第21話
「あんたが元いた世界――a世界線のあたしってもう死んじゃったのよね?」
医務室で話し込み、大学を出たらすでに辺りは真っ暗だった。
昨日の昼――2014年12月24日にカップラーメンを食べて以降何も食べていなかった俺は、帰宅途中に空腹で倒れかけた。
明護の提案で近くのラーメン屋にやって来た俺たちは現在、カウンター席に並んで座り、ラーメンを啜っている。
「……すまん」
「あんたが謝ることないわよ」
こちらの世界の明護はそう言ってくれるが、気にしないわけがない。
いま隣に居る明護のことも、やはり俺は好きなのだが、俺をずっと支え続けてくれた彼女ではない。
明護と言葉を交わせば交わすほど、そのことが色濃く鮮明に表れていく。
どれだけ素敵な色の絵の具をキャンバスに落としてみても、決して消えない色があるのと同じように、彼女の存在は俺の中で鮮やかな色となって輝き続けている。
俺はやっぱり彼女に――a世界線の明護朱音に会いたい。
「ここのラーメン……いまいちだった?」
「いや、すげぇ……うまいよ」
「そっか」
ならこれも食べなさいと、明護が餃子の皿を差し出してくる。
「いっぱい食べて、今は前を見る! タイムマシンがあるならa世界線のあたしを救うことだって不可能じゃないんだから!」
「!」
俺は明護の言葉に驚きながらも、彼女の意志の強さと希望に感銘を受ける。
「そうだよな、明護が言うようにタイムマシンがあれば、a世界線の明護を救うことだって不可能じゃないんだよな。それに挑戦してみる価値はあるよな」
明護は満足げに微笑み、俺の心に再び勇気を湧かせた。
「ありがとう、明護。お前がそう言ってくれるなら、俺も前を向いて進んでみるよ」
明護の言葉に背中を押され、俺は決意を新たにする。過去を変えることができる可能性があるなら、それに挑戦してみる価値がある。a世界線の明護を救いたい――それが俺の使命だと心に刻む。
そうと決まれば、まずは食って体力をつけなければ。俺は餃子を一気にかっ食らう。
「あんた全部食ってどうすんのよ! これあたしのもあるんだけど!」
「ずぅまん」
「おっちゃん、餃子もう一皿!」
◆◆◆
「あんた21歳にもなって所持金360円ってどういうことよ」
「面目ない」
普段より多めに財布に入れていたのだが、中々の距離をタクシーで移動してしまったのだ。結果的に財布からお札が消えていた。
ラーメン屋で支払いをするまで、自分の手持ちが僅かだということを忘れていたのだ。
「あとでちゃんと返します」
平謝りしながら、俺は自宅に向かって歩いていた。今日はもう疲れ果てているので、タイムマシンで過去に行くことは明日にしようと考えていた。しかし、明護はタイムマシン装置だけでも今日中に見たいと言って、なかなか聞き入れてくれなかった。
「見たらすぐに帰るわよ」
「別に泊まって行ってもいいけど、あ……そっか。こっちのラボには明護の着替えとか置いてないのか」
「ちょっと待ってッ! 今の言い方だとa世界線のあたしは何度もあんたんちに泊まってるみたいじゃない!」
「だって泊まってるもん」
「え………?」
足を止めて、明護は驚きの表情を浮かべる。
「研究が捗って忙しい時なんかだと、10日連続で泊まってたりしてたからな。ただ問題は寝相がめちゃくちゃ悪いんだよな」
「……ッ!」
「ん?」
あっという間に耳まで真っ赤に染めた明護が、地獄の門を開くかのような燃えるような視線を向けてくる。
「げっ!? ――あ……いや、その、寝相が悪いのはあくまでa世界線の明護だから別人だからッ」
