第2話 37歳の幸せ

「紹介するよ? あたしはもうおばさんだけど、推し活関係や趣味仲間なら20代とか30代前半の子もいるし。和明くんの人柄なら安心して紹介できるよ!」


 鼻高々、どや顔で言い放つ先輩。俺としたことが、何を考えてんだか。

 ――で、実際どうする。またとないチャンスではある。先輩なら骨を折ってくれるだろう。


「……いえ、お手数かけますんで」


 言いながら、軽く頭を下げた。


「えー! どうして」

「35にもなって先輩の顔に泥塗ったら笑えないですよ。先輩との仲で誰もいないから言いますけど……35歳で年収320万、身長167センチというのは、厳しいでしょう……」


 俺のスペックを客観的に見ると、あらためてひどい。婚活には最低でも年収400万、身長170センチ以上は欲しいと言われている昨今。無謀もいいところだ。それでも行ってみたら何か変わるかもと意気込んだのが昨日の有様。俺は自分を客観的に見れていなかった。せめてもの幸いはマッチングアプリに登録するような愚行までは自制できていることだ。


「いやいや、それはネットに毒され過ぎだよ! 別に気にしない女性もいっぱいいるよ」

「そうだとしても、俺をプレゼンして断られた時、あずかり知らぬところで先輩が恥をかくことになるじゃないですか。それが嫌なんですよ」

「……あたしは平気だけど、なるほど。君らしいね……」


 先輩は腕を組んで頬を膨らませた。しかしすぐに鼻から息を抜く。


「まぁ、気が向いたらいつでも頼ってよ。推しには幸せになってほしいからさ」


 笑いかけられて、胸がチクリと痛む。厚意を卑屈で濁すのは失礼だが、厚意に甘えて人を傷付けるのはもっと失礼だ。これでいい。だからせめて、上辺だけに聞こえようとも。


「俺も先輩に幸せになって欲しいです」


 キョトンと目を点にする先輩。直後、頬を赤くして、口に手を当てた。


「ちょっと、おばさんをからかわないでよ」


 勢いよく腕を伸ばす先輩。俺の脇腹に優しく当たった。


「ありがと。でもあたしはにしむー推すだけで十分幸せだから」


 言いながら、近くのエプロン姿をした西邑さんのアクスタを手に取る。満面の笑みで。


「この前のバクステ映像でもさー、普段の優しい感じからキリっとした表情になって。ほんと一瞬で切り替わるの! おばさんだけど思わずキュンってきちゃって……」


 本当に一瞬でも勘違いした自分が恥ずかしい。推しで充実した人生に、とんだお節介だ。


「――今日、和明くんのところに新人さん来る日でしょ?」


 アクスタを置きながら、声のトーンが変わった。


「そういえば……」


 そうだった。昨日は散々な目に遭ったから失念していた。定年退職したナカノさんの補充人員が今日から来る。

「25歳の美人さんって話じゃん。よし、いいところ見せたれ!」

「からかわないでくださいよ。10歳差で何かあるわけないでしょう」


 力強いサムズアップに、俺は平坦な声色で返した。


「それよりも怖いのはパワハラとセクハラです。俺らが若い頃許されていたことも、今はアウトなのがいっぱいあるんですから。異性同性問わずです。若葉さんも気を付けてくださいよ。でないと30代でも立派な老害ですよ」


 先輩は身をよじって机に向き「はいはい」と手を振った。


「和明くんはそういう人だよね」


 苦笑する先輩と壁にかかった時計を見比べる。さすがに長居し過ぎた。「では」と立ち去ろうとした矢先、先輩は小さく手招きした。


「来月のこと、よろしくね」


 こそばゆくなる耳。今は誰もいないが〈来月のこと〉は会社に知られてはならない。小声で話すのが決まり。


「はい、わかってますよ」


 俺も声を潜めて返すと、4階を後にした。


 始業まで大分ある。このままサボっているのも手だが、どうせなら週1のルーチンをこなしておく。鞄をデスクにおくと、オフィスを出て廊下を挟んだ給湯室へ向かった。

 ウォーターサーバーの残量を確認したら、腕まくりでスタンバイ。スポンジを手に取り、食器用洗剤を染み込ませてしっかり泡立てた。


「よし」


 シンクを磨く。むらなく、満遍なく、円を描いて。隅や排水口は特に丁寧に。

 銀色を白い泡で埋めると、流水で洗ったスポンジで再度磨く。今度は泡を落としながら。

 ほんの少しの運動だが、クーラーの届かない給湯室では汗がにじむ。けど、こういう時間は結構好きだ。スッキリする。


「――あの!」


 背後からの声。俺は「わっ」呻いてビクついた。


「はい! 何か……」


 入口に顔を向ける。

 スーツ姿の美女が、俺を見据えていた。

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