第19話
「おい、どこ行くんだよ?」
闘牛のような明護に引っ張られる形で、俺は第二研究棟をあとにした。
しばらくキャンパス内を引きつられたのち、人気のない講義棟――メディアネットワークセンター裏の茂みでようやく開放される。
「急にどうしたんだよ?」
「それはこっちの台詞よ! あんた一体どういうつもりよ!」
振り返った明護は鋭い剣を振りかざすような顔で迫ってくる。
ようやく再会できたというのに、明護は相変わらずのヒョウのような舌でタコのように口が早い。これでは感動もへったくれもない。
「どうって、なにが?」
「なにがって……あんた、なんでそんなに馴れ馴れしいのよ。つーかさっきのは何よッ! みんなに誤解されちゃったじゃない!」
「友達なんだしこれくらい普通だろ。他人なんて興味ない。言いたいやつには言わせておけばいいって言ってたのは明護だろ?」
「は? 言ってないわよ! あたしそんなこと一言も言ってないからッ! つーかあんたとは小学校を卒業する時に絶交したはずよね!」
「絶交ッ!?」
え……? 絶交って……あの絶交?
もう口も効かないし話しかけるなの絶交?
なんでそんなことになってんだよ。
「……ちなみに、なんで?」
「は?」
「その……俺たちはなして絶交したんだ?」
「あんたがウザいからに決まってんでしょうがッ! 毎日毎日飽きもせずに明護と違って十六夜はかわいいだの、明護と違って十六夜は女らしいだの……鬱陶しいのよッッ! 一緒に行ってた学校だって、あんたから一方的にもうあたしとは行かないって言ったんじゃない! 俺はもう彼女持ちだから、明護も一応は女だから遠慮してくれってッ! 一応もクソもあたしは歴とした女よッ! 莫迦にすんじゃないわよ!」
思い出しただけでムカムカしてきたと、明護の顔が鬼の形相になる。
「それにッ」
「え、まだあるのか?」
「忘れたとは言わせないわよ!」
忘れたもなにも俺は知らないんだよ。
というか……できれば聞きたくない。
「小6の時にあたしがあげたバレンタインのチョコ……あんたチョコが二個あるからって佐々木にあげたわよね? 莫迦にすんのも大概にしろってのよッ!」
「………」
ひどいな。
それはキレるわ。
というか嫌われて当然だぞ、あのクソガキ。
「つまり……その、それ以来俺たちは……?」
「絶縁に決まってんでしょうがッ!!」
十六夜と俺が付き合った場合、俺と明護の親友ルートが断たれるのかよ。
なんだよそのくそ仕様。
十六夜が生きていたこと、今も付き合っていたことは確かに嬉しい。
嬉しいけど、こんなのは俺の望んだ未来じゃない。
俺の側に明護がいないのは嫌だ!
「……なんのつもりよ?」
俺は地面に手をつき、額を地面に叩きつけた。
「すまん明護ッ! 今の話を聞けばわかる。全部俺が悪い。お前が俺のことを嫌いになるのも当然だ。俺だってこんなクソ男大っ嫌いだ!」
「ちょっ、ちょっと!?」
俺は俺の顔面を拳で殴りつけた。
「何してんのよあんたッ!?」
十六夜が田中にバレンタインのチョコをあげていたことを知った日、俺は泣きながら明護の家に行った。彼女は夜遅くまで俺の愚痴に付き合い、帰り際、さり気なく哀れな俺にチョコをくれたのだ。
あの優しくもほろ苦いチョコレートの味を、忘れたことなんて一度もない。
今に思えば、明護はこうなることを知っていたのだろう。
だからわざわざ手作りのチョコを、それもわざとらしく【LOVE】なんて書いたチョコを用意してくれていたのだ。少しでも俺が元気になるようにと。
明護はがさつで気が強くて時々口が悪くなるけど、そういう気の利いたことをさり気なくやる女の子だった。
そんな彼女の優しさを、あのクソガキ(俺)は踏みにじったのだ。
許せない!