俺は慌てて言葉を訂正し、明護の勘違いを解くように言った。
「あっ、当たり前でしょッ! あたし寝相はいいほうなのよ。なにより付き合ってもいない男の子の家に泊まるとか、そっちのあたしの倫理観ってどうなってるわけ? 信じらんないわよ!」
「でも俺たち幼馴染なんだしさ」
「幼馴染つったって男の子は男の子でしょッ! もしなんかあったら責任取れるわけ? つーかあんたもあんたよ! 一人暮らしの男の子の家に気軽に女の子を家に泊めるんじゃないわよ! 不潔ッ! 最低、信じらんないッ!」
明護は激昂し、一連の言葉を浴びせてくる。
そこまで言うことないだろ。
こっちは3歳からずっと一緒なんだからさ。
さりとて、こちらの明護とは8年間も絶交期間があるので仕方ないかとも思う。
「以後気をつけるよ」
「当たり前でしょッ!」
「……はぃ」
◆◆◆
「あんた本当にこの辺りに住んでるの? もう少し行ったら危険区域じゃない。自殺願望でもあるわけ?」
「さっきも言ったけどさ、俺がいた世界では危険区域なんてなかったんだよ。それに、ここを好んで住んでいたのは俺であって俺じゃないからさ」
彼女はあーと考え込んだように頷いた。
「本来のあんたは相当イカれてたもんね」
「………」
同意を求められてもリアクションに困る。
この世界の俺ってそんなにやばい奴だったのかな。逆にちょっと気になってくるな。
「でも千寓寺の話だと家賃はタダ同然らしいぞ」
「そりゃそうでしょ。普通はこんなところお金あげるって言われても願い下げよ」
「え……そんなに?」
「放射線によって汚染された地域に住めば毎月10万あげる。って言われてあんたは住む?」
「いえ……」
「つまりそういうことよ。危険区域がこんなに近い場所にあると、モンスターがいつ襲ってくるかわからないじゃない。それが眠っている時だったら最悪よ」
考えただけで身震いする。
「ねえ、ひょっとしてあのボロボロのプリウスがそうなの?」
だらだらと話していたらあっという間に家の前だった。
何度見てもひび割れたプリウスには目を覆いたくなる。
「あれが例の……な」
「ゴブリンを轢き殺して金のカプセルを出したっていう幸運のプリウスってわけね」
果たしてそれは幸運なのだろうか?
「タイムマシン装置ってエンジンルームにあるのよね? ボンネット開けてもらってもいい?」
「了解」
俺は運転席のドアを開け、ボンネットオープナーを引いた。
「修理っていくらぐらいかかるんだろ」
タダ同然の家に住んでるわけだし、それなりに貯金があることを祈るばかりだ。
「ねえ外道、タイムマシン装置ってのはどれなの?」
「真ん中に虹色の石が設置された装置があるだろ? それがタイムマシン装置だ」
「……石? ……そんなのないわよ」
そんなわけないだろうと明護の横へ移動し、エンジンルームを覗き込む。
「………え?」
ない。
エンジンに取り付けたはずのタイムマシン装置が、どこにも見当たらない。
「そんな……なんでッ!」
俺の心は不安と焦りに満ちていく。まるで追い詰められた鳥が籠の中で翼を打ち鳴らすように、俺の胸は激しく高鳴り、息苦しさを募らせた。
「暗くてよく見えないとか? 明かりつけよっか?」
明護がスマホのライトをONにしてエンジンルームを照らしてくれるが、やはりどこにもタイムマシン装置が見当たらない。
「盗まれた……?」
でも、誰が……?
思考が乱れる。パニックに陥りそうだ。
タイムマシン装置がなければタイムトラベルは不可能。そうなればa世界線の明護を助けだすこともできない。
どうすんだよ……。
一体どうする気なんだよッ!
