第30話

 雑居ビルを飛び出した俺は、ただちに田中と明護たちを追おうとした。


「くそっ!」


 彼らがどちらに向かったのか、全く分からなかった。

 周囲を見渡した俺は、できるだけ高い建物を探し始めた。


「あれだ!」


 高層ビルに向かう途中、俺は近くのワークショップに駆け込み、埃まみれの双眼鏡を手に入れた。

 危険区域には電気が通っていないので、エレベーターが使えない。俺は仕方なく階段で最上階を目指すことにした。


「はぁ……はぁ……ぐぞぉっ」


 到着する頃にはすでに汗まみれだった。ここから田中との戦いを考えると、嫌になってしまうが、泣き言を言っている暇はない。


 明護たちの後を追った田中を必ず見つけ出し、彼を倒さなければならない。明護たちの安全のためにも、他に道はないのだ。


「あぁーもうッ! 何なんだよこの霧はッ!」


 瘴気によって見通しは最悪だ。

 しかしそれでも、俺は双眼鏡を覗き込み、田中を、明護たちの行方を追った。


「どこだよ、どこに居るんだよ!」


 銃声だけは先程からずっと聞こえてきているのだが、霧が視界を遮りうまく見つけられない。


 諦めかけたその時、一瞬闇の中で何かが光った。しかし、双眼鏡越しに確認するが、霧が邪魔ではっきりとした姿は見えなかった。


「あそこにいる」


 俺の第六感が囁いていた。


「さすがにこの距離は飛べない」


 そこで、俺は近くのビルからビルに【視動眼ビジョンシフト】で移動することを思いつく。リキャストタイムの3分間を待つ間、カロリーメイトやスニッカーズを食べて空腹を満たし、再びシフトする。


 明護との修行の成果がここにきて効果を示す。【視動眼ビジョンシフト】を発動しても以前ほど疲労感を感じなくなっていたのだ。

 これが明護の言っていた熟練度が上がる、ということなのだろう。


「明護!?」


 明護の姿を肉眼で捉えた瞬間、激しい怒りが俺の全身を包み込んだ。心臓は激しく鼓動し、血液が全身に広がる脈動を感じた。怒りの炎が血中を燃やし、猛り狂うように駆け巡った。


 彼女は女子高校生を守るために両手を広げ、しかし右脚は太腿の辺りからなくなっていたのだ。


 その瞬間、目の前の光景がまるで赤く染まったかのように映った。内に秘めた正義感が激しく反応し、怒りの炎をかき立てた。


「――――ッ!」


 全身が熱くなり、赤いエネルギーが鮮血のように巡り始める。筋肉は硬直し、指先からは力強い握力が生まれる。怒りの波が俺の内部で高まり、嵐のように荒れ狂った。心の中には、憤りと憎悪の嵐が渦巻いている。

 この状況に言葉は出てこない。ただ、この怒りを押し殺すことはできないのだ。


 ――――殺すッ!


 怒りに震える俺の前方で、田中が銃を構える。その先には明護と女子高校生がいる。

 明護は飛び出した女子高校生を庇うように覆いかぶさり、身を挺して守ろうとしていた。


 ――――バンッ!


視動眼ビジョンシフト】によって俺は瞬時に田中の前に現れ、気づいた時には彼の腹部に発砲していた。


「――――」

「ッ!?」


 その瞬間、世界は静寂と歪みに包まれた。田中の驚きと痛みが顔に浮かび、彼の体が硬直する。俺の鋭い視線が彼を貫き、血の匂いが充満する中、戦闘の現実が鮮明に感じられた。


「外道……」


 彼女の声は震えながらも鋭く背後から響いた。その声によって、俺の思考は一層鮮明になり、憤りの対象が明確に浮かび上がった。

 怒りは止まることを知らず、心の底から湧き上がる。抑えられていた感情が一気に解き放たれ、激しい咆哮となって表面化した。


「田中ぁああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 血潮のような怒りが俺の血液を駆け巡り、復讐の念が燃え上がる。制御不能な憤怒に身を委ね、再び引き金を引く。


