第19話 13年前の一言

「もう隠すのやめた! 私、ずっと好きだったの! アンタのことが!」

「俺も、俺もだよ! お前のことずっと好きだった! よろしくお願いします!」


 しがないワンルームに、また俺の声が響く。すぐ右隣に座る星浦に目をやると、じっと俺を見据えたまま、唇を開いた。


「……ちょっと声が上擦りすぎかな」

「し、仕方ないじゃん! 演技なんかしたことないんだから!」


 付き合ってよ――と言われて「え」と一瞬呆け、言葉を探して戸惑う。その隙に「これ」と星浦がバッグから出してきたのは、1冊の台本。


「ここは友人の恋をアシストして成就させた主人公が、直後に自分の恋心を自覚する大切なシークエンスなんだから」


 明日の仕事で使う台本とのこと。少女漫画のアニメ化作品で、星浦は主人公の友人を演じている。

 そして今、俺は星浦と並んで座り、1冊の台本を片方ずつ掴んでいた。つまり『演技の練習に付き合って』という意味。そんなことだろうと思った。


「言われたってさぁ、こっちはマジもんの素人だよ」

「ごめんごめん。でもありがと。イメージ膨らんだ。やっぱ誰かにやってもらうと違うわ」


 クスクス笑いながら、星浦は台本を閉じた。 


「……あのさ、うちがデビューした時のこと、覚えてる?」


 本をバッグにしまうと、不意な質問。白いうなじが見える。


「あれでしょ? 『よつどもえ』でしょ」


 大学4年生の秋、今から13年前。当時、週刊少年漫画誌〈チャンプ〉で連載されていた4つ子の学園4コマ『よつどもえ』のアニメが放送されていた。時間は毎週木曜日の22時55分から23時、いわゆる5分アニメ枠。主演は当時のアイドル声優グループ。

 原作好きの俺はアニメも毎回見ていたのだが、第5話で見知った名前があるのに気付いた。



 助田すけた万子ばんこ 星浦あゆみ



「そ。『よつどもえ』のスケバンキャラ、助田万子。まあ1回しか出なかったんだけど……それで雨見が〈見たよ!〉って言ってくれたじゃない?」

「そういや、そうだったな」


 放送の翌日、たまたま図書室にひとりで座っていた星浦を見かけた。それで「昨日の『よつどもえ』の助田万子、星浦だよね! 見たよ! すげえキャラの特徴掴んでた」と久しぶりに声を掛けた。

 しかして、それ以降は確か『よつどもえ』の話がメインになり、典型的な相手の反応を無視したオタトークを繰り広げてしまった気がする……。


「あの時さ、めちゃくちゃうれしかったんだよね。だって、褒めてくれたの、あんただけだったから」

「え、なんで!?」

「うちのいた音楽学科には、もう歌手デビューしてた人がいたじゃん? その人の話題で持ちきりで、そもそも友達もいなかったから、だーれもうちのことなんか見てなくてさ」

「……そうだったのか」

「親もあの時はナーバスで。せっかくデビュー決まったって話しても『30分アニメの主演ならともかく、5分程度のアニメの端役ってこの先大丈夫なのか』とか言われちゃって……ま、大学4年の秋で就活しないでいたら当然ですわな」


 あっはっはと味気のない笑い。わかる。別に親を恨んでいるわけでも、根に持っているわけでもない。けれど、親とぶつかった時の記憶は、年を食ってもなかなか忘れられないものだ。


「……雨見だけが、見つけてくれた。ごめん、うまく返せなくて。あの時は親とぶつかった直後だったから、うちも自信持てなかったの」


 でもね、と星浦は俺の腕に体を寄せた。デニムジャケットを脱いだ星浦と、ワイシャツ1枚の俺。薄い布しか隔てていない、35歳の肌。


「『見てくれる人が、どこかに必ずいるんだ』って思えて……自信になったんだ」


 体温が混じり合う。星浦は俺を見る。


「だから今、声優・星浦あゆみがいるのは、雨見のおかげ」


 にこりと笑いかけられる。眩しすぎて、俺は「そ、そうか」と口ごもって顔を逸らした。

 俺は、順調にステップアップしていく星浦が羨ましかった。そう思う資格すらないのに。

 星浦は確かに脇役が多かった。それでもレギュラーは多く、至る作品でその名を見かけた。そして30歳――俺がアサマに入社した頃、ようやく主演を掴んだ。

 30分枠のオリジナルアニメ『彩る未来のあなたから』という、魔法が当たり前にある日本が舞台の作品。少しファンタジックな青春成長ストーリー。星浦は未来から現代にタイムスリップしてきた女子高生を演じていた。

