第26話 35歳、針の筵

「株式会社アサマグラフィク営業部の冬野若葉と申します」

「同じく株式会社アサマグラフィク出力部の犬井花琳です」

「アップスタイル所属、声優の星浦あゆみです」


 とある居酒屋の個室。上座に通された俺の前で、先輩と犬井さんと星浦がトライアングル名刺交換をしていた。星浦の名刺の会社欄には事務所の情報が書かれている。


「……あの、冬野さん」

「全然、若葉でいいですよ。2コしか変わらないですし」

「……若葉さん。この前の西邑さんの報道に関しては、その……すみませんでした」

「えっそんな! 星浦さんが謝ることないですよ!」

「お騒がせしたのは事実なので」

「むしろバカ記者のせいで被害を被った方じゃないですか!」


 先輩は「あっ」と小さく漏らした後、真剣な目になった。


「あたしは変なりプライ送ってませんけど……こちらこそ、にしむーファンの代表として謝罪します! ごめんなさい! ホント、暴力的で自己中な態度のヤツらは、同じファンの間でも白眼視されてますから」

「いえいえ、もう過ぎたことですし、若葉さんが謝ることじゃないですよ」


 両手を小刻みに振ってなだめる星浦。傍から見るとちょっと滑稽な一場面。


「先輩の言う通り、星浦が矢面に立つようなことしなくていいじゃんか」


 口を挟むと星浦は俺を一瞥。が、すぐにツンと顔を逸らした。


「弱気な顔して、色々な子に手を出してるんだね」

「へっ?」


 冷たい声色で、纏う雰囲気は剣呑そのもの。


「こんな美人で若い女の子たちと一緒に仕事してたんだ。いい気なもんだね~」

「何をそんな……」

「あのー、勘違いのまま進むのもアレだから言っときますけど……あたし37ですよ」

 手を挙げて告げる先輩。「……え?」と星浦の目がぎょろっと見開く。

「え、え、マジですか? 肌きれいすぎじゃないですか! 厚化粧って感じでもないし……化粧水何使ってます!?」

「それ私も前から気になってました!」


 犬井さんも参戦し、唐突に物理的な距離を縮められる先輩。珍しくタジタジとなっていた。


「それよりも! 星浦さんこそ和明くんとはどんな間柄なんです?」

「こいつとはですね……」


 とうとうこいつ呼ばわり。星浦は大学の同級生であること、半年前に偶然再会した経緯を説明した。


「……勝手に冴えない35歳同士のくくりにしてましたけど……こーんないい人たちと毎日一緒にいるなんて」などどぼやく星浦。

「でも星浦さんは家近いじゃないですか」と犬井さん。

「近いからって別に、毎日行き来するわけでもないし。……なんていうか、この人はほら、チモシー主食なんじゃないかってくらいじゃないですか」

「あははは! わかる!」先輩が爆笑した。

「チモシー! もうウサギとかチンチラの扱いじゃないですか!」ついで、犬井さんまでケタケタと笑った。


 しばし笑い合い、波がおさまると。


「……優しいのはいいけど、思わせ振りなことしといて引くところあるからね、和明くんね」

「あー、わかります。勘違いさせる方も悪いんですよ! って思いました」

「あの人悪気はないのよ、だからその分タチ悪くて」


 盛り上がってるところすみません、本人ここにいるんですけど……と言えるわけもなく。


「空気読めない人ではないんですよね。むしろ敏感な方で」

「うん。普段は優柔不断かもしれないけど、腹括れば強いタイプだと思う」

「わかるなーあたしも。だから、キッパリ決めてほしいよね」


 一斉に俺を見た。


「……すまん、ちょっとトイレ」


 立ち上がり、個室を後にした。急ぎ足でトイレに入る。

 薄々わかっていたことが、くっきりと浮かび上がる。これで察することができないほど、ぼんくらではないつもりだ。


 ……どうしてみんな、俺のことなんか。どうして恋人すらいたことのない、俺なんかを。


 トイレを出て、今さら店内が満杯であることに気付く。フェスの後なのだから当たり前だ。


「よっ、お兄さん! お疲れぃ!」


 トイレと個室の間にあるテーブルエリア。声に振り向くと、一瞬誰だかわからなかった。


「あーしっすよ。ほら」


 ボブカットの黒髪をサイドだけアップにする。くりっとした瞳、陽気さを醸す顔立ち。


「あ……ミドリさん、ですよね?」

「そそ! ちょっと座って! ちょうど隣空いてっから! みんな他のグループにあいさつ行ってて、あーしだけ荷物番なの。暇でさ」

「でも俺……」

「花琳にゃ言っとくからダイジョブ」


 言うや否やスマホを高速連打。


「よし許可出た! ほら、はよ座ってくださいな。お兄さんにゃ聞きたいことあるし!」


 見せてきたスマホ画面には[迷惑かけないでよ]との文字。コンセンサスが取れてるなら……まぁせっかくの誘いを断るのも悪いか。


「では第1の質問!」


 スプーンをマイクに見立て、俺に向けてきた。


「今までの彼女の遍歴は?」

「えぇ……いきなりプライベートに突っ込んできますね……」

「仕事の方は花琳から聞いてるんで! すごく丁寧で手取り足取りソフトにそれはもう初めてでも優しく……」

「遊んでますよね……」

「ぎゃははは! でも仕事ができる人って聞いてるのはマジ」

「慣れれば誰でもできる仕事なんですよ」

「ふーん、なるほど。そういうタイプか~」


 これ見よがしに渋い顔。そして質問に戻り、彼女の遍歴だの今まで好きだった人だの、そして今周りにどんな女性がいるかまでズケズケ聞いてきた。いちいち答える義務はないのだが……俺もまんまと彼女のペースにのせられてしまった。


「じゃあ、フーゾクの経験もないんだ!」


 頼んだお冷やを噴き出しそうになる。なんというか、犬井さんもこのミドリさんとやらも、物怖じしないな。しかし、見栄張るポイントでもないか。

「そうですよ。好きな人と同意の上でしかしたくないんで」


 カウンターにもならないが言ってやると、ミドリさんは腕組みして唸った。


「ん~~~いいでしょう! 合格! これからの伸びしろもありそうだし!」


 わざわざ両腕で○をつくった。白い鶴の日本酒のCMかよ。


「ってなわけで、ちょおっくら行ってまいりますので、荷物番お願いしやす!」

「……は?」


 ミドリさんはジャケットのポケットに両手を突っ込み、意気揚々と奥の個室エリアへと向かっていった。

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