第12話 25歳と35歳、それぞれの恋バナ

「何か叫びたい気分です!」との犬井さんのリクエスト。幸い駅のすぐ近くにカラオケ店があり、1部屋借りた。適当にアルコールとフードを注文して、まずは犬井さんから1曲目。選んだ曲はAdoの『うっせぇわ』。立ち上がり、拳をきかせて声を張り上げる彼女。そんな姿に、ふと「若いっていいな……」などと思ってみたり。

 歌い切った彼女は気持ちよさそうに汗を拭い、勢いよくソファへ。座るやいなや俺の方に向くと、ハッと口に手を当てた。


「ご、誤解しないでくださいね! 雨見さんのことじゃないですから」

「いや、大丈夫ですよ……」


 半ば呆れて答えると、「よかった!」と朗らかに変わる。今日は表情がめまぐるしい。


「じゃあ次は、雨見さんお願いします」

「お、俺はいいですよ……。音痴ですから」

「いえ! 私、雨見さんがどんな曲歌うのか知りたいので! お願いします」


 なんでそんなことを知りたいのか。だが、遠慮し続けて空気を淀ませるのも悪い。

 さて、困った。

 俺の定番は『勇者王誕生!』になるのだが、ばっちりアニメタイトルを叫ぶ上に映像も本編映像が出る。女の子にはコメントしづらいかもしれない。

 ではアニソン以外で好きなアーティストとなると電気グルーヴになるのだが、これはこれで若い女子とは雰囲気が合わない。

 曲の性質で考えると『うっせぇわ!』はかなりパワー系の歌だ。ここは同じようにパワーをぶつけるのか、優しく包容力のある歌の方がいいのか。そもそも考えすぎか。

 いろいろ勘案した挙句、『青空になる』を選んだ。ゆっくり優しく、俺にとっても歌いやすい曲だ。犬井さんは小さく揺れて、時折頷きながら聞いてくれていた。


「……ふぅ」


 ビールをあおり、グラスを置く犬井さん。大声を出したからか酒のせいか、薄暗い中でも頬が赤いのがわかる。


「もったいないですよね、雨見さんの彼女だった人。こんなに優しくて、機転が効くのに」

「いや……そんな人いませんでしたから。付き合ったことないので」

「えっ! そうなんですか!?」


 俺もビールをあおった。この苦味が心地いいと思い始めたのは、いつの頃だったか。

 犬井さんは目を見開くと、L字型のソファで斜めから俺の顔を覗く。

 いい年した大人なら、付き合ったことがないの意味がわかるだろう。わざわざ童貞と言わなくても。


「告白されたこととかないんですか!?」

「ないですよ! したことはありますけど……2回とも振られて」

「えー! 聞きたいですそれ」


 なんでこんな話を、という気持ちもあるが、一時でも彼女の気晴らしなるならそれもいい。


「1回目は高校の時で」


 本当に若くてバカだった。彼女持ちのステイタスだけに憧れ、同じ文芸部の女子に告白した。それこそ恋に恋していたのだ。


「しかもメールで、『僕が月であなたは太陽……』みたいな変にカッコつけようとして意味不明な文章書いて……」


 思い出すだけで背筋がゾワゾワっとする。本当に困ったろうな、フジタさん。あの節は大変申し訳なかった。


「メールって、マインじゃなくて……あっ」

「うん、俺が高校の時はまだガラケーしかなかったもので……」


 そのズレが微妙に救いでもあり、新たな傷でもあり。


「2回目は大学の時で……」


 大学2年生の時、1個下の後輩に。2年生が文化祭の取りまとめをし、1年生と準備する慣習になっていた。当時、俺はその長に立っていた。しかし、激務の中でつい居眠りしてしまった俺は、その中でタオルを掛けてくれたマエダさんに一目惚れしてしまった。マエダさんはその後サークルを辞め、しがらみがなくなった今がチャンスという打算のまま、あわてて告白してしまった。


「当然フラれました。『すみません、お気持ちはありがたいですけど』って」


 なんて自己中で、学ばない人間なんだろう。今思うと本当に呆れる。

 若かった――そうやって忘れることもできる。しかし俺にはできない。悪いことをしたという自覚を刻みつけておきたかった。


「……その後社会人になって、同じ職場の人とかはどうだったんです?」

「俺、アサマこそ5年働いてるんですけど、それまでは長続きしなくて。4回も転職してるんですよ。ずっと生活が不安定で、恋愛なんてとてもとても」


 ビールが中途半端に余ったグラスを持ち、口に当てた。


「35にもなって恋愛経験ないとか、呆れるっていうか引きますよね」――と、言葉が上がってきたのをぬるいビールで流し込む。30くらいなら言ってしまったと思う。けれど、もう35だ。そういう卑屈が相手を困らせると、さすがに学んだ。


