悪役令嬢は飼い犬に手を噛まれる
かなえなゆた
第1話 悪役令嬢
「さあ、ヒロイン。来たりて取りなさい!」
ヴェルミリオン学園の庭園。私はとある女子生徒を待ち構えている。
セオリーであれば、来るはずなのだ。なぜなら私の婚約者であるライオネルがここにいるのだから!
噴水を挟んで向こう側にいるライオネルは威風堂々とした『ネコ型』のライオンの獣人。常に周囲を縄張り状態にしてしまう。普通の生徒なら近づけもしないだろうが、そこは乙女ゲームのヒロインなのだからどうにかするだろう。いや、してもらわないと困る。
学園ものなら、入学したらヒロインが攻略対象キャラと出会うのは必然だ。最初は出会えるキャラが限られているとしても、パッケージいるような看板キャラは隠しキャラじゃないメインキャラ。間違いない――はず。
今年こそは、ヒロインが入学してくるはずなのだ。去年私が入学した時には、ヒロインを警戒してしばらくライオネルをこっそりとつけ回していたが、浮き名を流すようなヒロインらしき女子生徒は結局入学せず、徒労に終わった。しかし今年はライオネルの最終学年。今日は入学式。
ここでイベントが起こらないはずないじゃない。
「……やっぱり、情報が無いのは致命的なのよね」
とにかく、私こと侯爵令嬢もとい『悪役令嬢』ディライア・サーペンタインはこのヒロインとライオネルが出会う時のために生きてきた。
自身の転生に気がついてからというもの、このファンタジーな異世界で何があっても生きていけるように文字通りすべてにおいて自己研鑽してきた。勉強はもちろん剣術や体術も習った。異世界転生のお約束通り、孤児も拾って私を裏切らない存在に育ててある。
そして自分が悪役令嬢の役だと気がついてからは、悪役令嬢の定番行動に沿って商会を作り、侯爵領を整え、時には実家の権力を盾にしてあくどいこともしながら社会的地位は高めておいた。悪役令嬢を回避するために本物の悪徳令嬢にならなくてはいけなくなったのは、皮肉でしかない。でもそれもこれも、この訳の分からない世界で私が快適に生き残るため。
ライオネルとの婚約は入学前に取り消せなかったけれど、私の後悔といったらそれくらい。しかしそれもすぐ、ヒロインと恋に落ちた彼によって破棄される。
「っきゃ!」
目を伏せ腕組みをして待っていた私は、その甘い声に後ろを振り向いた。
「――っ……」
「……大丈夫か?」
噴水の影から覗くと、ライオネルが女子生徒と抱き合っていた。
間違いない。少女漫画で親の顔より見た『転んだ拍子に抱き留められる』シーン。あの至近距離。さっきの妙な間もある。もしかしたら勢い余って唇が触れるくらいまで行っているかもしれない。何故なら、物語というものはそういうものだから。
よかった、と胸に手を当てて安心する。この安堵はヒロインがライオネルに無事会えたということと、ゲームの強制力とやらで私がこの光景に嫉妬し始めなかったということによるものだ。令嬢ものの漫画でそんな展開を見た経験がある。ここで形ばかりの婚約者に対して急にご都合主義によって(嫉妬……私ってライオネルのこと……)なんて茶番が始まらなくて本当に良かった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ。君は――?」
私のことのなど関係なく、ライオネルとヒロインは二人の世界の中。
早く私をこの役目から自由にしてくれないかしら? 私はヒロインと争うつもりなんてないんだから。でも、その恋愛は悪役令嬢というスパイスがないと盛り上がらないというのなら、やらなくてはならない。二人がいい感じになったら、さっさと婚約を解消してフェードアウトしたい。
そもそも私はこの乙女ゲーム『獣ノ檻、愛ノ檻』、通称『おりおり』をプレイしていない。キャラに愛着もなければ、思い入れもない。
『おりおり』は前世の世界にあった成人女性向けアドベンチャーゲームだ。オメガバース要素が若干取り入れられた世界観で、ヒロインは獣人のヤンデレ貴公子たちに色々な意味で愛されまくる――らしい。
オメガバ、ヤンデレ、獣人などストーリーに尖った部分があったので、大変な人気があるのは二次創作を何度も目にしたから知っていた。が、年齢制限あり作品だからか実況や配信で実際にプレイを見る機会はなかった。きっとお好きだと思います、なんてSNSで友人から勧められたこともある。またゲームの特集記事で人外モノのおすすめタイトルとしてよく取り上げられたりしていた。
が、残念ながら攻略対象たちのキャラデザはケモ度が低く、私に刺さらなかった。せめて異形頭くらいまで行けば喜んでプレイしただろうが、イケメンにケモミミや尻尾や翼をつけた程度ではお話にならない。海外の絵師が描いたケモ度の高いファンアートの方が刺さったくらいだ。
そんな私が『おりおり』の悪役令嬢になっていると気づけたのは本当に幸運だった。最初はただの異世界と思っていた。それでも成長するにつれて、どこかで見たことあるキャラクターが鏡に映るようになった。極め付けは、青年になったライオネルだ。そこで前世の記憶を巡らせ続けて、やっと自分がSNSのタイムラインで何度か見たヘイト創作漫画で見た悪役令嬢と認識できたのである。
キャラクターに愛着はなくとも、やるべきことはやらなくてはいけない。イベントはイベント。私は
そう分かっていても、この糖度高めの空間に入っていくのは忍びないわね。
高位の者であることを強調するよう、持っていた扇を開いた。
「ちょっと、貴女。そこでいったい何をしているの?」
少女漫画時空に、私のキンキンとした声が響く。扇の向こうで、二人がさっと離れるのが見えた。
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