第7話

「貼るカイロにするべきだったか」


 時刻は7時半。

 もうじきここを小6の俺が通りかかるはずだ。

 俺はコンビニで買った使い捨てカイロを使って、なんとか12月の寒空を薄手のパーカー1枚で凌いでいた。


『――あんた風邪引くわよ』

「仕方ないだろ。予定じゃ夏だったんだから」

『あんたは肝心なところでいつも詰めが甘いのよ』


 怒るやらあきれるやらといった嘆息混じりの声に頭が痛くなる。


『そんなんだから田中とも鉢合わせするのよ。無計画にも限度ってもんがあんのよ、限度ってもんがッ』

「だから今度はちゃんと考えてあるって言ってるだろ。ガミガミいう前にお前だって妙案の一つや二つ言ってくれ」

『手伝ってあげてるだけでも感謝してほしいんですけど?』


 それは本当にその通りなので、俺は素直に感謝を伝えることにした。


『……そうやっていきなりしおらしくなるところほんとうに狡いんだから』

「んん? よく聞こえないんだけど」

『なんでもないわよ。それより、あんたの計画はうまくいきそうなの?』

「あっ、ちょっと待ってくれ!」


 明護と話をしていると、緑道からまだ幼い俺が歩いてくる。隣には今も昔も変わらないボブスタイルの明護も一緒だ。

 俺は咄嗟に公衆便所の壁にへばりつくヤモリの如く身を隠した。


『朝の公園で公衆トイレの壁にへばりついて小学生をガン見してるとか、なんだか想像するとガチモンの変態みたいね』

「やかましいわッ」

『で、話しかけるの?』

「いや、考えたんだが今はやめておこう」


 さすがにここで俺が飛び出して小学生に話しかけたら目立ってしまう。何よりも万が一遅刻させて大事になったら大変だ。それこそ変質者として捕まってしまう可能性もある。明護がそばにいる状況もあまりよろしくないな。


『っんなこと言ったって、あたし基本ずっとあんたといるわよ?』


 そうなんだよな。

 家が近所だから行きも帰りも基本的に俺の隣にはいつだって明護がいる。


「一つ聞くけどさ、俺が未来から来たと言ったら小学生のお前は信じるか?」

『そんなの決まってるじゃない。速攻で通報するわよ』


 だよな。

 ガックリと首を垂れる。

 ならやっぱりここはプランB。

 待ち構える天才科学者でいくか。


『あんた移動してるの?』

「ああ、確実に俺が一人になったところで話をするためにな」


 そう言ってやって来たのは団地だ。

 実家が見える辺りに待機した俺は、スマホで時刻を確かめる。


「8時か」


 我が家は共働きのため、すぐに両親が仕事に出かける。二人が仕事に向かったことを確認した俺は、未来から持ってきた鍵で自宅に侵入する。暖を取りながら俺の帰りを待つというわけだ。自分でも完璧な作戦だと思う。


「うわ、懐かしい!【幽霊ウォッチ2】と【オメガルビー】だ。中学の時に売り払ったんだよなー」


 懐かしさに浸りながらゲーム箱の中をガサガサと漁っていると――ゴホンッ! 明護の咳払いで現実に引き戻される。


『あんた本当に状況わかってるの?』

「いや、すまんすまん。ついな」


 しっかりしてよと力のこもらない声に恥ずかしくなった俺は、照れを隠すように癖っ毛を掻きむしった。


『あんたがそんなんだから田中と鉢合わせるのよ』

「あれはさすがに焦ったよな。びっくりし過ぎて生きた心地がしなかったからな」

『そりゃそうよ。昔はみんな田中の顔面偏差値の高さに騙されていたけど、中学を卒業する頃には化けの皮も剥がれかけていたんだし』


 田中の異常さは中学の終わり頃には徐々に学内でも知られるようになっていた。

 それは学習塾でのことだ。


 たまたま隣の席に座った他校の男子生徒が何気なく「田中って意外と普通なのな」と言ったところ、田中は怒り出して男子生徒を突き飛ばし、暴行を加えたという。男子生徒は鼻の骨を折るなどの重傷を負った。

