第16話 35歳の後輩
「俳優って年上と結婚すること案外多いよね~。あ、にしむーロスがトレンドに上がってる。『にしむーロスで午後有休取った』だって」
「ネタじゃない? ホントにいんのそんな人。てか有休って言ってる時点でおばさんじゃね」
耐え切れず、ポケットからスマホを取り出す。
〈人気の2.5次元俳優・西邑悠(27)、サラブレ声優(35)と3次元交際〉
3次元交際ってなんだよと言いたくなるが、まずは記事を開いて画像を確認。男の隣に映っていたのは、黒キャップを被り白のワンピースにデニムジャケットを羽織った女性。眼鏡はなくマスクをしているが、目の形でわかった。間違いなく星浦だ。日中の街中を西邑さんと歩いている、そんな一瞬を撮られたらしい。
(あいつ、こんなイケメン俳優と付き合ってたのか……)
脳裏に浮かぶ言葉。それを黒い水で飲み込む。
今眼前にいるのは、先輩だ。
「………………」
口角は上がっているが、笑ってはいない。不気味に歯を見せて、顔面蒼白で、小刻みに震えている。
「……と、とりあえず出ましょうか」
無言でコクコクと頷く先輩。俺が会計し、店を後にした。
「いやーよかったよ。ちゃんと付き合ってる人がいて。いつまでも独り身だと心配だしさ。あ、余計なお節介か」
「いやいや、ファンとして当然ですよ」
「20代も後半だし? 子供も欲しいみたいな発言してたし」
「なるほど」
「もとからあたしなんかが付き合えるとか思ってないしさ」
「それでも先輩の愛は本物だと思いますよ」
「いやガチ恋勢じゃないからねあたし! にしむーが未婚だろうと既婚だろうと推すし!」
「俺を見ないで前を見てください先輩! もう青ですよ!」
やっとのことで車を前進させる先輩。
「ゆっくり、ゆっくり行きましょう!」
ハンドルを握る手が震えていた。
「…………」
なんとか会社に戻ったものの、自分のデスクの前で立ち尽くす先輩。無理もない。アクスタの西邑さんが、先輩に向けて笑いかけているのだから。
愕然、茫然……どう声を掛けるべきなのか。そっとしておいた方がいいのか……。
ふと、古株で再雇用社員のハラグチさんがあわてた様子でやってきた。
「あっ! 冬野さん! さっきヤホー見てたら君の好きな俳優がさぁ! 熱愛って……」
「ハラグチさん! もう知ってます! お気遣いありがとうございます!」
あわてて割って入る。ゴールキーパーになった気分で、腕を伸ばして立ちふさがる。ハラグチさんは「そ、そう?」と眼鏡の位置を直して踵を返した。
「あ、ありがとね、和明くん」
おもむろに椅子に座る先輩。
「あ、あたしは全然大丈夫だから」
そう言いながらも、異様に丸まった背中。息も絶え絶え。明らかに全然大丈夫ではない。
きっと今、言葉は無意味だ。
「ちょっと待っててください」
エレベーターを待つ時間すら惜しい。俺は階段を降り、会社の隣のコンビニに駆け込んだ。
会計が済んだら5階に駆け上り、給湯室の冷蔵庫に買った物をしまう。その足で作業場から気泡緩衝材、いわゆるプチプチのロールを借り、脇に抱えた。反対側の手で納品に使う空きの紙袋を持つ。
「雨見さん、何かあったんですか?」
俺の顔を見るなり、犬井さんが怪訝な顔で聞いてきた。そんな鬼気迫る顔になっていたのだろうか。……なにはともあれ、今は人手があった方が良い。
「手伝ってくださいますか? すぐ終わりますから」
「はい!」
犬井さんを連れて、先輩のデスクへ向かうと。
「……和明くん、どうしたの?」
西邑さんの姿がかわるがわる映るスクリーンセーバーを、ぼんやりと見つめている先輩がいた。病人レベルの顔をして。
「先輩、アクリルスタンド、自分が預かります!」
「……へ?」
「それでいいですか?」
「……う、うん」
犬井さんがはさみで緩衝材を切っていく。俺がアクスタを包み込みテープで留める。ひとつひとつ丁寧に。それを紙袋にしまっていく。すべて包み終わると袋いっぱいになった。
「これは先輩の整理が付くまで自分が預かります。言ってくれれば持っていきますから」
「和明くん……」
頭を下げ、犬井さんを連れて一旦5階へと戻る。紙袋を俺のデスクの隣に置くが、まだ終わりじゃない。給湯室へと戻り、冷蔵庫の扉を開ける。4階へとまた降りていく。
「先輩、俺にはこんなことしかできないですけど」
ショートケーキを先輩の前に差し出した。
「とりあえず、これでも食べてください。甘い物は控えてるって言ってましたけど……今くらいはいいじゃないですか」
所詮はコンビニのケーキ。けれど、このオフィス街にスイーツ専門店なんてない。今、このタイミングでないと意味がない。だからコンビニスイーツを選んだ。
「……和明くん」
心なしか、やっと先輩の瞳に光が宿った気がした。
「君は……優しいね、本当に」
泣き出しそうな目元と柔らかい頬。微苦笑と言うべき顔で、先輩はプラスチックのフォークを手に取った。
◆ ◆ ◆
定時。雲が多く、いつもよりだいぶ暗い夕暮れ時。
帰りの先輩は、途中まで方向が一緒の宇野さんに任せた。力なく歩く背中に心配になったが、宇野さんの姉御肌ぶりはよく知っている。任せよう。
俺は紙袋を抱えて山手線に乗り込む。池袋駅に着くと、袋をぶつけないように慎重に人混みの間を縫って、駅の西口に出た。
電車の中で星浦のトゥイッターを見てみたが、昨日から更新されていない。今は事務所と対応協議中、と言ったところだろうか。
しかし、まさか星浦にあんな相手がいたとは……。
いや、少しも驚くべきことではない。声優だって芸能界、星浦だって立派な芸能人だってことだ。デビュー前から少し接点があったからと、マヒしていたのかもしれない。そもそもが希少な人種、本来手の届かぬ存在なのだ。
「……あれ」
――もしかして俺、自分で自分を説得してる?
星浦のこと、いけるとでも思ってたのか。バカバカしい。
……でも、ならばなぜ、俺を家に招いてくれたんだ? いくら元気づけるためとはいえ、彼氏がいるのに男をあげて二人きりってのは、さすがに不貞じゃないのか? 星浦の性格なら厳しく線引きしそうなものだ。
わからない。はっきりさせるべきは、俺は祝福すべきなのかどうかってことだ。
もちろん祝福するに決まってる。星浦が西邑さんを支え、西邑さんが星浦を支えることを。
その祝福を終えたら、俺はやるべきことに戻るだけ。独りで誰にも迷惑かけずに死ぬ。
「……」
谷山荘の奥に怪しい人影を見つけた。立ったままスマホをいじっている。それが、ひとりやふたりじゃなく、隣のマンションの入口付近に虫のように密集している。
ピリピリした変な空気。位置情報ゲームのスポットでもない場所で不自然だ。
……記者だ。俗にいう、パパラッチ。
まさか、こんなことで星浦の名が広まるなんて。
けど、俺にできることなんて――
『今からあえる?』
星浦からのマインメッセージに気付いたのは、家に帰って紙袋を置いた時だった。
『そう、秋は秋ナスと肉味噌と和え物をね』……と、思いついたが、書けるわけがない。
「……ふー……」一度、深呼吸。
詳しい事情はやっぱりわからない。けど今が、誕生日のお礼を果たす時だ。
『会える。どこにいる?』
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