35歳からのラブコメ~一途な25歳と同窓の35歳と奇跡の37歳と~

豊島夜一

プロローグ 34歳最後の夜

 35歳から人生が変わることはない。


 ――と、俺も34歳まではそう思っていた。

 そんなことはなかった。

 35歳になって、俺は3人の女性から告白されることになる。


 10歳下の後輩から。

 同い年の声優から。

 2歳上の先輩から。


 そして、ひとりにプロポーズすることになる。


 それはまさしく「35歳からのラブコメ」だった。


   ◆ ◆ ◆


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★30代限定婚活♪ プロフィールカード


●氏名(ふりがな)       :雨見 和明(あまみ かずあき)

●年齢             :34歳

●血液型            :A型

●身長             :167センチ

●現住所            :東京都豊島区西池袋

●出身地            :長野県

●職業             :会社員(印刷系)

●休日             :土日祝

●趣味             :読書、アニメ・映画鑑賞

●特技             :節約・貯金

●自分の性格を一言で      :物静かで地道

●異性の体でキュンとくるのは? :声質、髪

●デートで行きたい場所     :映画、展覧会、聖地巡礼

●お酒・たばこ         :飲まない・吸わない

●どちらかというと異性には   :甘えたい

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「なに本名で書いてんの? 真面目?」

「え」

「ウケるんだけど」


 婚活パーティーは女性陣の失笑から始まった。4人掛けテーブルで2対2の合コン形式。隣の男性を含めて俺以外全員氏名欄にはニックネームを書いている。大真面目に雨見和明と書いたのは俺だけ。

 え、氏名欄に本名を書いたらアウトなの!? そんなトラップありかよ……。

 反省している間にもパーティーは進む。切り替えろ。このテーブルでは挽回不可でも、歓談タイムはまだ始まったばかり。俺だけテンション低かったら失礼だ。出遅れたが、適度に相づちを打ち、場をアシスト。婚活パーティーは初めてだが、これくらいはできる。


「――雨見さんは小説とか詳しいんですか?」


 隣の男性が振ってくれた。

 焦らず落ち着いて、想定通りに。映画化もされたハードボイルド小説の話をする。知名度の高い主演俳優の名を出すと、「へえ~」と声が上がった。手ごたえは悪くない。

 そして、対面に座る女性と目が合った。


「好きなことになるとよくしゃべるんですね」


 俺は婚活をあきらめた。



 連絡先交換タイムは女性陣のお手洗いと重なった。女性のお手洗いは当然時間がかかる。34年生きてきて、それを察せないほどぼんくらではないつもり。こちらとしても、建前を突破するほどの人と出会えなかったのはある。ただ、参加費の5500円分を考えると……いや、勉強代としては安いくらいだろう。誰も責めるな、俺の要領と容姿の悪いだけだ。

 結局マインの友だち欄には1名も増えないまま、パーティーは終了、解散。「今日は楽しかったです」と言って、女性陣の背中を見送った。


「……帰るか」


 婚活をあきらめるということは、今後の人生をひとりで生きていくということ。考えてみれば、俺はそもそもひとりで生きることが嫌なわけではない。パートナーがいた経験を得ずに、生涯独身の決断をすることに抵抗があっただけ。

 子どもは……苦手だが、嫌いではない。育児漫画やSNSに流れる子育てエピソードを微笑ましいと思う時もある。でも積極的に欲しいと思ったことはない。

 もし恋人がいたことがあれば、もう一度そのメリットを得るために頑張ったかもしれない。でも俺にそんな経験はない。34年生きてきて一度も。告白はしたけれど、フラれた。無理もない、いきなり告白すれば当然の結果だと思う。


「はー……」


 いかん、負のエネルギーに飲み込まれるな。早く帰ろう。

 俺の住む谷山荘は、池袋警察署を左に折れ、目白の住宅街に差し掛かったところにある。2階建て6戸の築40年のアパート、お世辞にもきれいとは言い難い。しかもお隣が新築の単身者用マンションとあって、否が応にもボロさが際立ってしまう今日この頃。

 そんな谷山荘の2階の角部屋が我が根城。壁にかかった階段を登る。今夜もハエや蛾がわが物顔で共用廊下を飛んでいる。


 ――おかしい。ハエが多すぎる。


 蛍光灯にハエが集っている。共用廊下の右手側は柵だけだからよくある光景だが、数が尋常じゃない。今までギリギリ陽のある内に帰れていたから意識していなかったが、電灯の光が遮られるほどの数。不快な羽音もうるさい。

 それに、なんだろうこの臭い。酸っぱさの中にクセの強いチーズの発酵臭が混ざった感じ。俺の隣の部屋からか? そこはろくに話したこともないおじさんが住んでいるはずだが。

 その部屋の玄関に目を向ける。

 ドアポケットからハエが顔を出すのが見えた。


「……マジか」


 インターホンを鳴らしてみる。ピンポーンと鳴るのがドア越しに聞こえた。

 頼む、出てきてくれ。ゴミ屋敷ってオチになってくれ。いや、それもかなりイヤだけど!


