第27話

「……酷いな」


 冒険者に教えられたビルの前までやって来ると、半壊したビルの入口で仰向けに倒れた男子高校生の遺体を発見した。

 遺体はきれいに頭を撃ち抜かれていた。


「――外道、ちょっとこっちに来てくれる!」


 明護に呼ばれてビルの中に足を踏み入れると、ビル内は血の臭いが充満していた。俺は思わず手で鼻先を覆っていた。

 次いで目に飛び込んできたのは壁に書かれた【田中参上ッ!】の文字。


「ッ……田中」


 その文字を見た途端、トラウマスイッチが入ってしまい、胃から酸っぱいものが込み上げてくる。ほとんど吐き出してしまう寸前だった。


「大丈夫、外道?」

「……ああ」


 怯えながらも、なんとか自分を取り戻した俺は、不気味な文字を凝視し続けた。それは何度も何度も脳裏に焼き付けられていく。【田中参上ッ!】の文字が、まるで俺の中に刻み込まれるように感じられた。


「外道、これ見て!」


 俺の代わりにライフル銃を構えながら周囲を警戒してくれていた明護が、何かを発見したのかその場に屈んでいた。


「これって」


 落ちていたものは、今風の可愛らしい手鏡だった。


「まだ新しいわよ、これ」


 床に転がっていた手鏡は、埃一つついていなかった。まるで先程まで誰かが使用していたかのようだ。


「他にも誰かいたんじゃないかしら」


 もし他に誰かがいたとしたら、手鏡の持ち主はどこに消えてしまったのだろう。周囲を見渡してみるが、辺りには誰の気配も感じられず、争った形跡なども見当たらない。


 その時――カダンッ!


「「!?」」


 上から大きな音が響いた。

 俺たちは二人揃って天井を見上げた。


「ネズミ……かな?」

「でも、大きすぎるわよ」

「確かに」


 予想もつかないほどの大きな音が響いた後、俺たちは天井をじっと見つめていた。


「これは女の勘なんだけど、多分いるわよ。この感じ」

「……願ってもないことだ」

「顔、引きつってるわよ」

「嬉しすぎてどんな表情すればいいのかわからないだけだ」


 遅かれ早かれ、俺はタイムマシン装置を取り返すためにも、もう一度田中と戦わなければならない。

 なら、ここでビビっていたって仕方がない。


「行こう」


 震える足に力を込め、俺は一歩前へと踏み出した。


「慎重に進みなさいよ」

「了解だ」


 階段を使って2階に移動した俺たちは、かつてスナックやBARが賑わっていた店舗の扉を開け、一室ずつ内部を確認していく。


「こっちにもいないわね」


 5階建てのビルを二人で徹底的に探索する。2階、3階と調べ終え、4階に到達した瞬間、俺たちは同時に足を止めた。


「外道……」

「ああ、人の気配がする」


 その時、うめき声が不気味に響き渡る。

 俺たちは黙って頷き合い、ショーパブだった店の扉を開けた。


「うっ」


 血の臭いが鼻を突き抜け、生暖かい風が不気味に肌を撫でる。


「んっ〜〜〜〜〜〜〜!!」


 そして、店の奥から再びうめき声が聞こえてきた。

 明護はライフル銃を再び構え、いつでも撃てるように完全な態勢に入る。俺もショットガンを構え、スキル【ファイヤーボール】を繰り出す覚悟で集中力を高めた。


 その時、暗闇の中に何者かの影を見た。

 恐怖が肌にしみつく中、俺たちは最大の注意を払いながら店の奥へと進んだ。


「「――――ッ!?」」


 そこで俺たちは信じられない光景を目にすることになる。


「うッ、うぅッ……」


 俺たちは二人揃ってその場で嘔吐した。

 客席のテーブルに、まるでオブジェのようにバラバラの人間が飾られていたのだ。


「な、なんなんだよこれ!?」


 俺たちはゾッとしながらも、衝撃的な光景を目の当たりにして立ち尽くしてしまった。バラバラになった人間の部品が、客席のテーブルに不気味に配置されている様子は、まるで猟奇的なアート作品のようにも見えた。


 明護が震える声でつぶやいた。


「一体、誰がこんな酷いことを……」

「田中だ……。あいつ以外考えられない!」


 俺は田中との対決を想像し、恐怖と憎しみが胸に湧き上がった。


「外道、あそこ!」


 明護は店の奥にある半円形状のステージを指さした。

 そこには猿轡を噛まされ、椅子に手足を縛りつけられた少女の姿があった。


 俺たちは恐怖に震えながらも、その場に立ちすくんでいる暇はなかった。少女の姿が俺たちの目に飛び込んできた瞬間、彼女の命が危険にさらされていることは明らかだった。


「すぐに助けないと!」


 俺の声が震えながら出たと同時に、明護も同意を示した。怯えながらも店の奥のステージに向かって駆け出すと、舞台袖からはキュルキュルとバーカートを押す男が現れた。



「――――ッッ!?」


 エプロン姿の男が押すバーカートには、バラバラに組み立てられた少女の遺体が乗せられていた。それはまるで生ける屍のようだった。


「思ったより早かったね。見ての通り、まだ飾りつけ終わってないんだ」


 端正な顔立ちに、光を一切映さない洞穴のような目。

 あの頃よりも身長はかなり伸びているが、間違いない――こいつは田中だ。


「田中……」

「今の外道くんと会うのは……学校の屋上以来でいいんだよね?」

「てめぇ……死んでなかったのか」

「?? ……死んだよ。あの時の田中は外道くんが殺したじゃないか」

「は?」


 死んだ……?

 あのときの田中とはどういう意味だ。

 こいつは別の世界線の田中なのか?