 本来ならば田中は傷害事件として鑑別所に送られるべきだったが、田中の両親が被害者に多額の慰謝料を支払ったことで示談が成立した。


 また、これは真偽の程がわからない話だが、一時期田中が猫を殺したという噂が広まった。

 ある日、自宅で受験勉強をしていると、庭先から猫の鳴き声が聞こえたという。集中力を妨げられた田中は怒りに駆られ、納屋からナタを取り出し、猫の首を斬り落としたと言われている。


 信じがたい話ではあるが、近所に住むクラスメイトは夜遅く、血まみれの田中を目撃したと証言していた。


『まあそれでも田中は顔だけは良いからね、大半の女子はそんな噂信じていなかったけど』


 田中は外見が良く、校内では優等生として知られていた。

 しかし、明護だけは以前から田中のヤバさを感じ取っていたという。

 明護によれば、それは女の勘だとのことだ。


 だから、十六夜を屋上から突き落としたのは田中だと言った時、明護だけは俺を信じてくれた。

 俺にとって明護朱音は心の恩人なのだ。


『――――ガタンッ……ザッ………ザザ……』

「おい、どうかしたのか?」


 突如タイムシーバーから大きな物音が聞こえてきた。

 思わず顔をしかめると、立て続けに酷いノイズ音が耳に響いてきた。


「うわぁ――!?」


 これまで問題なく通信できていたはずのタイムシーバーから、突如キーンと耳障りな音が響いた。

 俺は思わずタイムシーバーを顔から遠ざけた。


「うるさッ……」


 頭の中まで響く不快な音に、顔をしかめてしまった。


「故障か?」


 先程まで普通に明護との通信ができていたのに、今は彼女からの返事がない。


「明護……? おーい、何かあったのか? 返事くらいしてくれ」


 呼びかけるが、応答はない。

 タイムシーバーは無音のままだった。


「まいったな」


 タイムシーバーをなんとか修理できないかと、つまみを弄くり回していると、


 ――ザザッ……ザッ。


 再びノイズ音が聞こえてきた。

 慎重につまみをひねると、



『……ザッ………ザザッ……な、……が………ザッ………る、………げ………、…………が………』


 途切れ途切れではあるが、明護の声が聞こえてきた。しかし、何を言っているのかまったく理解できない。ノイズが酷くて聞き取れないのだ。

 それに、微かに聞こえた明護の声が普段とは違ったものだった。


「明護? 何かあったのか明護ッ! 頼むから応えてくれ明護ッ!!」

『……や、……ザッ………な………つ………ザッ………の……ザザッ……』

「明護、よく聞こえない! 明護……? おい明護ッ!」


 ――――プツンッ……。


 タイムシーバーの通信が完全に途絶えてしまった。

 再度つまみを回して通信を試みるが、タイムシーバーは電池が切れたように動かなかった。


「くそッ!」


 俺は苛立ちからタイムシーバーを床に投げつけた。

 明護の身になにか良くないことが起きたことは明白だった。


「まさか宇宙人の襲撃じゃないだろうな」


 俺が彼らにタイムトラベラーだということを知られてしまった時点で、タイムシーバーを使って俺と通信をしていた明護の存在もバレていると考えた方がいい。


 だが、だとすると一つ疑問が残る。

 なぜ俺たちを狙うんだ?

 俺がタイムトラベラーだとして、彼らに何か問題があるのだろうか。


「俺の考え過ぎか……?」


 しかし、先程の明護の声は明らかに危機感が漂っていた。

 明護の身になにが起きたのかは過去ここからでは確かめることはできない。

 かと言って一度未来あちらに戻ってしまえば、再びこの時間軸に戻って来られる保証もない。


 悩んだ末、俺は当初の予定通り任務を続行することを選んだ。


「無事でいてくれよ、明護」


 俺は騒がしい気持ちをなだめるように台所に移動し、換気扇を付けて煙草を取り出した。

 鯖缶を灰皿代わりに一服していると、



 ――ガチャッ!


 ついに終業式を終えた俺が帰ってきた。




「え……誰ッ!?」

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