第6話

「――――円になります」


 実家の最寄り駅でタクシーを降りた俺は、念のために目深にフードをかぶり徒歩で移動を開始する。


 大学に進学してから早3年、その間一度も地元には帰ってきていない。

 ここは俺にとって嫌な思いでばかりだった。


 駅から20分程歩くと、負の遺産ともいうべき団地群が見えてくる。

 昭和20年代初頭、人口増加に伴い日本国内の住宅が不足した。

 その結果、昭和30年から昭和40年頃にかけて乱発するように建てられたのが、地上5階建てのこの団地だ。


 俺の実家はこの街の砦のような団地の4階に位置している。


「さすがにまだ寝ているか」


 タクシーの中で時刻設定を仕直したスマホで現在の時刻を確認する。

 朝の6時過ぎだ。


「しばらくどこかで時間を潰すか」


 小腹も空いたことだし、朝食を調達がてらコンビニに向かった。

 缶コーヒーにサンドイッチと煙草を購入した俺は、人気のない緑道沿いにある公園のベンチに腰を下ろす。


 ここは小学校までの通学路になっているのだが、それ以外はほとんど人が通らない。

 たまにお年寄りや犬を連れた人が散歩にやって来るくらいだ。

 できるだけ人目に付きたくない俺にとってはうってつけの場所だった。


「あと少して未来が変わる」


 紫煙を吐き出しながらここまでの道のりを振り返ってみるが、本当に長かった。

 だが、それもあと数時間で終わる。


 今日は終業式なので小学校は昼まで。

 ここで待っていればそのうち小6の俺が通るはず、見つけたら呼び止めて事情を説明する。


 大丈夫、相手は俺だ。

 小6とはいえ優秀な俺ならすぐに状況を理解してくれるはず。

 すべて完璧だ。


「上手くいくに決まってる!」

「何が上手くいくんですか?」

「え……――――ッ!?」


 突然話しかけられて振り向くと、そこには俺のトラウマ――因縁の相手が立っていた。


 田中だ。


 中学以来会っていなかったとはいえ、こいつの顔を見間違えるはずがない。


 長い睫毛と絵に描いたような二重。癖毛の俺が密かに憧れていた直毛も、イケメンの癖に死んだ魚のような目で他人を見下すように見る仕草も、何もかも怖いくらいに覚えている。


 このサイコパス野郎は間違いなく田中本人だ。

 心臓が爆発しそうで、内臓が口から飛び出してしまいそうな感覚が俺を襲った。

 鳴り響く心臓を掴みとり、俺は頭の中で落ち着けと繰り返し唱えた。


「しょ、小学生か? こんな時間に何をしてるんだ?」


 相手は殺人鬼かもしれないが、ただの小学生だ。21の俺が焦る必要はない。

 いざとなればげんこつで泣かしてやればいい。

 大人をなめるなよ。


「散歩ですよ」

「散歩……?」


 そう言って田中が指差す。

 田中の指す方向には、綿飴のような犬が一匹、無邪気に公園を走り回っていた。


「マルチーズ……」


 田中の犬か?


「はい」

「え……」

「マルチーズで合ってますよ」


 不気味なほど無表情な田中が俺の顔をじっと見つめている。

 なんなんだよ、こいつ。

 昔から田中には苦手意識を抱いていたが、こんなにも気持ち悪い奴だったか?

 不気味さが増しているように感じるのは、数年ぶりの再会のせいか、それとも心理的な問題が重なっているせいか。


「よいしょ」

「!?」


 当然のように隣に座ってくる田中に、俺はゾッとした。

 煙草を持つ手がぶるぶると震えているのが情けなかった。


「今日は一段と冷えますね」

「……ああ、そうだな」

「明日はホワイトクリスマスらしいですね」

「そうか……」


 雪……降ったかな?

 ふと思いを馳せるが、9年前のクリスマスのことなんて覚えていなかった。


「僕は田中といいます。すぐそこの時渡台小学校に通う6年です」


 じっと黒い眼差しで俺を見つめる田中に、俺は身を引き締めてしまう。


「……」

「あっ、えーと、俺の名前だよな。俺はその、す……鈴木だ」

「僕と同じだ」

「え?」

「鈴木は日本で2番目に多い苗字であり、田中は4番目らしいです」

「そ、そうなんだ」


 だから、何だというのだろう。

 田中は微動だにすることなく、今にも泣き出してしまいそうなほど不機嫌な空を見上げていた。


「僕のクラスメイトには変わった苗字の人がいます。十六夜、明護、それに外道……」


 名前を呼ばれた瞬間、心臓をきゅっとつかまれたような気がした。

 引き攣ってしまいそうな顔に無理やり力を込めて微笑むたび、あきらかに不自然なしわが刻まれていくことに気がつく。気がついたところでどうすることもできないのだが……。


「名は体を表す。僕はありふれたつまらない人間ということなのでしょうか?」

「苗字は関係ないんじゃないか?」

「下の名前もすごくありきたりなんです」

「……そっか」


 こいつの下の名前って……なんだっけ?

 思い出そうとしても思い出せない。

 そもそも俺は田中の下の名前を知っていたのだろうか。


「知ってますか。結婚すると苗字が変わるらしいです」

「あー、でもそれって大抵の場合は女の人なんじゃ」

「婿養子になれば変わりますよ」

「……ああ」


 それもそうか。

 今時は別に婿養子も珍しくないのかもな。

 というか、俺は仇敵と何を話しているんだろ。それも小学生と。


「鈴木さんは告白したことありますか?」

「えっ!? いや……」

「ないんですか?」


 田中は抑揚のない声で問いかけてくる。

 隣を一瞥すると、相変わらず空を見上げていた。


 俺は8年前――来年の夏、十六夜に告白したことを思い出していた。


 そして、「ある」と答えた。

 田中は単調な声で「結果はどうでした?」と尋ねてくる。

「……惨敗だ」と俺は言った。


「僕も明日、告白しようと思うんです」

「そ、そうか……」


 田中は一体いつから十六夜に告白することを決めていたのだろう。

 新しい煙草に火を付けながら、考えたってわかるはずのないことを考えていると、


「同じだ」


 先程とまったく同じフレーズが耳に飛び込んできた。

 不気味な既視感に思わず喉を鳴らしてしまう。


「な、なにが? ……ん?」


 田中が俺を指さしている。

 その指をなぞるように自分自身に視線を落とすが、そこには何もない。


「首のホクロ……さっき話していたクラスメイトと同じだ」

「…………」


 俺は思わず息を止めてしまった。


「き、気のせいなんじゃないか?」

「……もう帰らなきゃ」

「そうか……」


 飼い犬を呼び寄せると、田中は急いで公園をあとにした。

 俺は全身からどっと汗が吹き出していた。


「なんなんだよあいつ」


 暴れる鼓動を落ち着かせるように新しい煙草に火をつけ、もう一度田中が去って行った方角に目を向けると、


「――――ッ!?」


 田中がじっとこちらを見ていたのだ。


「ゲホッゲホッ!」


 俺は驚き過ぎて噎せてしまう。

 一頻り噎せた後、再び田中のほうを見るが、そこにはもう田中の姿はなかった。

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