頭の中には混沌とした声が響き渡り、心の奥深くにある自信の光はどんどん薄れていく。まるで暴風雨が俺の内部を吹き荒れ、希望の灯火を一つ一つ吹き消していくようだった。
俺はその場に崩れ落ちてしまった。
「ちょっと外道ッ!」
「……ないんだよ。タイムマシン装置がどこにもないんだよッ!」
青ざめながら項垂れる俺の隣で、明護は蜂の巣をかき回すように状況を分析していた。
「もう一度よく確かめて! タイムマシン装置は本当にない? どこかに挟まってるのかもしれないわよ」
明護の声に背中を押されるように、俺は倒れそうな体に力を込めて立ち上がった。もう一度エンジンルームを隈なく探してみるが、やはりタイムマシン装置はどこにも見当たらない。そもそも隙間に挟まるようなものではないのだ。
「あたしの他にタイムマシン装置を知っているのって千寓寺くんよね? 彼が黙って持ち出したってのは考えられないかしら?」
「それは……」
可能性としては一番高い。
だけど、まだ数時間しか一緒に過ごしていないが、千寓寺が黙ってタイムマシン装置を持ってくとは考えづらかった。
「一応電話で確かめるべきよ」
「……だな」
俺はスマホを取出し、電話帳から千寓寺の名前を探す。このスマホはこの世界線の俺のスマホなので、難なく千寓寺の名前を発見する。
「ダメだ。出ない」
「まだバイト中なのよ」
仮に千寓寺が犯人でなかったとしたら、誰がタイムマシン装置を盗んだのだろう。
そもそもタイムマシンの存在を知っている人物は、ここにいる明護と千寓寺の二人だけのはず。他の誰かに話したことはない。
だが、この世界線の俺が誰かに話していた可能性はある。もしもそいつが犯人だった場合、取り返すことは不可能だ。
なぜなら、俺にはそれが誰なのかわからないのだ。
「タイムマシン装置を作ったのって外道なのよね? ならもう一度作ること――」
「――無理だッ!」
俺は叫んでいた。
「タイムマシンはほとんど偶然できたようなものなんだ」
「偶然……? どういうこと?」
「俺がタイムマシン作りに行き詰まっていた頃、明護がどこからか虹色の石を持ってきたんだ。とても綺麗な石だった。俺はてっきり何かの原石かと思っていたんだけど、後にその石はある特殊な条件下でブラックホールを生成することがわかったんだ。俺たちはその石を
「時空幻石……」
再びタイムマシン装置を作るためには、どうしても時空幻石が必要になる。
しかし、そんな石はあとにも先にも明護が持ってきたあの石だけだった。
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「なっ、なんだ!?」
夜の帳の向こうから、凄まじい轟音が響き渡った。その咆哮は夜空を裂き、星々を霞ませた。俺は反射的に音のほうに体を向けていた。
「モンスターの咆哮よ。モンスター同士で縄張り争いでもしてるんじゃないかしら?」
「こんなところまで聞こえるのか?」
「だから誰も住んでないのよ。こうして外にいるのは危険かもしれないわね」
「なら一旦家に入ろう」
「え………」
まだ心は落ち着いていなかったけれど、さすがにモンスターに襲われたくはない。
アパート内に足を踏み入れたその時、俺はふと背後を振り返った。
「どうしたんだよ? 来ないのか?」
「え……いや、まあ……ね」
こんなにもじもじしてる明護を、俺ははじめて見た。
まさか照れているのか? 幼馴染の家に入るだけで……?
「ひょっとしてはじめてなのか?」
「なっ、なにが!」
「だから、その……男の家に入るの?」
「ッ!? あ、あるわよそ、それくらいッ!
しょ、小学生の頃だって何回もあんたの家行ってたじゃない!」
いつの話してんだよ。
こいつ、まさか男友達いないのか?
「何もしないからさ、とりあえず上がってくれよ」
「……なんかしたら速攻通報するから」
スマホを握りしめてるし、俺ってどんだけ信用されてないんだろ。
「どうぞ」
「お、お邪魔します」
少し緊張している明護を部屋に招き入れたところで、俺は驚きで体が石のように凍りつく。
「なんだよ、これッ!?」
部屋の壁一面には真っ赤なペンキで文字が書かれていた。
【田中参上ッ!】 と。
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