第29話
「神室……」
非常階段を駆け下り、ビルを出たところで、あの男子高校生の遺体が目の前に飛び込んできた。
やはり彼女の友人だったか。
悲しみによって、女子高校生の表情が歪んだ。
「止まらないで! 今は走って!」
「あっ、ああ」
厳しいことを言っていると自覚しつつも、今は外道が田中を引き止めてくれている間に、あたしたちはできるだけ遠くへ行かなければならない。
先程は不意の一撃を喰らわせることができたけれど、何度もそれを成功させることはできないだろう。
外道の話からも、田中がスキル習得者であることは間違いない。あたしは【外装魔力】しか習得していないため、外道の足を引っ張ってしまう。
今のあたしにできることは、彼の邪魔にならないようにこの子を連れて逃げること。可能なら、近くにいる冒険者に助けを求める。
「あなたたちはさっきの男を知っているのか? 一体どういう関係なんだ!」
「今は説明している暇はないの。黙って走って!」
あたしは彼女に振り返ることなく走り続けた。
「友人がッ、友人が3人も殺されたのだぞッ! 私には聞く権利があるはずだ!」
「……あなたねッ」
立ち止まってしまった彼女の顔は、直視するのが嫌になるほど恐ろしいものだった。
あたしは頭を抱えるように嘆息した。
「小中時代の同級生よ。もっと言えば、さっきの彼、あたしたちを逃してくれた方の彼ね。あの男は彼の仇よ」
「……彼も、友人を?」
「恋人と友人を殺されたのよ」
この世界のあたしと凪咲は生きているけど、外道が元いた世界のあたしたちは田中に殺されている。細かい説明は省き(短時間で説明できるようなことではない)、結果だけを彼女に伝える。
「なぜ警察はそんな危険な男を野放しにしているのだ!」
「証拠がないからよ」
「私の友人のッ……彼らの遺体を調べれば一発だろ!」
「そのためにも早く
彼女の手を少し強引につかみ取り、走り出そうとしたその瞬間、銃声が響き渡った。
「隠れて!」
あたしたちは急いで物陰に身を潜めた。
「田中ッ……」
片腕の田中が追ってきていた。
あれだけの傷を負いながら、田中は平然とした顔で歩いていた。
「あ、あいつは化物かッ!?」
「化物のほうがまだマシよ」
あたしは素早くライフルを構えた。
遥か彼方から、まっすぐこちらに向かって歩いてくる田中の頭部に照準を合わせる。
さっきは人を殺すという行為に躊躇ってしまったが、もう迷わない。あれはここで殺さなければならない。
「……ッ」
あたしは迷いなく引き金を引いた。
轟音が響き渡り、衝撃と共に弾丸が発射され、無慈悲な命の断片を運ぶ。
そのはずだったのだが――
「うそっ!?」
放たれたはずの銃弾が、田中に当たる少し手前で弾かれてしまった。
「そんなバカなッ!」
再びスコープを覗き込み、あたしは田中の頭部に照準を合わせた。
「なんなのよッ!」
次弾を装填し、あたしは何度も引き金を引いた。そのたびに、弾丸は田中の少し手前で火花を散らして弾け飛んだ。まるで見えない壁に阻まれているかのようだった。
「まさか、あれもスキルなの!?」
【外装魔力】によって強化された弾丸さえも弾いてしまうスキル。それに名前を付けるとするならバリアだろう。
田中はバリアで銃弾を防いでいたのだ。
「正面からでは無理だ」
「え……?」
睨みつけるように田中に目を凝らす女子高校生が、私にも武器をくれと言い出した。
「ええっ?」
私は思わず目が点になってしまう。
「できれば刀が良いのだが……」
「ないわよそんなもん。というかあんたあれと戦う気なの!?」
「やらねば殺られるのはこちらなのだろ? それに、これは千鶴、神室、雨宮、彼らの弔い合戦なのだ」
「合戦て……」
「で、武器はないのか?」
「そりゃまあ一応、ハンドガンなら一丁あるけど」
「あいにく私は銃を扱った経験がないのだ」
「でしょうね」
セーラー服と機関銃じゃないんだから、あったら怖いわよ。
「なら、これ使う?」
あたしは護身用代わりにサバイバルナイフを差し出した。
「うむ、悪くない」
なんか妙に様になってるわね、この子……。
「私は北条真紀だ。親しい友人からは真紀と呼ばれている」
「あたしは明護朱音よ」
「朱音だな」
いきなり呼び捨て!?