 世間的正直ヒットしたアニメとはいえない。けれど俺は、愛情がわからずモノクロの世界に生きていたヒロインが再生していく姿に、胸を打たれた。

 そうして三十路になって、気付いた。俺は何をしたかったのか。

 小説家――ライトノベルの――になりたかったんじゃないのか。そのために大学も文芸学科に入ったんだ。

 俺は、また小説を書き始めた。公募も始めて一次落ちばかりして、やっと自己満ではなく読者を意識することが大事なことに気付いて、書店で実地調査を始めた。どんな人が実際にライトノベルを買っていくのか、その顔を見るために。

 そんな半年前の4月初め。池袋にあるレンガ堂書店で星浦と再会した。


「――あれ、雨見、だよね? 久しぶり! うち、同じ大学だった、星浦」


 そう言って、星浦はマスクをあごにずらした。


「あ、お久しぶり、です……」

「ちょっと、同い年で敬語はないでしょ」


 その一言で、その笑いかけられた顔で、不思議と一気にフラットに戻った。

 星浦はオーディションのため悪役令嬢モノの原作を買いに来ていた。しかも、谷山荘のすぐ隣に建てられた新築マンションに入居していると言う。俺の方はよもやま話の流れで、小説を書いて応募していると打ち明けた。


「へぇ~! じゃあデビューして売れたらさ、声当てさせてよ」

 ふふっと微笑む星浦に、正直思った。


(まぁ、この場限りのお世辞だろうな)


 でも、星浦はこんな約束を覚えていてくれて――


「――ねぇ」

「あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」

「……今月の28日って空いてる?」


 見つめられたまま、問われる。

 10月28日。ハロウィンの季節、若葉先輩に頼まれた〈来月のこと〉の当日だ。


「先約ある。すまん」


「……そっか。ごめん、急だったよね」


 唐突に、星浦は体ごと俺に寄りかかってきた。


「ちょっと気持ち悪くなってきちゃった」


 細いその体を押し付けるように。


「疲れてるんだよ、もともと」


 言うと、のしかかってくる。


「もっと、もっと支えてよ。ほら、ほら」


 軽やかに笑って、遠慮なくよりかかる星浦。


「わかった。わかったよ」


 俺もなぜだが笑って応える。

 星浦を羨ましいと思った。星浦と比べて俺なんて、と卑屈になった。それは、星浦をすごいと思って、尊敬することの裏返しでもあって。

 けど今だけは。一人の人間として、支えてあげたい。俺が支えられるのなら。


「ホラ」


 そう思って、その肩を抱いた。


「へへ……あんがと」


 子どものような声。目にはつやつやの髪とつむじしか見えない。

 もちろん、髪に触ることはしなかった。その勇気もない。


「――なんか、デジャヴだな」


 東京タワーでのことを思い出した。あの時もつんのめった犬井さんの肩を受け止めて――


「……は?」


 低い声。あまりに勢いよく星浦が起き上がるので、俺は思わずのけぞった。


「何? デジャヴって……」

「いや、実はつい昨日も、女性の肩を抱く機会があっただけで……」

「どんな機会だよ!」


 体を離し、俺を視線で射抜く。眉間に川ができるほど皺を寄せて。


「付き合ってる人がいるのに、うちのこと家に入れたの? 言えよ、先に」

「ち、違う! 付き合ってないよ。断ったんだよ」


 すぐに言葉のチョイスをミスったと自覚。どう考えても根掘り葉掘り訊かれる、墓穴を掘った台詞。


「断ったって何? 告白されたってこと?」


 案の定、星浦は穴が開くほど俺を見つめて。

 ……隠しても仕方ないか。それに、そもそも星浦にどうこう言われる筋合いは本来ない。星浦が仮に西邑さんと本当の仲であったとしても、俺が何も言えないように。


「実は昨日、この前言った25歳の新入社員の子に告白されて……断ったんだ」

「……その子、あんたのどこが好きだって?」

「犬井さんは、俺のこと見て見ぬふりをしない人で、誰にでもできることじゃないって」

「犬井さんって言うんだ……で、なんでフッたの?」

「だって、無理だよ。今まで誰とも付き合ったこともない、35のおじさんが。あんなかわいくていい子の恋人になんかなれないよ。犬井さんは、男の人は見かけやお金とかより優しさと誠実さだって言うけど、誠実さがあって背が高くて年収もある男性はいっぱいいる。俺身長167で年収320万だぜ? 俺はいつだって誰かの下位互換なんだよ。彼女の期待なんか応えられない。仮に付き合っても、減点になっていくばっかりで……」