ぶん殴ってやりたい。
だけど、悔しいことにあのクソガキはもういない。ならせめて、成長したあのクソガキをぶん殴ってやるんだ。
俺は何度も何度も自らの顔面に拳を突き出した。そのたびに激痛が手を貫き、骨と肉が衝突する音が響く。血管が膨張し、血の滲み出る音が耳に響いた。
それでも俺は痛みを受け入れた。
皮膚は裂け、血が滴り落ちる。
あのクソガキの罪はいかに深く、不可逆なものであったのかをこの体に理解させようとしていた。
「ちょっとやめなさいよ! あんたどうしちゃったのよ! 誰か、誰か来てぇッ!」
やめるものか。
この性根の腐ったクソ野郎を徹底的にぶちのめさないと俺の気が収まらない。
恩を仇で返すようなクソ野郎に教えてやるんだ。
人の行為をなんだと思っているんだッ!
「――もうやめるっすよ先輩ッ! それ以上やったら死んじゃうっすよ!」
「どめぇ、でぇ……ぐれるなぁ……ぜんぐぅじぃいいいいいいいいッ!!」
◆◆◆
「先輩ッ、明護先輩ッ! 先輩を許してあげてください! 明護先輩が許すと言わない限り、このイカれた先輩はマジで自分を殴り殺してしまうんっすよ! 今日の先輩はマジでぱねぇんっすよ!」
あたしは意味がわからなかった。
いつもは嫌味ばかり行ってくる外道が、必死になってあたしに許しを請うている。
その必死さは、まるで昔の外道を見ているようだった。
何をやっても鈍臭いくせに、誰よりもひたむきに一生懸命で、最後には絶対にやり切ってしまう男の子。
あたしが大好きだった外道が帰ってきたみたいで、少しだけ胸が痛かった。
「……許す。もういいわよ」
いつも外道と一緒にいる後輩の千寓寺は、あたしが許せば外道の奇行は止まると言った。けれど、まったく止まる気配がない。
「ちょっと……ねえ、許すってば。もう許すからやめなさいよ」
血が飛び散り、顔がみるみる腫れ上がっていく。
あたしの声が聞こえていないのだろうか?
「――聞いてんの外道! 許すって言ってんのよ!」
早くやめさせなければ取り返しのつかないことになってしまう。あたしの体は自然と彼へ伸びていた。
「もう、いいから」
腕を掴み、自傷行為をやめさせる。
「……っ」
外道の瞳には哀愁が漂っていた。その深い瞳孔は、悲しみと共に微かな光を宿しているかのように映った。まるで遠くの星々が彼の内なる孤独と共鳴しているかのように。
その瞳には数多くの秘密が封じ込められているように思えた。その眼差しには、失った何かを追い求める渇望が見て取れた。過去の傷痕が、その眼差しに重ねられているようだった。
外道の瞳の奥深くに宿る哀しみは、言葉にはなりえないほどに深く、切なさを運んでいるようだった。
そして、彼は叫ぶ。
「――いいわけないだろッ!」
「え……?」
「俺は、無神経にお前を傷つけたんだろ? お前は知らないかもしれないけど、俺は何度もお前に助けられて来たんだよ」
「……あたし、知らないわよ」
「だとしても、それでも、俺はお前がいたから生きてこれたんだ。お前がいなかったら、俺はあの日死んでたんだよ。お前が生きろって言ってくれたから、タイムマシンを作ろうって言ってくれたから、俺は生きてこれたんだ」
タイムマシン……?
彼は一体なにを言っているのだろう。
理解できないけれど、今の外道は嘘をついていない。
8年以上絶交していたとはいえ、それくらいはわかる。
3歳から9年間、他の男の子には目もくれず、ずっと彼を見て来たのだから。
「そんなお前を、俺は傷つけてしまった。俺はな……お前を傷つける奴が許せないんだ。それが例え俺自身だったとしても、誰よりも大切なお前を傷つけられるのが、なによりも腹が立つ」
だから、と彼はいう。
「魂に刻みつけてやるんだ。すべての俺に教えてやるんだ。俺の大切な明護を今度傷つけたら、てめぇの息の根止めてやんぞって!」
訳の分からない外道の言葉に、なぜあたしは泣いているんだろう。どうしてこんなにも温かい気持ちになるんだろう。
ずっと長いこと胸に突き刺さっていた何かが、ようやく取れたような気がした。
「……うぅッ」
「外道!? ちょっと外道! しっかりしなさい! 千寓寺くん、医務室!」
「りょ、了解っす!」
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