 血を撒き散らしながらのけぞる田中の身体に、俺は最後の一発を撃ち込んだ。


 最後の一発が放たれると同時に、田中の身体が後ろに倒れ、鮮血が噴き出した。その瞬間、緊張感と迫力に満ちた空気が廃墟と化した街に広がった。


「――明護ッ!」


 俺は空になったウィンチェスターを投げ捨てると、明護のもとへと駆け寄った。


「よかった……あんた生きてたのね。心配したのよ」

「そりゃこっちの台詞だ!」


 青白い顔の明護は、こんな状況でも俺の心配をしてくれる。


「俺のことなんてどうでもいい! それよりお前……ッ」

「あたしなら平気よ。これくらいどうってことないわ」

「っなわけあるかッ! とにかくもう喋るな」


 明護の太腿は目も当てられないほどひどい傷を負っていた。意識を保てていることが不思議なほどだ。

 一体何をされたらこんなことになるのか、目を疑うほどだ。


 ――とにかくこのままだとまずいッ

 放っておけば明護が死んでしまう。


 混乱した頭で何とかしなければと思ったその時、俺は衣嚢に違和感を覚えた。


「……これは」


 違和感の正体はスライムが落とした白いカプセルだ。

 白いカプセルにはアイテムが入っている、以前明護が言っていたことを思い出す。


「あんた……それ」


 俺は喉を鳴らし、祈るような思いでカプセルを開けた。


 ――パカッ。


「うっ!?」


 カプセルからまばゆい光があふれ出し、いつか見た光柱が天を貫いた。

 同時に光の文字が眼前に浮かび上がった。


 アイテム ★★★★

【ハイポーション】

 効果 肉体と疲労の回復。欠損部分の完全回復。


「――――!」


 神はまだ俺たちを見捨ててはいなかった。

 普段は神なんて非科学的なものを信じていない俺だけど、今だけは心の底から感謝した。


「明護!」


 俺はすぐにハイポーションが入った小瓶を明護に差し出した。


「!?」


 しかし、明護はそれを女子高校生へと差し出したのだ。

 女子高校生に目を向けると、彼女も腰の辺りから出血していた。明護は自分のことより彼女のことを気にかけていた。


「ありがとう、朱音。だが、私は平気だ。それは朱音が使ってくれ」

「でも……」

「大丈夫だ。私はこの程度では死にはしない。だから朱音が使ってくれ」


 彼女の言葉に内心ほっとする自分がいて、なんとも言えない気持ちに苛まれる。


「ほら、貸して」


 明護が自分だけハイポーションを使うことを躊躇しているのを見て、俺は少し強引に小瓶を奪い取り、彼女の頭にハイポーションをかけた。


 すると、彼女の身体が満月のように光り輝き、ちぎれてなくなっていた脚があっという間に再生した。明護の太腿から下が、まるで何事もなかったかのように再び存在していたのだ。


「すげぇ」


 あまりの光景に、俺は驚きを隠せなかった。


「さあ、すぐにここから離れよう」


 女子高校生の怪我の具合も心配だった俺は、早くこの場から離れるように二人に声をかけた。

 完全回復した明護が女子高校生に肩を貸して立ち上がると、


「相変わらず、外道くんは容赦がないな」


 感情のこもらない声が背中をなで上げた。


「「「――――!?」」」


 その声にゾッとしながらも振り返ると、ショットガンで腹を吹き飛ばしたはずの田中がゆっくりと起き上がっていた。


「なんでまだ生きてんだよッ!」


 田中の腹部は確かに血まみれで、足元には血の溜まりができていた。しかし、田中は平然としていて、何事もなかったかのように立っていた。


「何がどうなってんのよ!」

「こいつは不死身なのか!?」


 俺は二人に近づくなと腕を伸ばし、もう一方の手で【ファイヤーボール】を作り出した。


「くそっ」


【ファイヤーボール】を放つ前に、田中のスライム状の腕がヌルっと伸びてきた。俺は【ファイヤーボール】をキャンセルして横に身をかわすが、粘着質な田中の腕が執拗に追いかけてくる。


「――させるかッ!」

「!?」


 驚くべきことに、深い傷を負っているはずの女子高校生が、田中のスライム状の腕をナイフで斬り落としてしまった。


「マジかよ……」

「僭越ながら助太刀する」

「いや、でも……」


 致命傷は避けているようだが、女子高校生の顔色はお世辞にも良くなかった。


 というか、この女子高校生めちゃくちゃ強くないか!?


 一体何が起きているんだと明護に目を向けると、


「彼女は剣帝の孫よ!」

「は?」


 剣帝ってなんだよ……?

 ここは異世界ファンタジーな世界じゃないんだぞ。

 俺は理解できずにあたふたしてしまう。


「説明はあとだ! この化物のヌルヌルは私が引き受ける。その間にあなたは先程のスキルでこいつを仕留めてほしい!」


 困惑する俺を無視して、明護が駆け出した。落ちていたハンドガンを拾い上げた明護は、まるでアクション女優のような動きで田中を牽制する。それに合わせて女子高校生が田中に近づいていく。