一応あたし年上なんですけど……。
「私のことは気軽に真紀と呼んでくれ」
「……わ、わかったわ」
こんな時に呑気に自己紹介なんてしている場合ではないのだけど……。
「あの男の正面、1m手前に防弾硝子のような透明な壁が見える。おそらくスキルによるものだろう」
「あんた見えるの!?」
あたしには銃弾がひとりでに弾け飛んだようにしか見えなかった。
「一瞬光が反射していたのだ。狙撃するなら側面、または背後からでなければ意味がない。私が接近戦で奴を仕留める。朱音は援護を頼む!」
「えっ、ちょっとッ――!?」
真紀が物陰から飛び出してしまった。
「莫迦ッ! 戻ってきなさい! あんた死にたいの!」
「案ずるな。朱音がくれたコレがあれば私は無敵だ」
「っなわけないでしょッ!」
――バンッ!
「へ……?」
田中が撃ってきた弾丸が、真紀に当たる直前で火花を散らした。
「うそ……でしょ」
真紀がナイフで弾丸を真っ二つに斬り裂いていたのだ。
なんなのよこの子ッ!?
スキルも無しに弾丸を斬るとか、どう考えても人間業じゃないわよ。
「あんた何者なのよ?」
「私の祖父は一閃流の師範を務めていてな、私も幼い頃から稽古を付けられていたのだ」
「一閃流ッ!?」
その流派には聞き覚えがあった。
日本で初めて危険度Bに該当する危険区域、そこを踏破した冒険者たちが同様の剣術――流派を名乗っていたはず。中でも彼らを率いていた老人は剣術道場を営んでおり、門下生と共に幾つもの危険区域に挑んでいた。
その人物の名は――
「――
「それは私の祖父の名だ」
ラストサムライ――剣帝と呼ばれる冒険者の孫。
一体どんな巡り合わせよ。
「剣帝の孫娘ってことは、あんたスキル持ちね」
「うむ。【外装魔力】と【身体能力向上】は習得済みだ。丸腰でなければ彼らを死なせることもなかったッ。私の責任だ」
唇を噛みしめる彼女だけど、田中はそんなに甘い相手ではない。
しかし、この窮地を脱するためには、彼女の力が必要だった。
「援護はする。けど、絶対に無理はしないこと。勝てないと判断したらすぐに撤退する。守れる?」
「うむ。蛮勇戦場に死すとは祖父の教えだ。真の強者は見極め退くことのできる者だと教えられた。私は阿呆だが愚か者ではない」
一人ビルに残った外道のことも気がかりだし、ここは彼女に賭けるしかないわね。
「――――いざ、勝負ッ!」
「ばっ、行くなら行くって言いなさいよ!」
制服のスカートをはためかせた真紀が、信じられないスピードで田中の元まで駆けていく。田中はハンドガンで応戦するも、真紀は人間離れした身体能力で次々と弾丸を斬り裂いた。
そのたびに、苛烈な火花が真紀の周囲に飛び散った。
「なによあれッ!?」
田中まであと少しというところで、ちぎれたはずの田中の右腕が、肩の辺りからにゅるにゅると伸びはじめた。
液体のような半透明なそれが鞭のように真紀を襲う。
彼女は寸前のところでそれを躱したが、あれでは田中に近づくことは無理だ。
「――ッ! 朱音!」
「あたしを信じて突っ込みなさい!」
あたしは物陰から飛び出すと、すかさずライフルを構えた。
そして、ただひたすら引き金を引く。
田中自身を狙ってもバリアで弾かれてしまうけれど、バリアの外に出た触手ならば撃ち抜ける。案の定、触手は撃ち落とすことが可能だ。
あたしは真紀に襲いかかる触手を撃ち落とした。
「これならいけるッ!」
叫ぶ真紀の口元がにやりと持ち上がった瞬間、彼女は勢いよく地面を蹴りつけた。
真紀の身体は【身体能力向上】によって人間の限界を容易に超え、風と一体となり、刃の速度と威力を極限まで高めた。そこから放たれた一振りはまるで流星のような迫力を持っていた。
――勝った!
