていた。

 なんだか随分遠い昔のことのように思える。


「あああんたこんなことしてなんのつもりよ!」

「なんのって……?」

「あんたまたそうやってくだらないこと企んで、あたしを貶めるつもりでしょ!」

「俺が明護を貶める……? ないない。例え世界が明護の敵になったとしても、俺だけはずっとお前の味方だ。俺はお前のためなら世界とだって戦えるし、俺の隣にはお前が必要なんだ。わかるだろ?」


 俺は田中との戦いで思い知った。

 俺は十六夜と明護のためなら人だって、同級生だって殺してしまうようなマッドサイエンティストなんだと。

 だけど、悔いはないし、後悔なんてこれっぽちっもしていない。

 俺の前に明護がいる。

 それだけでどんな罪も背負える気がしていたんだ。


「明護、やっぱり俺はお前が好きみたいだ」

「――――ッッ!?」


 もちろん友達として、幼馴染として、親友としてだけどな。

 にっこり微笑む俺とは対照的に、明護はあわあわしている。


「お前熱でもあるんじゃないのか? 顔真っ赤だぞ。大丈夫か?」

「ひぃッ!?」


 心配になって顔を覗き込むと、パッと目尻に涙を溜め込んだ明護と目があった。そして手首をガシッと掴まれる。




「ちょっとこっち来なさいッ!」

「へ……?」

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