第5話 35歳からのしゅうかつ

「前職はどういったお仕事を?」

「……えと、広告営業です。ウェブメインで……あまり成績よくなかったんですけど」


 宇野さんが会議で席を外してすぐ、世間話感覚で聞いてみる。が、あからさまに元気のない声。広告となると、イメージで申し訳ないが結構ブラックだったのかもしれない。いきなり話題選びからミスってしまった気がする。


「とりあえず、今日のところは見学するだけでいいですので」

「はい、お願いします」


 姿勢を整えて、犬井さんは朝と同じく左隣に座った。

 ……やっぱり近い。それに出力部は内勤だから、スーツでなくビジネスカジュアルでいい。俺と宇野さんは毎日服装を考えるのが面倒だからスーツスタイルにしているだけだ。

 でも「服はスーツじゃなくていいですよ」「はぁ? じろじろ見ないでくれます? セクハラですよ」――とか言われたらどうしよう。別にスーツでも構わないのだから、わざわざ指摘するほどのことでもないか。。


「では今回は、シャッター設備の工事図面の出力を見学してもらいます」


 若葉先輩が担当する取引先だ。まずは図面画像をリネームし目次通りに並べ替える作業。


「この、ち……置換おきかえ機能を」


 危ない! 「ちかん機能」と言うところだった! 業務にかこつけて卑猥な言葉を浴びせたと捉えられてもおかしくない。われながら、ナイス判断。 

 と、ドアの開く音。


「和明くん発注書ー」


 若葉先輩が現れた。宇野さんの席を回り込んで俺の右隣に来る。


「はーい」


 発注書をもらったら作業の手を止め、まず納品日を確認。至急案件か通常納期かをチェック。それがルーティン。


「あ、犬井さん! 早速教えてもらってるところごめんねー。朝のあいさつ回りじゃ軽く流しちゃったからあらためて。営業部第1グループの冬野若葉です」

「……どうも、犬井花琳です」

「で、和明くんどうだった? 人生初のバリウムは?」


 唐突にポンッと叩かれる肩。振り向けばニマニマした先輩の顔。「ついに同じ苦しみを味わったか」とでも言うような。


「もうめちゃくちゃです。ゲップは我慢しきれないし、命令とは逆の方向向いて軽く注意されるし……」

「それな! 初めては混乱するよね! 右ってどっちだっけ? ってなるよね。バリウムは平気だった?」

「まあバリウムは、めっちゃ粘り気の強い牛乳だと思えば案外平気でしたけど」

「おおー強いねぇ。あたしはなんかゆるい紙粘土飲んでるって思った瞬間、テンションダダ下がりでさぁ」

「うまい例えですね! あとベッドの動きも『こんなにさかさまにされんのか!』ってビビりましたね~。取っ手に掴まってくださいと言われたけどこんな180度近くまでいくんか! って。バリウム検査以外で胃を診察できる方法ってないんすかね?」

「バリウムが嫌なら胃カメラになるよ?」

「え、胃カメラですか……どっちもどっちか……」

「へっへっへ、そういう悩みを和明くんもするようになったか」

「――あのっ!」


 若葉先輩が再度俺の肩を叩くと同時に、犬井さんが声を張った。


「……仕事、教えてください」


 そして目を伏せる。

 指摘の通り、今は仕事中だ。さすがZ世代、オンオフがしっかりしている。キッチリ仕事して定時で帰る、がスタンダード。というか本来そうあるべきなのだ。


「ご、ごめんなさい」

 ――真面目に仕事しましょう、と若葉先輩にアイコンタクト。


「……」


 だが先輩は、口に指を当て微笑んでいた。


「犬井さん、実は今日、和明くんの誕生日なんだよ」


 仕事だって! 俺の誕生日なんかどうでもいいから! と、目で送る。しかしあっさり無視された。


「えっ、そうなんですか! おめでとうございます!」


 犬井さんは目を瞬かせ、身を乗り出してきた。

 ……アレ?