そう確信したのだが、
「えっ!?」
真紀の刃は田中の首には届かなかった。
「――――ッ!?」
真紀の目が驚愕に見開かれる。
田中は臨機応変に鞭から刃に切り替え、真紀の一撃を受け止めていたのだ。真紀は押し返されるように後方へ跳び、着地すると同時に再び田中に向かって突進した。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」
雄叫びを上げる真紀。
瞬間、目にも止まらぬ斬撃の嵐が巻き起こった。
刃と刃が激しくぶつかり合い、炎と火花が飛び散った。その攻防は凄まじく、空間が歪むほどだった。あたしにはほとんど見えなかった。
「まだだぁあああああああああああッ!!」
あたしには起こっていることの半分も理解できなかった。にらみ合う二人の間で、火花が飛び散っているようにしか見えなかった。もはや人間の戦いではない。
しかし、なぜか胸騒ぎが消えることはなかった。真紀は凄まじい気迫で田中を追い詰めているように見えたが、なぜか田中に追い詰められているようにも思えた。
僅かな時を刻むたび、真紀の顔は険しく悲壮なものに変わっていく。
ここは一度後退すべきだと思ったその矢先、雷のように鳴り響いていた轟音が唐突に消えた。
「真紀……!?」
突然、真紀が吐血したのだ。
「ぐぅぅッ……な、なんだ……ごれぇ」
真紀の左腰には黒いものが突き刺さっていた。それは地面から伸びた影だった。
「……かげ?」
田中は自身のスキルで影を槍のように変え、死角から真紀の身体を貫いた。
「う゛ぅッ……」
影を叩き斬り、ゆっくりと後ずさる真紀を、田中は冷酷な眼差しで見つめていた。感情などなく、ただ息の根が絶えるであろう虫を見るかのように。
「真紀、逃げてッ!」
あたしは無我夢中で駆け出し、田中の側面に回り込んで引き金を引く。
真紀が逃げる時間を少しでも稼ごうと必死だった。
「もう、それはいいよ」
「――――ッ!?」
田中の目が一瞬でこちらに釘付けとなり、地面からスーッと影が伸びてきた。その影があたしのライフル銃を一刀両断した。
しかし、立ち止まるわけにはいかない。
「この化物がッ!」
あたしは迅速に腰に装備したトカレフTT-33に手を伸ばし、田中の背後に回り込んで引き金を引く。
「くそっ!」
けれども、銃弾は田中が振り向いた瞬間に彼のバリアによって完全に弾かれてしまった。
それでも、諦めるわけにはいかない。
「あんたの相手はこのあたしよ!」
空になったマガジンを捨て、新しいマガジンを装填する。
放たれた弾丸はすべて田中の前方で弾かれてしまうが、それでも構わない。
田中がこちらに注意を向けている間に、真紀だけでも逃げてくれればそれで十分だった。
「真紀、今のうちに逃げなさい!」
距離を詰め過ぎると影の射程範囲に入ってしまう。効果範囲が明確でない以上、ある程度の距離を保ちながら攻撃する必要があった。
「こいつは化物だ! 私に構わず、朱音が逃げろ!」
「バカ言ってんじゃないわよ! 子供を助けるのは大人の役目だって、またあのバカに説教されるのはごめんなのよ!」
「朱音……」
「元々こいつはあたしたちの敵なの。あんたはあたしたちの戦いに巻き込まれただけなのよ。だから気に病むことなんてない。あんたは生きなさ――――ッ!?」
突然、田中がこちらに向かって走り込んできた。
「――うッ!?」
「8発、撃ち切ってしまえばマガジンを変えるまでの時間無防備になる。その間に僕が何もしないと思ったのかい?」
「かぁッ……ァあっ」
「朱音ッ!」
気がついた時には田中が眼前にいた。
液体状の義手に首を掴まれたあたしの身体は、為す術もないままに宙に浮き上がる。
――苦しい。
「そういえば、明護さんには腕を吹き飛ばされたんだったね」
冷たくて硬いものが左の太腿に押し当てられる。
そして次の瞬間――バンッ!
