幕間 転生

 目を覚ました時、すでに三日が経過していた。すぐにお母様とお父様が呼ばれ、私は自分が倒れて原因不明の高熱を出して寝込んでいたことを知った。

 厳密にいえば、ということになっていることを知った。原因は私だけには分かっている。前世を思い出して、そのショックで寝込んでいたのだ。

 数日前まで自分がどういう距離感で両親に接していたのか、前世の記憶のせいであやふやになる。前世だと会社員になっているような年齢だった。精神年齢が上がってしまった今、7歳の女児らしくなんて恥が優って出来そうにない。


「心配をかけて、ごめんなさい」


 少し怯えながらそう言った私を、両親は特に気にしなかったようだ。ちやほやと私を気遣い、すぐに食事と湯浴みの準備をさせる。

 転生ものだと、こういう時に親兄弟は今までの横暴さとのギャップに驚愕するのがセオリーだと思っていたのに。

 記憶を取り戻す前の7歳では自分自身の客観的な自覚なんてない。が、振り返れば、わがままなところはあれ、あまり子どもらしい子どもではなかったような気もする。

 勧められるままに食事を摂り、落ち着いたらお風呂に入る。侍女がついて来ようとしたが、私はその申し出を丁寧に断った。病み上がりだから周りが放ってくれないのだが、今は一人でじっくりと考え事をしたい。


「前世の記憶があると、耳が横じゃなくて頭の上にあるのって、変な感じ」


 浴場の鏡の中の自分をじっくりと見る。頭の上に黒い猫耳が黒髪の間から出ている。金色の目は爬虫類の目だ。でも、人ベースなので、瞼もまつ毛もある。舌は厚ぼったいのに、舌先だけ細くふたつに割れている。尾てい骨のところには、黒くて長いしっぽが生えている。


「獣人……これじゃ、過去に転生したってわけじゃないんだよなあ」


 過去への転生なら、一番イージーモードだったのに。

 髪を洗いながら、ため息をつく。

 私の今世の家族は、侯爵の地位にある。貴族社会なら女に生まれたことでの制約も多いが、他の身分よりはずっと良い。世界史で貴族といったら、どの時代かによって立ち振る舞いを変えれば優位に立てる。地名や国王の名前などに覚えがあれば間違いがない。

 時代的には、子供服や児童書があるあたり、近代。いや、この浴室の技術は現代だ。とはいえ、私の前世の世界には、過去のどんな時代も獣人なんていなかった。ので、前世世界の過去では決してない。


「これで異次元や並行世界なら、最悪」


 異世界が、一番ハードモードだ。この場合は確認しようがない。モンスターがいる世界ならばそれを倒すスキルを身につけねばならないし、魔法が前提の世界なら生来の才能が決め手になってしまう。侯爵の地位に生まれたため経済的余裕はあるが、一揆や革命などが恐ろしい。経済・政治の知識を駆使して生き延びる他ない。それに、過去への転生と同じく女性という立場は弱いだろう。

 しかし、このアイデアも違うのかもしれない。


「フランスパン、か……」


 先ほどの食事のテーブルに登ったメニュー。ほとんどが前世の世界で食べることができたものばかりだ。それに、この世界にフランスという国はない。ポルトガルも、ポルトガル語もない。なら『フランス』と『パン』の二語はどこから来たのだろう。

 この浴室に置いてある洗髪剤も、シャンプー、トリートメント、リンス。そして石鹸。前世なら気にならなかったが、言葉と語源が揃わないものばかり。しかし、この言葉がどこに来たか誰にも分からない。

 髪を流すと、私は雨に濡れた動物のように身震いした。

 

「……と、なると、ここは誰かが作った物語の世界。しかも日本で作られたものだろうな」


 湯船に浸かり、全身を伸ばす。


「私が読んだことがある本や漫画か、プレイしたことのあるゲームだと良いんだけど。こんな獣人の出てくる世界観なんて見た覚えが……」

 

