第13話

 俺は狂人と化した田中から身を隠すため、人気のない校舎に逃げ込んでいた。


「まさか、こんなことになるなんて……」


 任務を終えたらタイムマシンに乗って帰るだけのはずだった。なのにどうして、俺はバケモノじみた田中に狙われているんだろう。

考えても仕方ない。


 遠くでサイレンの音が聞こえる。

 火事がすごい勢いで広がっているので、きっと誰かが消防に通報したんだろう。

 小6の俺と十六夜は無事に避難できただろうか。

 今はただ無事を祈るしかない。


「それより問題はこっちのほうだ」


 狂人と化した田中がナタを振り回しながら襲ってくるんだ。

 しかも手からは戦車並みの火力で、火球を放ちながら。

 例え相手が小学生とはいえ、あんなのまともに相手にしていたら命が幾つあっても足りない。


「このままじゃ確実に田中に殺される」


 田中を撃退する方法はないものかと思案する。

 スキルを使用すれば田中に近づくことは可能なのだが、その場合ナタは防げても、超至近距離からのファイヤーボールは防げない。

 あんなものを至近距離から受けてしまえば、俺の体は一瞬で灰になってしまうだろう。


「待てよ」


 田中のファイヤーボールも俺と同じスキルなら……可能性はあるな。

 俺はわずかだけど勝機を見出していた。


「外道くん、せっかくのイヴに夜の校舎でかくれんぼかい?」


 俺は廊下の壁に身を寄せながら、声が響いてきた方角を確認する。


「――ッの野郎」


 こちらは先程【視動眼ビジョンシフト】を発動させたことで空腹だというのに、田中はまたぼりぼりとカロリーメイトをほおばっていた


「やばッ!?」


 狂人の田中と目が合ってしまった。


「速いッ!」


 田中がこちらに向かって突進してくる。

 狭い廊下では不利だと判断し、俺は全力で逃げた。

 逃げる途中に消火器を手に取り、田中に振り返った。


「おい、やめろっ!」


 田中がこちらに向かって手を突き出していた。


「あっぶねぇッ――――!!」


 間一髪だった。

 俺はファイヤーボールから逃れるため、突き当たりの階段に飛び込んで身を伏せた。

 爆発音が響き渡り、壁の破片が無残に散り散りになり、周囲は瞬く間に白煙に包まれた。

 校内では火災報知器の騒音が轟いていたが、田中はそれを無視して追いかけてきた。


「あのガキッ、サイコパスにも程があるだろ!」


 俺は必死で階段を駆け上がり、屋上へと飛び出した。



 ◆◆◆



「かくれんぼも鬼ごっこももうおしまいかな?」


 俺から数秒遅れて、田中が屋上に現れた。

 あんなに走ったのに、田中は一息も切れていなかった。


 マジで何がどうなっているんだ。

 田中の奴は本当に人間なのか?

