第11話

誰も来ないかちゃんと見張っていてくれよ! 誰か来たらすぐに知らせるんだぞ、いいな!」

「わかったって、しつこい奴だな」


 小6の俺はよっぽどクラスメイトに見られたくないのだろう。細心の注意を払いながら、十六夜の家のインターホンを押した。


 俺は少し離れた電信柱の陰に身を隠しながら、行く末を見守っていた。


「相変わらず立派だな」


 数年ぶりに目にした十六夜邸は相変わらず豪邸だった。遠くから見ると、まるで美術館のような外観をしている。

 代々医者の家系である十六夜家は、昔からこの地域で名の知れた金持ちだった。

 十六夜は母親の再婚を機にこの街に引っ越してきたのだ。


「げ、げげげですけどっ、いい、いじゃぁよいしゃんおおおおるとですかッ!!」


 お前は鬼太郎かよ! と思わずツッコミを入れたくなるほど小6の俺はガッチガチに緊張していた。

 緊張しすぎて、インターホンの前で固まっている自分に気づいた。顔が赤くなっていて、まるで湯気が出そうなほどだ。


 自分の中学時代を思い出しながら、自分もこんな感じだったのかと考えた。

 多分、今の小さい俺よりはマシだったと思う。そうであってほしいと切に願う。


 直立不動で待ち続けること1分。

 勢いよく玄関の扉が開かれた。


「!」


 小学生とは思えないほど端正な顔立ち。鼻筋が通っており、大きな黒い瞳には知性が輝き、薄桃色の薄い唇はとても女性的で、胸まで伸びた黒髪は一房だけ三つ編みになっている。女の子らしい華奢な体つきは文句なしに可愛かった。


 8年ぶりに見た彼女は卒業アルバムのままで、彼女を見た俺の心は熱くなった。

 二度と会えないと思っていた彼女に再び会えた。それだけで胸がいっぱいだった。

 俺の人生はこの瞬間のためだけにあったんだと本気で思えるほど、俺はこの日をずっと待ち続けていた。

 彼女に再会するために、俺は人生の大半を捧げてきたのだ。


 しかし、目的を忘れてはならない。

 俺の目的は彼女との未来を作り出すこと――生き残るための道を切り開くことなのだ。


「外道くん、突然どうしたの?」


 十六夜の顔が少し赤くなっている。胸も上下しているようだ。

 おそらく小6の俺がやって来たことを家族に聞き、玄関まで駆けてきたのだろう。


「え、いや、その……えっ、えーと……」


 小6の俺は不自然な態度で、視線をあちらこちらに動かしながら焦っている。

 へその前で手をこねくり回す姿に、俺は思わず頭を抱えた。


「何やってんだよあの莫迦。だからチラチラこっちを見るなよ。ったく、かっこ悪いなぁ」


 俺は公園にでも連れ出せと、電信柱からジェスチャーで指示を出す。


「こ、公園だな――あっ、いやなんでもない」

「?」


 指示を声に出すのは失点だが、とりあえず小6の俺は十六夜を家から連れ出すことに成功した。

 あとはいい雰囲気になったところでバシッと告白するだけだ――だけなのだが……。


「なんで話さないんだよあの莫迦ッ!」


 十六夜邸から公園までの5分間、小さい俺は自分から一切会話を振らない。見かねた十六夜がそのトレーナーかわいいねと話を振ってくれているにも関わらず、うん。正面を向いたまま一言で片付けやがった。


