第33話 35歳のプロポーズ
「悪いね、宴会でもしてたかい」
部屋から離れて、上へと続く階段に座り込む。
「……いえ」
宴会なら、どんなにラクだったか。
「送ってもらった写真見たよ。あとでみんなにも言っとくけど、ありがとうね」
「いえ、俺も手を合わせておきたかったですし」
「あの人も喜んでると思うよ、美女に囲まれてさ」
乾いた笑い声が耳を撫でた。
「あの人女好きなんだけど、わたしにゃちゃんと報告する、変に律儀な人でね。コスプレイヤーの誰々と知り合ってさ~って、あんたそれわざわざわたしに言うのかよって。そのくせ『でも愛してるのは雅さんだけだから!』とか平気で歯の浮わついた台詞を言ってくるんだよ、まったく。そう、あとガンプラもね。大して作らないクセに、すぐ買ってくるんだから。部屋が狭くなってしょうがないよ。おまけに家事もロクにできやしないし、かろうじてできるのは料理だけで、それも焼きそばくらいで……」
家での宇野さんは知らない。こんな言い種だが、案外日下部さんに甘えていたのかもしれない。ただひとつだけ確実なのは、日下部さんが唯一のパートナーであったこと。そこに変わりはない。
結ばれても、理不尽にこうやって取り残されることもあるのが、この世の理だ。
「……虚しくないですか」
宇野さんは話を止めた。
「……あ」
つい口を衝いた言葉に自分ながら戸惑い、胸を押さえた。なんてこと言ってんだ。こんな時に出していい言葉はじゃないだろ!
「虚しいよ。でもね、これは愛しい虚しさだ」
すみません――と謝る前に、返された。声色は変わらず、むしろふわりと柔らかく温かい。
「わかりません、俺には。恋人すらいたことがなかったので」
また、口を衝く。どうしてこんな時だけ、思ったまま言葉にしてしまうんだ。どうして受け流せないんだ。
「なに言ってんだい。わたしだって恋人なんかいたことないよ。昔から無愛想な顔してたからね」
「……え? 日下部さんは」
変に高い声が出る。宇野さんの微かな笑い声。
「あの人はね、伴侶だよ。恋人だった時期もない、交際0日でいきなり一緒になったんだ。恋人はいた方がいいかもしれないが、必ずしも必要じゃない。人生においては、伴侶の方がずっと大切だ」
「は、はぁ……」
そういえば、ふたりの馴れ初めをあまり聞いていなかったと今さら気付く。
「あの人と初めて会ったのは35の時でね。それまでは仕事しかしてこなかった。若い頃はわたしも結構尖ってて色んな人とぶつかった。当時はまだ『女だからどうこう』ってのもあったし。けどなんだかんだ印刷の仕事が好きで、辞められなくて」
しみじみと噛み締めるような口調。俺は無言で促した。
「30も半ばになってやっと落ち着いたんだけど……今さら結婚も何もないか、仕事好きならそれでいいし、と思ったところで……昌哉に出会ったんだよ」
弾む。声だけでうれしそうな様子が伝わってきた。
「当時の同僚経由で、コスプレの同人写真集を作りたい人がいるっていう相談で。そこに昌哉がカメラマンとして加わってたんだ。打ち合わせして詳細を詰めて入稿して、無事同人誌ができて終わり……と思ってたら、突然言われたんだよ。『宇野さんと僕、すごく合う気がするんです。なのでプロポーズします。伴侶になってください』って」
「……は?」
口を衝くというより、漏れ出た言葉。
「そうなるだろう? 呆れちゃうよな。それにてっきりレイヤーの彼氏だと思ってたし」
ははっと軽く笑いつつ、宇野さんは「でもな」と継いだ。
「その時は、なぜか断るっていう選択肢が浮かばなくて。後で悟ったよ。この人は、伴侶ならありなんだって。噛み合うんだ。背伸びしなくてよくて、何でも言い合えて、謝り合うことができる相手。稀なケースかもしれない、けれど時にはあるんだよ。恋人をすっとばして一緒になれる、そういう運命の伴侶ってのがさ」
「……運命の伴侶」
前髪を掴んで考える。俺は……どうすればいい。
「恋人から伴侶になっていく、確かにそういう人は多い。けど、あんまり常識の枠で計りなさんな。人はひとりずつ違うんだから。35歳から人生変わることだってあるんだ」
どうすればいい、じゃない。どうすべきかでもない。どうするか、なんだ。
「……少し長電話になったな。すまん。いずれにしろ決めるのは、お前さん自身だ。雨見くんは考えすぎるところがある。でもその分、いい加減な決着はつけない。どんな決断でも応援するさ。自分を信じな、まがりなりにも35年しっかり生きてきたんだから」
宇野さんは黙った。俺に譲るかのように。
「……ありがとうございます。腹が決まりました」
「そうかい。じゃあ、報告楽しみにしてるよ」
それを最後に電話は切れた。
「…………」
目を瞑る。
――俺の人生が誰かのためになるのなら。誰かの人生が俺のためになるのなら。これからの人生を分け合うのなら。
幸せにしなきゃと囚われていた。だから幸せにできないと思っていた。
そうじゃない、一緒に幸せになるんだ。
だとしたら、俺の隣にいてほしいのは――。
わかってた。本当はこの気持ちに気付いてたんだ。でも、押し込まなきゃと思ってたのは他でもない自分自身だ。
「…………」
自分の部屋の前に立つ。
気張れ、俺だって、だてに35年間生きてない。
「……待たせてごめん」
ドアを開けると、みんな立ったまま待ってくれていた。笑顔で。不安な表情を盾にするのは卑怯だから。たとえ結ばれなかったとしても、笑っていたいんだ。
俺はもう逃げない。恋人はいなかったけれど、ともに人生を分け合う伴侶なら、いてもいいと思えるから。
――ならば、言うべき言葉は。
「これからの人生、俺と幸せになってください!」
頭を下げて、右手で彼女の手を取った。
そして――温かい手で握り返された。
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