「……すみません、踏み込んだこと聞いていいですか?」

「全然、構いませんよ」


 グラスの底に溜まった泡ごと、首を立てて飲み干す。


「いわゆるその……エッチなお店とかは行かないんですか?」

「ブッ! ゴホッ!」


 噴き出しそうになり、なんとかこらえる。戻しはしなかったが咳が止まらない。


「すみません! 変なこと聞いて……でもどうしても知りたくて」


 こんなおじさんの性事情なんか聞いてどうするのか。

 しかし、もしかしたら。独身で性風俗しか経験のない男に対して恐怖心があるのかもしれない。乱暴な言い方をすれば、恋人も配偶者もおらず女性に対して歪んだ見方をしている人間なのではないか、と。

 そもそも隠しだてするようなことは、俺にはない。


「……正直に言うとですね。お店の経験もないんですよ。性欲は当然あります。でも単に、好きな人と同意の上でそういうことしたいので」


 男女問わず、人によっては童貞臭いと揶揄される表明だ。

 でも誰が何と言おうと、俺の価値観はこうだ。

 ……と意気込んだものの、犬井さんを見れなかった。訊いてきたのは犬井さんの方なのだが。


「……私、真面目な人が好きです」


 ふわりとした声色につられて、彼女を見た。


「男の人は見かけやお金とかより、優しさと誠実さだって、本気で思います!」


 両手で握り拳を作る。何かと闘っているように。


「それに、元カノと比較されないって結構ラクなんですよ! 女の子はみんな嫉妬深いんですから」

「……な、なるほど」


 あごに手を添えて考える。確かにその視点はなかった。


「だから、雨見さんも婚活とか恋愛とか、まだあきらめることないですよ!」

「……ありがとうございます」


 座りながらでも、しっかりと頭を下げる。たとえお世辞だろうと背中を押してくれたことは善意だ。それを無下にすることはない。


「それに私も、好きな人とじゃないとっていう雨見さんの気持ち、わかります」


 ビールの脇に置いていたカクテル、そのストローに口を付ける彼女。喉を一回鳴らすとゆっくりと置いた。


「私、正直な話、モテる方だったんですよ」


 そりゃそうだ。こんな容姿が良くて真面目な子、モテないはずがない。

「中高はいわゆる運動部のエースの、人気で背の高い男子とか。大学は女子大だったんですけど、偏差値の高い難関大のミスターコンテストに選ばれた人とか。バイト先では実業家って言うんでしょうか、そういうお金持ってそうな人から誘われたことあります。で、実際何人かとデートに行ったこともあります」


 犬井さんは俯いて、両手を重ねた。


「でもそれは、自分の意志というより周囲に『お似合いだよ!』とか『あんな人と普通付き合えないからね!』とか囃し立てられただけで……結局自分の意志じゃなかったんです。だから自分を好いてくれるのは嬉しかったんですけど、私からはどうしても、好きになれなくて」


 犬井さんはしばらく両手を忙しなく動かしていたが、ぴたりと止めた。俺に顔を向ける。


「だから、私、まだキスもしたことないんです!」

「……はい」


 なかなかの気迫に、驚きより戸惑いが勝った。


「デート行って、スマートにキスに誘導してくるんですけど……どうしてもできなくて。だって、自分から本気で好きになった人じゃないから。それでキスの先のことも考えたら、絶対無理だってなって……。ダラダラ関係続けてても自分も相手も不幸になると思って、私から振りました。だから、雨見さんの価値観、私は共感できるし、正しいと思います! あと、それで……えと、何が言いたいんだっけ?」

「ゆっくり、ゆっくりでいいですよ」


 あたふたと両腕を動かし、小踊り状態となる彼女。「それでですね!」と声を張り、腕を置いた。


「……雨見さんは、確かに不器用なところがあるかもしれません。でも、雨見さんにしかできないこともあります。現に、私を二度も助けてくれたじゃないですか」

「二度?」


 やはり気になる……と、彼女はバッグからパスケースを取り出し、ICカードを抜いた。


「ずっと、肌身離さず持ってました」


 俺の目の前に差し出す。端が折れ、経年で変色したらしい1枚の紙切れ。



 株式会社アサマグラフィック 出力部

 雨見 和明



 俺の名刺だ。

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