「十六夜の赤いコートもかわいいね、ぐらい言えないのかよッ!」


 今すぐに出て行って一発頭を叩いてやりたい。そんな気持ちをぐっとこらえ、俺は再び公衆便所の前で見守ることにする。


 十六夜とベンチに腰掛けた小さい俺は、またも落ち着きなく頭を振っている。俺の姿が見えないから心細いのだろう。


 俺が身を潜める公衆便所は、彼らが座るベンチからは斜め後方に位置している。

 本当は安全な場所から見守りたかったが、このままでは小さな俺は何時間でもああしてしまうだろう。仕方なく、彼らの正面にある茂みに移動することにした。


 チキンな俺のせいで十六夜に風邪を引かせるわけにはいかない。


「あっ!」


 俺を見つけた途端に安心したのか、壊れた玩具のようになっていた小さな俺の顔に、少しだけ笑顔が戻った。

 小さな俺は十六夜に気付かれないように腰の横で小さく親指を立てている。

 まだ告白してもいないのに、すでに成功した気分になっているようだ。

 彼女と二人で公園のベンチに座っていることが、とても嬉しいようだ。


 あいつは俺なんだから当然か。

 あの頃の俺はほとんど十六夜のストーカーみたいなものだったからな。


「突然外道くんが来るからびっくりしちゃった」

「う、うん」


 幸せそうに微笑む十六夜とは違い、小さな俺は話しかけられると耳まで真っ赤に染まり、うつむいてしまう。


「マジでなんなんだよあの莫迦ッ! やる気あんのかよッ!」


 焦れったくて見ているだけでイライラする。

 まるで長くて面白みのないフランス映画を延々と見せられているような気分だ。


「なんで会いに来てくれたの?」


 幸せそうに足を揺らす彼女についつい見惚れてしまう。


「……いや、その」

「ねぇ知ってる? クリスマスイヴってね、恋人たちが幸せに過ごす一日なんだって」

「……へ、へぇー」

「トリビアの泉じゃねぇんだぞッ!」

「ッ!?」

「――――!?」


 やべっ。

 苛立ちからつい大声でツッコんでしまった。


「今の声なに?」


 まずいまずいッ。

 十六夜が立ち上がり周囲を気にしはじめてしまった。

 このままではバレてしまう。

 一度安全な場所に逃げようかと思ったその時、


「あ……雪だ」

「ホントだ! 綺麗」


 何も心配するなと天が二人を祝福するかのように、牡丹雪がベールとなって十六夜を包み込む。それはまるでドラマや映画のワンシーンのようで、あれほど緊張していた小さな俺の顔にも笑みがこぼれる。


「一日早い、サンタさんからの贈り物かな」

「ひょっとしたら今この上をトナカイのソリで駆け抜けてるのかも」

「ホントに!?」

「ソリにくっついてた雪が落ちて来たんじゃないかな?」

「うふふ」


 小さな俺の言葉ではじめて十六夜が笑った。

 笑われたと勘違いした小さな俺の顔はまたしても真っ赤に染まる。


「だって今日朝の天気予報で雪は降らないって言ってたからッ」


 慌てて取り繕う小さな俺を見て、十六夜はいたずらな笑みを浮かべる。


「外道くんて意外とロマンチストなんだね」

「うぅ……」


 少し不貞腐れた俺を見て、十六夜がとても優しそうに微笑んだ。


「でもそういうの、私好きだな」

「……ほんと?」

「うん。外道くんてすごく優しいよね」

「俺が、やさしい?」

「転校してきたばかりの頃、私消しゴムを忘れちゃったの。でもね、私まだ転校したてで親しい友達がいなかったの。だから消しゴム貸してって言えなくて。どうしようかなってすごく困ってたら、何も言ってないのに隣の外道くんがすって消しゴムを渡してくれたの。大切な消しゴムを半分に折って、その片方をくれたの。覚えてない?」

「さ、さぁ……どうだったかな?」


 覚えていないと俺は言ったけど、それは嘘だ。

 10年経った今でもそのことはしっかり覚えている。

 忘れるわけない。

 あの時の笑顔で、俺は君に恋をしたのだから……。


 瞼を閉じると今でも鮮明に思い出せる。


『ありがとう』


 はじめて彼女が笑いかけてくれたあの瞬間を……。


 お前は知らないかも知れないけど、あの時の笑顔を取り戻すために、これからお前はマッドなサイエンティストになるんだよ。


 だけど、そんな未来はお前には必要ない。


 さあ、壊れてしまった俺の未来を――俺たちの未来を元に戻してくれ。

 男になれ――外道戦樹。


「いっ、十六夜ッ!」

「なに? 外道くん」


 向かい合って見つめ合う二人。

 空からは真っ白な雪が降りそそぐ。


「……」

「……」


 いつになく真剣な表情の俺に気がついたのか、十六夜の顔からも笑みが消える。

 沈黙が二人を包み込むと、冷たい風が吹き抜ける。


 そして――


「十六夜凪咲さんッ! ず、ずっと前から好きです! お、俺と付き合ってくださいッ!!」


 一世一代の告白。

 追い込まれてからしか行動できなかった俺とは違い、彼はすごい。


「はい……」


 差し出された手をぎゅっと固く握り返す十六夜。

 その瞬間、運命は――未来は確かに変わった。

 俺の8年間が報われた。


 もう大丈夫。

 これであの夏の悲劇はもう起きない。



 再びベンチに座って笑い合う二人。

 その小さな手はしっかりと繋がれている。

 俺は締まりのない顔でにやける俺を見届けてから、この場を離れることにした。



「ミッションコンプリート、か」


 薄暗い緑道を一人歩く俺は、


「よっしゃあああああああああッ!」


 天に向かって莫迦みたいに叫んだ。


 あとはプリウスに乗って未来に帰るだけ。

 例えこれで俺の未来が変わっていなかったとしても、もう悔いはない。

 この世界の彼女は――俺は幸せなのだ。

 それが知れただけでも、俺は満足だった。




「未来を変えて、一人満足かい?」

「え……?」


 振り返ると、そこには田中が立っていた。

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