 一階から屋上ここまで全力で駆け上ったのに、息も荒くならないなんて普通じゃないだろ。


「もう逃げられないね、外道くん」

「そりゃお互い様だろ」

「お互い様……? 外道くんはおかしなことを言うんだね。逃げていたのは外道くんの方だと思うんだけど?」

「そういう細かい指摘は女にモテないぞ」

「またおかしなことを言う。僕のほうがモテていたよね? 今の外道くんからしたら、もう過去のことだから忘れちゃったのかな」


 やはり田中は、俺がタイムトラベラーだと知っているようだ。

 ホクロの位置だけで、俺が未来の外道戦樹であることを見抜いたのか。

 どうしてもそこが気になってしまう。


「過去のこと? 今朝はじめて会ったのに妙な物言いだな。まるで俺の小学生時代を知っているような口ぶりじゃないか」

「昔からお前のことが大嫌いだって言ったのは外道くんの方だろ?  それをいまさら無かったことにするなんて無理があると思うけど」


 確かにそれはその通りなのだが、この際そんなことはどうでもいい。

 俺が知りたいのは、なぜ田中は疑うことなく俺のことをタイムトラベラーだと信じているのかという点だ。


「まさかお前、小6にもなってタイムトラベルとか信じているクチか? だとしたらSFの読みすぎだ」


 少しでも情報を引き出すために煽ってみる。

 もし無理でも感情的にさせることができれば、それでいい。戦場では冷静さを失った者がやられる、ということを聞いたことがある。


「ぴぴ……ぴっ………ああ、そうか。そういうことか」

「?」


 まただ、またこめかみに指を当てている。


「外道くんはなぜ、僕がタイムマシンの存在を知っているのかが気になっているんだね」

「――――!? なんでお前がそのことを知っているんだ!」


 夜の闇に大音声が響き渡る。

 田中の顔は相変わらず人形のように綺麗で表情が乏しい。


「ぴっ………ぴぴ、それもそうか」

「聞いてんのかよッ!」


 その視線は完全に俺を無視し、空虚なまなざしを放っていた。まるで俺が存在しないかのように、俺の声を無視している。それは俺の内なる炎を燃やし、激しい苛立ちが湧き上がる原因となった。


「人が話してんだから少しはこっちを見やがれこのクソガキがァッ!!」


 俺の眉間には憤怒のしわが刻まれていた。

 小学生相手に大人気ないと自分でも思う。だが、怒鳴り散らさずにはいられない。


「外道くん――」


 俺の怒りが少しは伝わったのか、田中がゆっくりとこちらに視線を向ける。

 その目は相変わらず異様な光を宿していた。深い黒さを帯びた瞳であり、まるで闇そのものが田中の眼球を覆っているかのようだった。


 視線を交わす度に、その黒い目は俺の心の奥底まで透視するかのような恐怖を感じさせた。それはまるで死者の魂が宿ったような目であり、見つめられた瞬間に寒気が俺の背中を駆け巡った。

 その目は俺を射抜くようにして存在し、俺の内なる恐怖を引き出すためだけに存在しているように思えた。


「――君にこれを返しておくよ」


 そう言って、田中は背後から黒い塊を取り出した。


「………なんで……なんでお前がそれを、タイムシーバーを持っているんだ?」

「外道くんが小学生の外道くんの家に忘れていったんだよ。でも大丈夫。僕が回収しておいたから」


 鈍い音が響いた。

 田中がタイムシーバーを俺の足元に放り投げたのだ。


「……ッ」


 拾い上げて確かめるが、間違いない。

 これは明護から貰った俺のタイムシーバーだ。

 ということは……。


「てめぇ人の家に勝手に入ったのかァッ! やって良いこととダメなことの区別もつかねぇのかよッ!」

「外道くんだって勝手に入って待っていたよね? 過去の自分が帰宅するのを……」

「田中ッ……てめぇッ……」


 やっぱりそうだ。

 こいつは今朝公園で別れてからずっと、俺のことを監視していたんだ。

 ただホクロが同じ位置にあったという理由だけで……。


「それと、外道くんにとっては残念なお知らせかもしれないけど、もう一つあるんだ。聞く……?」


 無表情で首を傾ける仕草が絶妙に気持ち悪い。


「もう一つって……なんだよ?」


 嫌な予感がする。

 背筋に寒気が走り、空気が凍りつくような感覚が心を支配した。

 不吉な予感は災厄の到来を予告しているかのように感じられた。

 夜空には月が蒼白な光を放ちながら、不気味な陰を映し出していた。遠くでサイレンの音が聞こえる。その音はさながら悲鳴のように響く。


「明護朱音は死んだよ」

「は?」


 田中は一体何を言っているんだ?

 胸の鼓動が早くなり、呼吸が乱れていく。


「といっても、死んだのは今から9年後――未来の明護朱音。タイムシーバーだっけ? それを使って外道くんとコソコソ悪巧みをしているみたいだったからね」

「………」


 理解ができない。

 こいつはさっきから何を言っているんだ。

 まったく、理解ができない。


「明護が……死んだ?」


 今では、なくて……9年後の、明護が……死んだ?

