第20話
「いっ……何処だここ?」
気がつくと見知らぬベッドで眠っていた。
瞼は腫れ上がり視界不良。おまけにあちこち痛い。
どこか懐かしい消毒液の香り漂うここは、医務室のようだ。
「気がついたみたいね」
「明護……」
彼女は崖のように怒った表情を浮かべていた。だけど、そこには俺に対する思い遣りが込められている、そんな気がした。
「本当にバカなんだから」
「心配かけて……すまん」
「本当に、心配したわよ。ばか」
「……ごめん」
澄んだ空気が静寂に包まれる。
俺たちは心地よい沈黙に身を委ねていた。言葉は不要であり、目と目が交わるだけで互いの感情が伝わってくる。
部屋の窓から差し込む柔らかな光が、彼女の輪郭を照らし出す。俺は明護の存在を心の底から感じていた。それだけで今は安堵する。
ひとたび始まったこの心地よい沈黙は、深く響く心の旋律となった。まるで小説の一場面のように、周囲の喧騒が消し去り、俺たちの存在だけが宇宙を満たしているかのようだった。
「千寓寺くんから聞いたわ。その……タイムマシンのこととか……色々。千寓寺くんはまだ半信半疑で、あんたが頭打ったんじゃないかって心配してたわよ。バイト行っちゃったけど、あとでちゃんと謝っときなさいよ」
「うん。……で、お前は信じたのか? それともやっぱり信じられないか?」
窓の外に顔を向けた明護は、少し眩しそうに目を細めた。
やがて、彼女はためらうことなく信じると告げた。
「……そっか」
その言葉は風に舞い、まるで映画の一場面を彷彿とさせる。明護の目に宿る確信は、揺るぎない信念のようだった。それはまるで煌めく星々のように輝きを放っていた。
「でも、なんで?」
「なんでかなー……自分でもわかんないわよ。ただね、今のあんたは嫌いじゃない。今のあんたとならもう一度友達になりたいって思っちゃったから……かな? 変?」
「いや、全然変じゃない。……明護」
「ん?」
身を起こし、俺は彼女と向かい合った。
「ごめんな。それと、信じてくれて……ありがとう」
「うん」
俺たちは自然と笑い合っていた。
開いてしまった溝なら、きっとすぐに埋まるだろう。俺たちの絆は時空がねじれたくらいじゃ壊れない。
そう確信している。
「凪咲の死を止めるために過去に行ったって聞いたけど……?」
「ああ、少し長くなるかもしれないけど、聞いてくれるか? 明護には知っておいてほしいんだ。全部。俺の過ちも、犯した罪も……」
そうして俺は話し始めた。
長い、とても長い8年間の旅を。
そして、あのクリスマスイヴに起きた出来事を。
時々言葉に詰まって上手く話せなくなる俺に、明護は焦らずゆっくりでいいと言ってくれた。
どんなに拙い言葉でも、彼女はとても真剣に耳を傾けてくれた。
「――以上が俺の8年間と、今から9年前のクリスマスイヴに起きた出来事だ」
明護は顎先に手を当て、思索に耽っていた。その瞳は時折遠くを見つめ、深い哲学的な迷いに満ちているかのように揺れていた。
長い間、彼女は考え込んでいた。
「確かに9年前――2014年12月24日のクリスマスイヴ、通学路だった緑道で大規模な火災があったことは覚えているわ。調べれば昔の新聞にも掲載されていると思う。小学校の一部が吹き飛んだってのも有名よ」
ただ、と明護の眉間に雲が立ち込める。
「あれは小さな隕石が校舎に落ちたことが原因だってニュースでやっていたのよ。当時地元じゃかなり騒ぎになっていたから、間違いないと思うけど……」
「隕石……?」
それはいくらなんでも無理があると思う。校舎は内側から田中のファイヤーボールによって吹き飛ばされていた。外からでは説明がつかないはずだ。
「本当にニュースでやってたのか?」
「間違いないわよ。ちょっと待ってね。全国ニュースになったからググったら出てくると思うけど……あった!」
これよこれと明護がスマホを差し出してくる。そこには2014年12月24日――時渡台小学校校舎1階に隕石が衝突したと記載されていた。
「なにが、どうなっているんだよ」
俺は思考の糸が絡み合い、迷宮に迷い込んだような感覚に襲われた。眉間には深いしわが寄り集まり、不安が心を埋め尽くす。
俺はただただ混乱し、気持ち悪さが募るばかりだった。
「あとね、その……」
彼女は何かを言いかけて躊躇った。
それはまるで深い渦に巻き込まれたような顔だった。
俺は構わないから言ってくれと言った。
うーんと唸った明護は一拍置いたのち、信じられない言葉を述べる。
「田中なら三学期も普通に学校に来てたわよ」
「………………………………………………………………は?」
明護はいまなんて言った。
俺は予想だにしない言葉に驚愕の表情を浮かべる。
「た……なか、が……学校に、来てた?」
俺の世界は一瞬にして崩れ去り、ミステリ小説の一場面のような現実に囚われた。
その言葉は俺にとって、まさに未曾有の事実。耳に届いたその情報はまるで地震のように俺の心を揺さぶった。
――田中。