「ぴっ……ぴぴ、うん。そうだね。彼は観察対象としては実に興味深い存在だ」


 ――いや、違う。

 こめかみに指を当てながらぶつぶつ独り言を話すこいつは、確かに2014年のクリスマスイヴに対峙した田中だ。見間違えるはずがない。


「お前が死んだってのはどういう意味だ。お前は今もこうして生きてるだろ!」


 俺は混乱した頭で尋ねていた。


「そのままの意味だよ。それよりも僕は外道くん、君のことが気になるな」

「俺のことが気になる?」

「あの日、2014年12月24日。君は別の時間軸からやって来た。だが、だとしたら不可解な点が一つだけある」

「不可解な点……?」

「君は一体どこでコレを手に入れたんだい?」


 田中が衣嚢から取り出したものは、タイムマシン装置にセットしてあったはずの時空幻石だった。


「やっぱりお前だったのかよ!」


 田中に向かって叫んだ。


「なぜ君がコレを所持していたのか、それがどうしても理解できない。君は一体何者なんだい?」

「知るかッ! っんなことよりそれを返せ!」


 しかし、田中は冷静な表情のまま答えた。


「それはできない」


 そして、田中は時空幻石を床に叩きつけた。


「――――あっ!?」


 時空幻石が粉々に砕け散ってしまった。


「そ、そんな……」


 俺は驚きと絶望が入り混じった表情を浮かべ、時空幻石の破片を見つめた。

 これでは過去に戻ることはもうできない。

 俺がa世界線の明護を救うこともできなくなってしまった。

 希望が粉々になってしまった瞬間、全身の力が抜け、俺はその場に膝から崩れ落ちた。


「どうして……」


 俺の声は悔しさに震えていたが、田中は冷静な表情のまま答えた。


「君は時空幻石をどこで入手したんだい? あの世界、あの時間軸にはまだ存在していなかったはずだ」

「存在……していなかった?」


 俺の思考は混沌としていた。考えがまとまらず、心の中は混乱に包まれているようだった。

 それでも、俺は田中の言葉の真意を理解しようと努力した。


「存在、していなかった……? どういう意味だ」


 田中は俺を無視し、相変わらずこめかみに指を当てながら独り言を言っていた。


「ぴっ、ぴぴ……そうだね。外道くんは観察対象としては確かにユニークだ。ぴっぴ……うん、僕もそう思うよ。ぴぴぴ……本当に殺してしまうのかい? ぴっぴぴ……それは僕も賛成だ。しかし、彼がどこであのアイテムを入手したのか、それを調べることも重要だ。ぴぴっ……うん、そうだね。彼は生きたまま捕らえよう」


 田中の言葉に、俺は緊張感を感じた。彼の冷静な態度と、明確な目的意識が、今まさに自分が危険な状況にあることを示していた。一瞬の迷いもなく、田中は俺を捕らえようとしているのだ。


 恐怖と焦燥が心を支配し始めた。時空幻石が粉々になり、過去への希望が打ち砕かれたことに加えて、今度は自分自身が田中の手に落ちる危険性が迫っているのだ。


 背中に冷や汗が浮かび、俺は悔しさと無力感に苛まれた。運命が容赦なく襲いかかり、俺を窮地に追い込んでいる。このままでは全てが終わってしまう。


 その時だった。


「しっかりしなさい! 外道!」


 闇に呑み込まれそうな俺を、光のような声が照らし出す。


「……明護」


 彼女は女子高校生の拘束を解き、田中に向かってライフルを構えていた。


「今は余計なこと考えなくていいのッ! 生きて危険区域ここから出ることだけを考えなさい!」

「でも……」

「田中の口ぶりからすれば、時空幻石は一つだけじゃないはずよ。探せば必ず他にもある! だから今は全力で生き抜くことだけを考えなさい!」


 彼女の声に勇気をもらった。

 いつまでも膝から崩れ落ちたままでいるわけにはいかない。

 逃げることも、立ち向かうこともまだできるはずだ。


 俺は周囲を見回し、逃げる経路を探す。田中はまだ近づいてはいないが、彼の冷静さからして、迅速に行動を起こさなければならないことは明白だった。


「明護、その子を連れてすぐに退却だ!」

「了解!」


 しかし、田中は撤退することを決めた俺たちの前に立ちはだかった。


「本気で逃げられると思っているの? それに明護さん、君はいらないから殺すよ?」


 ――バンッ!


「――――ッ」

「やれるもんならやってみなさいよ、田中ッ!」


 怒りに身を任せた明護が、躊躇うことなく田中の右肩を撃ち抜いた。

 田中の右腕は肩の辺りでちぎれてしまい、床の上を玩具のように転がった。


「マジかよ……」


 あまりの出来事に、俺は言葉を失っていた。


「……あーぁ、取れちゃった」


 田中はレゴブロックの腕が取れたかのような薄いリアクションを示した。

 彼には痛覚がないのだろうか、その表情も一切変わらない。


「ぴぴっ……そうだね。まずは邪魔な明護朱音とその他1を始末しよう」


 田中の黒い双眸が明護たちに向けられた。

 俺は田中から二人を守るために立ち向かう。


「――明護! その子を連れて逃げろ!」

「何言ってんのよ、あんたも一緒に行くのよ!」

「いいから先に行けッ! こいつの狙いはお前たちだ!」


 少しでも俺が田中を引き留める。

 大丈夫。

 田中は俺を生け捕りにすると宣言したのだ。万が一敗北したとしても、俺が殺されることはないだろう。

 ならば、ここは二人が逃げる時間を稼ぐしかない。


「すぐに追いつくから心配すんな」

「無茶、するんじゃないわよ」


 二人が店から出ていく音を背中越しに聞きながら、俺は田中をにらみつけた。

 二人が逃げる時間を稼いでみせると。

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