 うそ……だ。

 そんなこと、誰が信じるか。


「――そんなことありえるわけないだろッ! 第一お前がどうやって9年後の明護を殺せるってんだよッ! デタラメ言ってんじゃねぇぞ!」

「外道くんが乗ってきたタイムマシンがあるじゃないか」

「え……」


 俺の、タイムマシン……?


「コンビニに停めたよね?」


 なんで田中がそのことを知っているんだよ。

 こいつと俺が会ったのは今朝だぞ?


「でもちゃんと元の場所に返しておいたよ」

「………使った。俺のタイムマシンを使って明護を……」


 ハッタリか……?

 状況から分析して心理的な攻撃を仕掛けていると考えるべきか――いや、田中は俺がタイムマシンをコンビニに停めたことを知ってるんだぞ。ハッタリでそこまで言い当てられるわけがない。


「たとえタイムマシンがなかったとしても明護朱音は死んでいたよ」

「どういう、意味だよ」

「未来の――9年後の田中が殺すからね」


 こいつは……マジでさっきから何言ってんだよ。わけがわかんねぇよ。


「信じられないかい? ならこれも返しておくよ」


 再び田中が背後に手を回す。取り出したそれを俺の足元に投げつけた。


「……あぁ、うそ……だろ?」


 俺は膝から崩れ落ちてしまう。

 それはこの世界に――この時間軸に存在しないはずのタイムシーバーだった。


「……あ、あか……もり………」


 タイムシーバーには乾いた血がこびりついていた。

 それを見た途端、手がガタガタと震えはじめた。

 視界はあっという間に涙でにじみ、何も見えなくなる。


「あ゛ぁ゛……うっ、う゛ぅ゛……」


 俺の心には唐突に深い喪失感が広がっていた。その喪失感は暗い霧のように俺の内側を包み込み、全身にしみわたるような冷たさを伴って襲いかかってきた。


 彼女はかつて、生き生きとした日々を送っていた。ダメになった俺にいつも寄り添い、いつだって俺を励ましてくれた。

 明護だけが俺を見捨てずにいてくれた。


『外道、頑張んなさいよ! 狂気のマッドサイエンティストが一度や二度の失敗で落ち込んでんじゃないわよ! しゃきっとする!』


 その彼女が死んだ。

 俺のせいで、彼女は死んだ。

 ……殺された。

 悪戯に笑うあの笑顔も、無駄にでかいあの声も、不器用なあの励ましも、もう聞けない……。


 俺が明護を巻き込んでしまった。

 俺がタイムマシンなんて作らなければ、彼女は死なずに済んだ。殺されることはなかった。


 全部……俺のせいか?


 ――っなわけないでしょ。しゃきっとしろ! 外道!!


 幻聴だろうか。

 いま確かに彼女の声が聞えたような気がした。


『――いい? 外道、無闇に過去を変えちゃいけないわよ。過去を変えてしまうと未来まで大きく変わるんだから』


 なんで今……こんなことを思い出すんだ。

 

『あんたがタイムマシンを作るきっかけになったことって彼女のことがあったからでしょ? でも過去に行ってそれをなかったことにするわけじゃない? そうするとタイムマシンはできないわよね? この本にも書いてあるけどさ、そういうのをタイムパラドックスっていうんでしょ? 9年前の過去に行ったあんたはなかったことになるのよね?』


 タイム……パラドックス。

 今現在の明護は生存している。だが9年後の明護はこの目の前の田中によって殺される。

 なら、今こいつを……田中をここで殺せばどうなる?

 こいつは自分がタイムマシンに乗って9年後の明護を殺さなくても、9年後の田中が明護を殺すと言った。


 しかし、そこに9年後の田中が存在しなければ明護は殺せない。

 それが無理でも、タイムマシンで過去に戻って襲い来る田中から明護を守ればいい。


 そのためには――


 俺は消火器を抱えたまま立ち上がり、田中を睨みつけた。



 今ここで、田中を殺すしかない!

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