その名を口にするだけで戦慄が背筋を這い上がり、全身に鳥肌が立った。
俺は言葉に詰まり、身動きが取れずにいた。
殺したはずの相手が今もなお存在していた。
「そんなことって……」
理解できない現実が俺を包み込んでいく。
俺の視線は動揺で揺れ動く。その瞳は疑念と恐怖に満ちていた。思考は混乱したままで、心臓は激しく鼓動を打ち鳴らした。
「外道……大丈夫? 顔色悪いわよ」
「……あ、ああ、ちょっと……すまん」
何がどうなっているんだよ。
訳がわからない。
頭を抱えたまま絶望に顔を歪める俺に、明護がまさかの提案をしてくる。
「確かめに行くってのはどう?」
「え……確かめる?」
「だって考えられることって二つじゃない?」
「というと? 田中が死んでいなかったってことよ」
だけど、俺は確かに田中の死体を見たんだ。
「それって本当に田中の死体だった?」
「どういう意味だよ?」
「田中は小学生の頃に、それもまだモンスターの存在が一般的に知られていなかった時からスキルを習得していたのよね? えーと、ちなみにモンスターがはじめてテレビで報道されたのは2015年4月よ。そこから瘴気やスキルの存在が確認されたわ」
俺はなるほどと頷く。
「なら、田中はどうやってスキルを習得していたと思う?」
「そりゃモンスターを倒して、じゃないのか?」
「小学生が? まだ銃も規制されていた時に? ましてや外道みたいにたまたま車で轢き殺したとかでもなくて、ナイフや包丁でモンスターを殺したの? ちょっと現実的とは思えないわね。確かにゴブリン程度なら可能かもしれないけど、それだってナイフ一本で殺すってなると、下手したら大人でも大怪我するわよ? 最悪返り討ちに遭うことだってあるわけだし。格闘家や自衛隊とかならまだしも、小学生が勝てるとは思えなくない?」
それはそうだが、相手はあの田中なのだ。
明護は知らないけど、あいつは普通じゃない。田中は一般常識が通用するような小学生ではない。
「あと、田中が複数のスキルを習得していたって可能性はないかしら?」
「複数!? いや、でも田中はファイヤーボールしか」
「使ってなかったのよね? でも、外道言ってたわよね? 蹴りつけてもびくともしなかったって」
そう、あいつは異常に硬かった。
蹴りつけた俺の足のほうがじんじんしていたのだ。
「パシッブスキル【硬化】」
「なんだよそれ?」
「肉体強度を高めるスキルよ。他にも潜在能力を向上させるスキルとか、筋力を増加させるスキルも確認されているわね」
「詳しいんだな」
「一応それを専門に研究してるからね」
と、誇らしげに微笑んだ明護は、再び田中の死体について言及した。
「未確認のスキルもまだまだ沢山あると思うの。外道の【
「そうなのか?」
「そもそも金のスキルカプセルって、まだ世界で3つしか確認されていないくらい貴重なものなのよ。それがまさかゴブリンから出るなんて、発表したら世紀の大発見よ!」
発表されるのはさすがに困る。
その場合俺から金のスキルカプセルがドロップできることが世界中に知られてしまうのだ。それはさすがに勘弁してもらいたい。
「もちろん、これは口外禁止。人前で使用するのもやめておいた方がいいわ。最悪どっかの国の機関とかに命狙われるかもしれないからね」
相変わらず嫌なことをさらっと言うな。
「話戻すけど、たとえば小さな隕石を降らせるスキルや、死体を偽装できるスキルがあるとしたらどう?」
「死体を偽装!?」
そんなこと考えもしなかった。
「気になったのは田中の絶命の瞬間を外道、あんたが見ていないということよ」
「俺が見ていない間に、自分の死体を生み出したってことか?」
「その可能性もあるし、もしかしたら幻覚を見せるスキルとかがあるのかも」
俺が見た田中の死体自体が、俺が見たと思いこんでいただけの幻だったってことか。
「でも、もしかしたら田中はその時に本当に死んだのかもしれないわ。そうなると――」
「ここは繋がってないってことか」
「そうなるわね」
つまり俺が元いた世界をa世界線だと仮定した場合、そこから俺はb世界線に移動して田中を殺害。その後タイムマシンに乗ってb世界線の9年――後未来にやって来た――と思い込んでいるだけで、実はここがc世界線だったという可能性だ。
個人的にはこの可能性が一番高いと思う。というか、そうであってほしい。
もしも明護のいうように田中の死体が偽装されたものだとしたら……ゾッとする。
あのときの田中は実力の10%も出していなかったことになるのだ。
そんな怪物と再戦なんてことになったら、今のままでは確実に殺される。
「だからそれを確かめるため、もう一度2014年12月24日にタイムトラベルするのよ。今度はあたしと二人でね!」
「えッ!? 明護も行く気なのかよ!」
「当然!」
明護はにやりと口角をあげ、不敵に微笑んでいた。
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