 あるような、ないような。

 物語世界に行った。きっとそういう文脈にいない人が転生してしまったら、絶対に気が付かなかった可能性だろう。オタクならではの発想に違いない。なぜなら、物語世界への転生はよくあるテーマだからだ。

 御伽噺やジュブナイル小説なら、侯爵令嬢として、信心深く公明正大な統治を行えば特に問題はない。問題は、漫画やゲーム世界に来た場合である。ジャンルがRPG、恋愛、バトル、ホラー、サスペンス、ミステリー。正直どの世界でも危うい。特に生存がキツいのは、ホラーやサスペンス要素の強いアクションゲームと、恋愛ゲームだ。

 恋愛ゲームでも百合ゲー、ギャルゲーなら、私は女性なのであまり問題はない。問題はBLゲーか乙ゲーで主人公とルート分岐でライバルになった時である。乙女ゲームはユーザーが女性であるためか、苛烈な女性キャラをライバルとして出すことは少ない。だいたいはサポートもしくは百合枠か引き立て役、その子の友情ルートに入ることで物語の背景や設定が分かるようになるような役割である。

 しかし、昔から一般的ではないがごく一部には『ヒロイン嫌われ』プロットや努力秀才系の健気なヒロインの比較用の完璧なライバルが居たりする。有名な成人女性向けの小説レーベルなら意地悪令嬢やライバルが出てきたりする。昔の少女漫画なら、主人公を虐げる意地悪なキャラがいる。そしてだいたい最後は痛い目に合っている。


「この見た目。どう見ても悪役側だし……まさに悪役令嬢ってやつよねきっと」


 ウェブ小説で流行ってたやつ。結構面白くて、私もアニメだったりコミカライズだったりを読んだことがある。このキャラデザで侯爵家令嬢って言うのも怪しい。

 怪しいといえば、このあまりに中近世チックな世界観も嬉しくない。もしもゴシック系のホラーなら、邪教や錬金術などが出てきそうなものだ。生贄や魚関連が出てきたら、確実にクトゥルフが下地になったストーリーだろう。それなら生贄候補筆頭だ。


「そもそもこの前世の記憶というのが私の頭が高熱から作り出した幻で、実は私が狂っているだけなのかもしれないけど」


 お湯のせいでだいぶのぼせてきた。

 しかし、やらなくてはならないことは、はっきりとしている。悪役令嬢だろうとモブだろうと。ひとりでも生き延びられるように、もしくは今の地位が維持できるように自活の道を探すしかない。あとは、この世界に絶対に私を裏切らない味方を作っておくこと。どんな世界だろうと、これが現実なら大事なことだ。


「ふふ……異世界系ならきっと奴隷を買ったり、孤児を拾ったりするんだ――いえ、するんでしょうね」


 これからは言葉遣いも、令嬢らしくしなくてはいけない。


「まさか、異世界転生が本当にあるんだなんて」


 私は髪を拭きながら、あまりに馬鹿らしい現実に、自嘲気味に笑った。





 

 

 

「――ああ、そんなことを思っていたのよね」


 昔の日記を読みながら、思い出す。まさか本当にその後、孤児ルドルフを拾うなんて知らなかった頃の私。


「お嬢、また昔の日記読んでるの?」


 ひょっこりとルドルフが私の手元を覗き込む。私はその頭を日記帳で軽くはたき、鍵付きの引き出しにそれをしまった。


「明日は学園の入学式ですもの。今年こそは、ヒロインが一学年下に入学してくるはずだわ。だから、初心へ帰るために、ね」


 結局、私が転生してきたのは、乙女ゲームの世界だったみたいだけれど。転生に気がついてから私が努力していたことを生かすしかない。不安はあるが、自信もある。


「さあ、ヒロイン。来たりて取ってみなさい。おーほっほっほ!」


 高笑いをする。と、ルドルフが呆れたように言った。


「お嬢、そういうところが悪徳令嬢って言われるんだよ……」

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