「35歳になったんだよね」

「ええ、まぁ、おじさんですよ」

「いえ、成熟した大人の感じが出てますよ」


 笑いかける犬井さん。

 おかしい。さっきと言動がチグハグしてるような。


「で、昨日婚活パーティーして、うまく行かなかったんだよね」

「そこまで言わなくても別に……」

「え、え、そうなんですか!? 婚活してたんですか!?」


 興味津々とばかりに、さらに食いつく犬井さん。わからない、彼女のスイッチがわからない。

 視線のやり場がわからず先輩の方を見ると、ふふん、と片眉を上げてしたり顔。


「ちなみにあたしは、もう37で今さら恋なんてできないから、安心して」


 何がちなみにで何が安心なのか、脈絡がわからない。


「さ、37!? すみません、勝手に同年代くらいかと、27くらいだと思ってました!」


 調子の外れた声の犬井さん。その驚きはわかる。


「いいのいいの。あたしはチビで丸顔で童顔だから若く見られちゃうだけ、慣れっこよ。中身はただそこらにいるおばさんだけどね」


 右頬に手を当て、左手を招くような形にしていかにもおばさんのポーズ。


「で、和明くんは彼女募集中って感じ?」

「なんですか急に……」


 もはや仕事どころか女子トークに巻き込まれた感があるが……険悪な空気よりはマシ、か。


「自分はもう、婚活より終活にシフトします」


 事実だ。婚活はあきらめた。変に勘違いされても困るから本当のことを言う。


「「え、就活!?」」


 両脇から俺の顔を覗き込んでくるふたり。


「はい、そうですけど……」


 見るからに目の色が違う。確かに30代から終活は珍しい方だが、何か焦っているような。


「もう辞めるってことですか!?」


 ――やめる? 人生を?


「いや、積極的に自分からやめるつもりはないですけど……」なにも自殺しようというのではない。

「なかなかいないんだよ、君みたいに優秀に勤められる人!」


 ――有終に努められる人?


「ありがとうございます。地道だけが取り柄ですから、やっぱ自分の得意分野を伸ばすのって大事ですよね」

「私、雨見さんのこともっと知りたいです! 仕事したいです!」


 ――知りたいです、死後と死体です? 遺体処理や葬儀をどうするかってこと?


「そ、そうですね、自分が去った時の想定はこれからします」去ったとはもちろん現世を、だ。

「……やっぱ給料が少ないのがネックなのかな?」


 丘陵が少ないのがネック? 丘陵地とは傾斜のなだらかな丘のことだ。起伏があまりなく霊園に適している。しかし、少ないとはどういうことか、日本にはむしろ丘陵地が多いはずだが。


「まあ、おいおい考えます」


 ……さすがにおかしい気がする。話が飛び過ぎてないか?


「……んー、わかった」


 先輩にしては珍しく低い声。見ると、あごに梅干しができるくらい険しい顔だった。


「ちょっと社長に言ってみるよ。給与体系を見直してもらうように」


 キビキビした動きで翻る先輩。……どう見ても本気だ。


「え、え、え、ちょっと待ってください!」

「君手放したくないもん。会社としても、あたし個人としても」

「手放すってなんですか? 終活ですよ」

「だから、就活でしょ?」

「だから、人生を終わらせるための活動です」

「……え、そっち!?」


 途端、笑いが弾けた。


「なんだ~紛らわしいなぁ!」


 先輩も犬井さんも笑う。俺もつられて笑った。


「いや早くない!?」


 束の間、先輩のツッコミが肩に当たった。


「終活は遅く始めて中途半端になることの方が問題ですから。30代40代から終活を始める人もいるみたいですよ。保険のサイトにも書いてありました」

「にしたって、結婚するかもしれないじゃない」

「それはないですよ……現に今もそんな相手いないですし」

「そうなの? 良い感じの人とかいるんじゃない? 実は」

「いません。俺みたいな男には」

「――だって、犬井さん」


 俺を飛び越して、顔を犬井さんの方に向ける先輩。ムリに巻き込まなくてもいいだろうに。


「いないんですか……」


 そんな犬井さんは、目を細めて口角を上げていた。

 あれ、これ笑われてる? 無理もないか、35歳なんて結婚して子どもがいて当たり前だし。


「私、頑張りますから、色々教えてください!」


 一転、輝きの宿った瞳。


「和明くん、リードしてあげなよ」

「善処します。教育係ですから」


 自信はない。だが引き受けた以上はやるしかない。


「……そうだね。そこから始めようか」


 くすくすと笑みを漏らす先輩。

 ……まだ何かズレてるような?

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