「なんでこんなに息ぴったりなんだよ!?」


 明護と女子高校生の二人は、長年コンビを組んでいるベテラン冒険者のような動きで田中を翻弄していた。


「田中は自身の1、2m前方にバリアを作り出す。【ファイヤーボール】を撃つなら側面か背後に回り込んで!」

「もしくは先程のように認識する前に撃ってくれ!」

「なんだよそれッ」


 回り込めないようなら、【視動眼ビジョンシフト】で眼前に移動して【ファイヤーボール】を放てという。

 無茶な注文だが、失敗すればスライム状の鞭によって身体は真っ二つ。


 俺が殺られれば二人も道連れゲームオーバー。

 かと言って、慎重になり過ぎて長引けば、女子高校生の体力が持たない。

 二人が田中を引きつけてくれている間に仕留めなければ、俺たちに勝機はない。


 そのためには……。


 俺は目を見開き、全集中。

 田中だけを視界に収め、奴の周囲に無数の【ファイヤーボール】をイメージする。


「……ッ」


 ここですべての体力を使い果たしてぶっ倒れてもいい。

 田中を確実に倒せるだけの【ファイヤーボール】を強くイメージするんだ。


「……くそッ」


 使用者の身体から離れた位置に【ファイヤーボール】を作り出すことは可能だが、その場合には使用者自身の肉体に掛かる負荷も増大する。頭蓋の奥でピキピキという奇妙な音が鳴り響き、血管が浮き上がり、破裂しそうなほどの熱さが眼球を襲う。


 緊張の中、眼球は熱を帯び、鼻血がぽたぽたと滴り落ちる。身体はもはや限界を超えており、苦痛を感じながらも、それを抑え込んでいる状態だ。


 しかし、止めるわけにはいかない。


 たとえすべての血管が弾け切れ、身体が崩壊してしまったとしても、逃げるわけにはいかない。

 命を燃やして戦わねばならない。


「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 血液が沸騰するような熱を感じると、田中の周囲にソフトボール程の【ファイヤーボール】が無数に出現する。


「――――ッ!」


 目を見開き、息を飲んだ田中がスライム状の鞭を放ってくるが、走り込んできた女子高校生が目にも止まらぬ速さでそれを斬り伏せた。


「ここは死んでも私が死守するッ!」


 JKとは思えない程の頼もしさ。

 剣帝の孫というパワーワードが精神面にかなり影響を与えているのだろう。その一言だけで全幅の信頼を寄せてしまう。

 俺の脳みそはこんなにも単純だったのかと、嬉しいやら悲しいやら。


「あんたの相手はあたしだって言ってんでしょうがァッ!」


 肩や背中に銃弾を受ける田中の表情が歪んでいく。

 まったく効いていないわけではない。


 ――いける!


 俺は全力を込めて生成した【ファイヤーボール】を田中に向けて放った。


「いけぇええええええええええッッ!」


 田中を囲むようにして現れた【ファイヤーボール】が、あらゆる方向性から一斉に襲いかかる。

 瞬間で田中の身体は爆散し、見るも無惨に飛び散った。


「うげぇッ」


 飛び散った肉片がアスファルトに広がり、香ばしい匂いと共に煙が立ち上った。


「終わったのだな……うッ」

「真紀ッ!」


 明護は膝をついた女子高校生に駆け寄る。二人は下の名前で呼び合い、まるで昔からの友人のようだった。


「ちょっと何あれ!?」

「!?」


 明護が指し示す方角には田中の頭部が転がっているのだが、次の瞬間にはパカッと顔が割れた。

 割れた顔の中からは小さな操縦室が現れた。


「何だ、あれは!?」


 操縦室には見たこともない小さな生物がいた。

 その生物は田中の顔から飛び出してきた。


「あっ、ヤベッ!?」


 生物はこちらに気づくと田中の頭から飛び降り、逃げるように駆け出した。


「逃がすかッ!」


 女子高校生が投げたナイフがエイリアン(?)らしい生物の前に深く突き刺さり、エイリアンはその場に尻もちをついてしまう。

 同時に田中の頭部が爆発する。


「マジかよ」


 見たこともない虹色のカプセルが俺の足下に転がってくる。

 金色の上があったことにも驚いたが、今はそれよりも目の前の小さな生物が気になって仕方がなかった。


「つ、捕まえて外道ッ!」

「えっ!?」

「早くッ!」


 虹色のカプセルを急いでポケットにしまい、謎の生物に近づこうとしたその時、突如空から何かが降ってきた。


「うわぁッ!?」


 激しい揺れと地響きが起き、砂埃が舞い上がる。

 やがて砂埃が消えると、そこにはこの世で一番嫌いな男が立っていた。


「…………………は?」


 ジェットスーツを着た田中が空から降ってきたのだ。


「何がどうなっているのよ……?」

「朱音……こいつは双子なのか?」


 田中とは小学校から一緒だったが、こいつが双子なんて聞いたこともない。明護も理解が追いつかない様子だった。


「今回のところは一度引くとしよう。ヒューマンエラー、君の処分は後日改めて行うことにする」


 それだけ言い残すと、田中は謎の生物を連れて飛び去ってしまった。

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