「バーカ! 起きてもねえこと心配してんじゃねえよ!」


 怒鳴り声。ようやく俺は、星浦から目を逸らしてフローリングを見ていたのだと自覚した。


「ここで決めなきゃ一生独身だぞ! 35なんだから!」


 肩に衝撃。視界が揺らぐ。突き飛ばされたのだ。


「35歳からは卵子だけじゃなくて精子だって劣化してくんだよ? 普通って言いたくはないけど……35から40が、結婚して家庭を持てる最後の5年間なんだよ! わかってる!?」

「こ、この前は35でも大丈夫とか言ってたくせに」

「だから35の内に決めとけってことだよ!」

「え、ええ……俺には無理だよ」

「うちのこと励ましといて、今さら無理とか言うな!」


 起き上がったが、今度は脇腹に衝撃。星浦が俺を蹴っていた。ゆっくりとした蹴りは痛くはなかった。けれど、辛くはあった。


「足揉め!」

「さっきいいって」

「さっきはさっき、今は今!」

「……」


 裾を上げる。永久脱毛しているのか、星浦の脚にはすね毛一つない。細いそのふくらはぎを、軽い力でもみほぐしていく。


「……あっ、ふぅ……」


 時折、悩まし気とでも言うような息を吐き、星浦は目を閉じた。

 それきり何も言わなかった。俺も何も言えなかった。

 こうして、いつの間にか事は終わっていた。西邑さんと越沼さんは正式に婚約発表をし、星浦を巻き込んだことを謝罪した。加えて、星浦に暴力的なリプライをしている人を牽制した。星浦の事務所が法的措置をちらつかせると、一気にリプライは消えた。ネットは記者の杜撰ぶりをなじる方向へ行き、いつしかパパラッチも消えていた。



「――ごめんね」


 深夜。たとえ数メートルでも万全を期して、星浦を送って行く。その途中、星浦は前を向いたまま呟くように言った。


「いいよ、別に。酔ってたわけだし、星浦の細い脚じゃ全然痛くな」

「違うの。雨見のこと、うちは利用してた」


 キャスケットを目深に被ったまま、振り向く。


「雨見なら、うちのこと無条件で褒めてくれるって、甘えてた。雨見は安全な草食系だからって、軽んじてた。ただのいいねBOT扱いしてたんだ、うち」


 やっと顔を上げたかと思えば、その視線は遥か空に。


「35歳のいい大人の女がすることじゃないよね……ごめん」


 それきり、また俺に背を向ける。

 ほんの数メートル。5分もかからず、いつしかマンションのエントランス前まで来ていた。

 立ち止まり、やっと俺と視線を交わした。


「35年間違わずに生きてきたんだから、1回くらい間違えたら。大丈夫だよ、あんたなら。こんな時だけ変なこと言われる脇役声優と違って」


 そんなことはない、星浦の声だって、魂だってきちんと届いているはずだ。


「給料安かろうが背が低かろうが、ちゃんとサラリーマンして、真面目に生きてるんだから」


 俺が返す前に、背を向けられた。もう聞く気はない、と言いたげに。


「じゃあ、おやすみ。色々ありがと。あと、ヤフルト1000はもういい。あんまうちには効果ないみたいだから」


 俺にはおやすみとすら言わせず、星浦はオートロックのドアの向こう側へ消えていった。


「勝手なこと言うな」――と、ひとりでに漏れ出た。



 6時間ほど経ち、すっかり太陽が昇る頃。俺は寝不足ではあったが、遅刻せず出勤した。


「おはようございます」

「おはようございます!」


 にこっと爽やかに笑う犬井さんに、心に繰り返す言葉。



 ――自分だけならいくらでも間違えられる。でも、相手がいるのに、間違えられるかよ。



「……よし」


 一息入れて、今は仕事と切り替える。

 4階に寄ってみたが、若葉先輩のPCは閉じられたまま、姿もなかった。


「あの、部長、若葉先輩は……」


 宇野さんに尋ねると、静かに目を伏せた。

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