突然の激痛が全身に広がった。
あたしは激痛に身をよじらせ、暴れた。痛みはまるで炎のように、あたしの血肉を焼き尽くすかのように感じられた。
「あぁ――――――ッッ!!」
田中は何度も何度も執拗に、あたしの右太腿に向かって発砲を繰り返した。
そのたびに、あたしは意識を手放しそうになったが、田中はそれを許さなかった。
意識の扉が閉じそうになるたび、スライムが鼻や口に入ってくる。
――ぼとっ……。
そして遂に、あたしの右太腿が地面に落ちた。
悲鳴は出なかった。
痛みはもう感じられなかったのだ。
「朱音ぇええええええええええッ!!」
声を失ったあたしの代わりに、彼女の悲鳴のような叫び声が街に響き渡った。
瞬間、あたしの身体がふわりと宙を舞った。
突進してくる真紀に向かって、田中があたしを投げた。まるでゴミを捨てるかのように。
「朱音!」
あたしを受け止めた真紀の顔はひどく傷ついていて、その表情を見るだけで胸が締め付けられる。
「私のせいだ! 私が蛮勇になってしまったばかりにッ!」
「……違う。あなたは巻き込まれただけ。だから、気に病むことはないの」
「でも、でも……」
「あたしに構わずあなたは逃げて。死んだ友達の分まで生きるの」
「――残念だけど、逃げられないよ。明護さんとその他1はここで死ぬ」
無表情な男が淡々と話す。
「……あ、朱音」
あたしは腕の力だけで上体を起こし、彼女を守るように両手を広げた。
「あんたの思い通りになんてさせない」
もうあたしには何もできないけれど、それでもこんな奴に屈したくなかった。
「その足では逃げられないし、じきに出血多量で明護さんは死ぬ」
「だとしても、彼女は死なない。あんたには殺させない!」
「確かに、致命傷は外されてしまったみたいだ」
田中の黒い双眸があたしを飛び越え、真紀を捉えた。
きっとあたしのことは死人程度にしか思っていないのだろう。
「あんたの目的は一体なんなのよ! あんたは一体何がしたいのよ! どうせ殺すんなら教えてくれたっていいじゃない」
「人類を正しく導くこと、それが僕の目的だ」
「人類……?」
この男は、本当に田中なのだろうか...?
「それと外道と何の関係があるのよ! なんで執拗に外道を狙うのよ!」
「外道くんは危険な存在だ。しかし、同時に特別な存在でもある」
外道が特別な存在......?
それは彼がタイムトラベラーだからなのか。だとしたら、タイムマシン装置を奪われた時点で、外道は特別な存在ではなくなっているはずだ。同時に危険な存在でもない。
「やっぱりあるのね! この世界のどこかに、時空幻石が! あんたは外道が時空幻石を入手して、再びタイムマシンを作り出すことを恐れているのよ」
「……」
「あんたの目的が何なのかは知らないけど、あいつはマッドサイエンティスト! あんたなんかじゃ止められないわよ!」
「話しすぎたようだ」
田中が銃口をあたしに向けると、真紀があたしを庇うように身を乗り出す。
「何やってんのよ! あんたは逃げなさい!」
「ずっと助けられっぱなしで逃げるなんてできるわけがない! 恩人が殺されるところを黙って見ていることなんて、私には無理だ!」
勇ましいセリフを吐き捨てた彼女の顔色は悪く、身体も微かに震えていた。
彼女はあたしなんかよりずっと強いけど、まだ高校生。大人であるあたしが守らないと。
「!?」
「あなたはあたしが守る!」
彼女の腕を掴んで引き寄せたあたしは、銃弾から彼女を守るために覆いかぶさった。
恐れや恐怖といった感情から目をそらすため、あたしはぎゅっと瞼を閉じた。
それから1秒と経たずに耳をつんざく銃声が響いた。
しかし、新たな痛みが襲ってくることはなかった。
一体何が起きたのかと目を開くと、そこにはあたしたちを守るように、一人の男が銃を構え立っていた。
「……外道」
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