「…………」反応なし。


 ゴミに囲まれて深く眠っているのか、今は部屋を出ているのか……。

 ドアノブを掴む。鍵はかかっていなかった。

 ほんの少しだけ開けてみる。俺の部屋と間取りはそう変わらないはず。仕切りなしのワンルームで、開けて即リビングが見える。


「…………あっ」


 目に映った様子を努めてマイルドに表現するなら――『もののけ姫』序盤でアシタカに退治されたタタリ神。

 逆に覚悟が決まった。

 大家さんに電話するも留守電で繋がらない。ならば自分でやるしかないと119番。背に東京消防庁と書かれた救急隊が来て、部屋に入る。かと思えばすぐに出てきて「亡くなっていますので、以降は警察に引き継ぎます」と一言残し、帰って行った。そうか、初めから警察に通報すべきだったのか!

 ひとり残され一旦家に引っ込むべきかと迷っていると、大家さんから折り返し。202号室の人、亡くなっているみたいです――と告げると、「えぇ~……」と困惑と面倒くささの混じった声。数分も経たぬ内に警察と大家さんが同時に現着。刑事ドラマでおなじみの鑑識スタイルの警官が中に入っていく。


「かなり腐乱してる。性別分からない」

「ぬるぬるして滑るから気を付けて!」


 警官たちの言葉が拒んでも耳に入っていく。俺は顔を背けつつ、事態が終わるのを待った。

 遺体の運搬が終わると、階段を降りた先で形式的な事情聴取。「発見した経緯と時間」「死亡者と面識はあったか」「隣の部屋から大声や大きな音を聞いたことはあるか」「死亡者について悪い噂を聞いたことはないか」「アパートが住みにくい、変なところがあると思ったことはないか」――意図が明らかなものから不明なものまで質問すべてに丁寧に答える。「何か追加で質問があれば電話を掛ける」と最後に携帯番号を書かされ、俺はようやく解放された。


「――ちょっと雨見! あんた無事なの!?」


 警察が帰ってから何分経っただろうか。その声に、ようやく我に返る。


「あ、星浦……」


 街灯に浮かぶ、黒縁メガネと黒のキャスケット。俺の顔を覗き込む切れ長の瞳。

 星浦あゆみ――かつての大学の同級生、と頭の中で遅れて認識する。

 星浦がこちらに来ていることすら気付かなかった。よほどぼんやりしていたらしい。


「俺は全然無事だけど……え、まさか俺のこと心配して来てくれたの?」


 すると、星浦は「ハァ?」と眉間に皺を寄せて。


「だって、友人……の家に救急車とパトカー来たら何事かと思うでしょ!」


 そりゃそうか。俺だって星浦の住む隣のマンションに救急と警察が入れ替わりで来たら心配する。殺人事件すら想像する。


「俺は全然平気だから! 精神的にはちょっとアレだけど……単に隣人の孤独死を見つけて、通報しただけだよ」

「見つけて通報しただけって……あんたねえ。ハア……で、大丈夫なの? 家帰って寝られるの、この状況で。気弱な犬みたいな顔がもう老犬みたいだけど」

「なんとかするよ、臭いとか虫とかはちょっとわからないけど……」


 ふと、星浦は前髪を指で弾いた。


「……シャワーと座布団くらいなら、貸してもいいけど。アンタなら」


 その言葉に、ぼんやりしていた頭が一気に冴えていく。


「ダメでしょ! 声優だろ、文秋砲食らうぞ!」

「食らわねえよ! こんな35の地味声優が! てか自分で言わせないでよ」

「ご、ごめん」


 鋭い目つきをさらに鋭くする星浦に、俺は手を合わせるしかなく。


「……でも、大丈夫だから。お気持ちだけ」


 念を押すと、星浦は「はいはい」と肩をすくめた。


「とにかく、大丈夫なのね?」

「ああ、大丈夫。自分のことは自分でするから」

「……そう。じゃあ、今日はこんなとこで」

「こんなとこで」


 軽く手を挙げると、隣のマンションのエントランスに消えていく星浦を見届ける。


 ――そう、自分のことは自分でする。


 残り1時間と少し、9月5日で35歳になる。もう若いとはお世辞にも言えない、立派なアラフォーだ。


『独りで誰にも迷惑かけずに死ぬ』


 35歳から人生が変わることもないだろう。俺の今後の人生で必要なのはこれだ。

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