第29話 25歳の本気

 茨城県の西に位置する港町・大洗町。俺も何度か聖地巡礼で訪れたことがある。

 祝日の上野駅のホームは朝8時にも関わらず混んでいた。特急列車に乗り、まずは水戸まで向かう。時間にして1時間ほど。


「――じゃあ、ジャンケンポン!」


 3つの腕が揺れる。俺の傍らで威勢のいい声が響いた。


「あいこで……」


 犬井さんは白のシャツに、Vネックでグレーチェックのジャンパースカート。少し子どもっぽくなるかと思いきや、本当にお人形みたいで可愛らしい。

 星浦は濃い緑のニットに膝下丈の黒のスカート。いつものキャスケットとメガネもある。落ち着きとかっこよさを漂わせた、クールな雰囲気で星浦らしい。

 若葉先輩はベージュのブラウスに、西邑さん専用だったチェックのミニスカ。普通に考えれば37歳の服装としては正直キツいが、先輩だとやっぱり似合う。メイクは会社モードと同じく抑え目でナチュラルだった。

 対して俺は、紺のパーカーに黒のジーパンと、ただただ無難なスタイル。


「やった!」


 小さくガッツポーズをする犬井さん。勝者となったようだ。星浦と先輩は「じゃあ、うちらはうちらで楽しみましょうか」との笑い合う。

 そんな中、ちょうどホームに特急列車が来た。


「なんのジャンケンだったんですか?」


 先輩からもらったチケットで座席を確かめる。


「えへへ、椅子を掛けた真剣勝負でした!」


 え? と問う前に、窓際の俺の隣に座る犬井さん。発車のベルが鳴り、動き出す。同時に香水らしき、バニラ系の香りが鼻をくすぐる。


「私、行ったことないんですよ、大洗。楽しみです!」

「いいところですよ、静かで、食べ物がおいしくて――」


 肘置きに載せていた手が温かくなる。俺の左手に犬井さんの白い手が重ねられていた。


「……でね、その将門の呪いってのは……」


 前の座席、先輩の声。楽し気に話しているようだ。


「旅の途中に一体何の話をしてるんですか」――とツッコもうとして、ぎゅっと強く握られた。

「……雨見さん」


 湿り気を帯びた声に、振り向けば。


「私を見てください」


 射抜かれる。


「……私じゃ本当にダメなんですか?」


 優しく、光を宿した瞳。


「……俺なんか、東京タワーのメインデッキまでしか連れていけない男ですよ。本当は時間迫っていても、トップデッキツアーをパーッと奢るべきだった」

「そんな屁理屈聞いてません。子ども扱いしないでください」


 ぐっと、俺の方へ上半身を乗り出す。


「雨見さんより条件のいい人がいるのは事実です」


 犬井さんは目頭を鋭利にしつつ、上目遣いで俺を見る。

 ドスの効いた声。メイクのせいか、落ち着いて包容力のある容貌。今さら彼女の整った顔立ちを思い知らされる。


「でも、私の前に現れたのは雨見さんなんですから」


 肌に刺さる、敵視にも似た視線。愛の反対は無関心、愛と憎しみは紙一重だとよく言う。


「偶然の何が悪いんですか? 助けられた人を好きになって何が悪いんですか? 10コ上で何が問題なんですか? それが雨見さんで何が悪いんですか?」


 俺は応えられなかった。そして、彼女は俺に腕を絡ませた。柔らかい感触。

 あなたことが好きです――と、言葉で、肌で、目で伝わってくるから。


「……自分本位でした。犬井さんのこと、侮ってました。ごめんなさい。もう俺なんかとは、言いません」


 頭をきっちり下げた。素直に応えられるところだけ、応える。

 すると、犬井さんはむぅ、と唇を尖らせた。まるで拗ねる子犬のようで。


「だから雨見さんのこと、嫌いになれないんです!」


 言いながら、ぐりぐりと頭ごと押し付けてくる。くらくらするほどの、彼女の香り。


「……水戸に着くまで、このままでいさせてください」


 俺にはまだ、それを拒む理由と勇気がなかった。


   ◆ ◆ ◆


「おー港町ってカンジだねー!」


 水戸から大洗鹿島線の電車で大洗へ。駅を出ると、早速先輩がテンション高く言った。空は晴天、まさに季語でいう天高しな秋空。しかしもう霜月で、肌寒い心地。


「潮の香りがするんだね、やっぱ」


 星浦が鼻を立てる。こぢんまりとした家々の間を縫って、微かに潮の香りがした。

 女子陣のスーツケースを駅前のコインロッカーに預け、町内循環バスで町営墓地へ。【ありがとう】と書かれた墓石。その前で花と線香を供える。


「あとこれ、宇野さんから」


 ふと、先輩がバッグから何かを取り出した。白を基調としたプラスチックの塊。


「それ、ガンプラですか?」

「うん、日下部さんプラモも好きだったでしょ。積みプラモになったままのが残ってて、宇野さんが作ったんだって」

「宇野さんが!? あの人、アニメは全然わからない人ですよね?」

「だけど、作ってあげたんだよ」


 墓前に供える。もちろんそのままだといずれ風に吹かれてしまうため、一旦置くだけだ。


「ねえ、うち全然知らない人なんだけど、手合わせていい……んだよね?」

「私も、宇野さんにはお世話になってるだけで……」

「全然いいと思う」

「懐の深い人だったからねぇ、むしろ喜ぶよ」


 4人で手を合わせた。

 最後に墓石の前で写真撮影。宇野さんに送るためだ。俺が撮ると言ったのだが「アンタはれっきとした友人なんだからいなきゃダメでしょ!」と星浦から叱責されてしまった。結局、若葉先輩が「備えあれば憂いなし」と自撮り棒を出してくれたおかげで、無事4人を収めて撮影できた。


「……じゃあ、行きましょうか」


 お墓を後にする。お昼までの中途半端な時間、俺たちは海に行くことにした。

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