第30話 警告

「アスピス、お嬢を連れてきたよ」

「ありがとうございます」


 あら、ヴァイパーも居るのね。

 てっきりアスピスからの呼び出しなら商会へ連れて行かれると思っていたのに、馬車は屋敷へと向かった。屋敷に着くと、まっすぐに応接間へと連れて行かれる。部屋に入ると、アスピスとヴァイパーが私を待っていた。そして、ふたりが囲こむように座る位置へ腰を下ろすことを勧められる。

 ここまでするとなると、一体何なのかしら。

 アスピスからはほぼ三日に一度、繁忙期には週一として報告をあげさせている。そのアスピスが私を呼び出した。商会で何か致命的なことが起こったのだろうか。そう私が怪訝な顔をすると、アスピスは穏やかに否定した。


「いいえ、商会の方は順調ですよ。お嬢様とセレナ様がおそろいでつけていらっしゃる宣伝効果で、ネックコルセットも注文が入り始めましたしね」

「そうみたいね」


 なら、何が問題なの? アスピス、ヴァイパー、そしてルドルフまで集めて、ルドルフを迎えに来させてまで話したかったことは?

 ルドルフが許可を取って学園の中にまで入ってきたことなど今までない。それまでして私を呼び出した理由が本当に分からない。特に、ヴァイパーが少し不機嫌そうな気もする。それが私をひどく不安にさせた。


「そういえば最近、お嬢様はお側にルドルフさんを置いていないんですね」

「……それがどうしたの? それが私を呼びつけた理由なのかしら?」


 思っていない質問に私は不愉快になる。先日もヴァイパーにはおせっかいな小言をもらった。それで不機嫌なのだろうか。弟分を気にかけているようだが、それは私には関係ないことだ。勝手に駄犬とだけ話していて欲しい。


「ええ、ひとつの要素ではあります。お嬢様、ご進言――いえ、心からのお願いをいたします。今後はどこへ出かけるにも、ルドルフさんかヴァイパーさん、もしくは私をつけるようにして下さい」

「どういうこと?」

「ついに旦那様がお嬢様を女性相続人とする、と話をしているとか」


 先ほどの質問やアスピスからのお願いとの関連がピンとこないが、真面目な話なのようだ。不愉快さを飲み込み、知っていることだけを話す。


「私は聞いていないけど、それはそうなんでしょうね。殿下との婚約は解消されたもの。お父様には兄弟もいないし、祖父の代の方は昔の戦争で亡くなっていたり生きていてもだいぶ高齢だわ。弟ができない限り、差し当たっては私になりそうよね」

「じゃあお嬢様、私なんてどうでしょうか? 一応はこんなでも伯爵家の系列ですよ。父が伯爵家の次男で、その長子ですから」


 急に、アスピスがいつもと違う蠱惑的な笑みを浮かべて、私を覗き込んでくる。

 確かに、アスピスはそんな出自だった気がする。でもだからといって私は何を提案されているの?

 意味を飲み込めず、正面のヴァイパーと隣に座っているルドルフを交互に見る。するとヴァイパーは深いため息をつき、アスピスを小突いた。


「今のは冗談だったんですが、通じなかったようで残念です。でも、お嬢様の認識の程度が理解できました」

「さっきから何なの?」

「アスピスは自分をお嬢様の結婚相手にどうか、と聞いていたんですよ」


 今まで黙っていたヴァイパーがようやく口を開いた。その言葉に、アスピスを驚いて見つめる。意味を理解して思い返すと、冗談にしてはあまりに現実味があった。私の驚きの視線に、アスピスは少し困った顔をした。


「だから言っただろう。お嬢様はこんなんでも、箱入りの侯爵令嬢には違いないんだ。そもそもお耳にすら触れない話も多いんだよ」


 ヴァイパーがあんまりな言葉を吐くので、私は少し腹をたてた。先ほどまでの不安感が馬鹿らしくなってくる。

 まさか呼び出されてまでして、知識でマウントを取られるとは思ってなかったわ。


「そう思っていたのなら、最初から説明してちょうだい」


 私が腰を据えて座り直すと、アスピスが説明を始めた。


「では、お嬢様。順を追ってご説明させていただきます。女性相続人というものは、何かと揉め事が起こりやすいのです。貴族は男社会で、相続人は長子だけ。あぶれた次男以下がたくさん居ます。そうした者たちは、私のように外で働いたり家の事業や領地を任されたりします。遺言によって遺産の分配を受ける場合もありますが、基本的に長子のような暮らしは出来ません。貴族の女性と結婚するのも難しく、独身の者も多いです。しかし、女性相続人と結婚するとなれば別です。その女性の相続するものが全て手に入ります。なので、無理に番になって結婚をしようと試みる不埒者も出てくるのです」

「…………」

「誘拐をされて無理やり番になり、教会に連れて行って司祭に申請させられたなんて話も聞きます。女性側は醜聞を避けるために、泣き寝入りをすることになります。婚約者がいても、と言う場合だってあるのです。さて、お嬢様は侯爵令嬢で、商会や領地を切り盛りする才がおありです。まだ旦那様も奥様もお若いですから、弟君がこれから生まれることもありえます。しかし、不埒者が無理やりお嬢様と結婚などしてみなさい。お嬢様を憐れんで、渋々でも相手を認めることになるでしょう」


 無理やり、と言う言葉に心底ゾッとする。運命の番同士で結婚した両親のことを考えると、間違いなくその不埒者をくびり殺させるような気もする。しかし、下手な貴族相手なら、最終的には認めることもありえるのかもしれない。


「それに、お嬢様は大変思わせぶりな方ですから、都合の良い勘違いしている輩もいるかもしれません」

「ちょっと!」

「前に貴方の方が、って言ってくれたじゃないですか。ああいうことを平気で言ってしまうお嬢様なので、私は大変心配しております」


 記憶を辿る。あの駄犬とだったら貴方の方が――確かにそんなことを言った覚えがある。というか、それくらいの言葉ならヴァイパーやアスピスなんかへの冗談で口に出したことなんて数えきれない。


「あれは一般論を述べたまでよ」


 私の反論に、アスピスは肩をすくめて穏やかに笑った。


「我々はお嬢様とはルドルフさん込みで長い付き合いですから。お世辞だったり冗談だったりとはちゃんとわかりますよ。ただ、お嬢様のことをよく知らない者で、お嬢様のそう言った物言いに一喜一憂しかねないかと。……ルドルフさん、最近、お嬢様に妙なアプローチを輩がいるそうですよ」


 隣のルドルフが、アスピスの言葉にぴくりと動く。

 そういえば、ヴァイパーにルドルフへ手紙のことを話しておくように言われていたけれど、忘れていたわ。


「その分だと、お嬢様から話はされていなかったようだな。でも、これはお前自身のつまらないプライドのせいでもあることは忘れるなよ」

「……うん、分かってる」


 ヴァイパーが冷たい声でルドルフを責める。それをルドルフは苦しそうな表情で受け止めた。それから、痛烈な沈黙が部屋に落ちる。

 私が危ない立場にいる、って言うのはよく分かったわ。なら防げば良い話じゃない。でも、なんでこんなに空気が重くなるのよ。

 ルドルフは強張ったままで、ヴァイパーは不機嫌で、アスピスだけが平気な顔でいる。しばらくすると、アスピスは穏やかな声で解散を告げた。


「と言うわけで、お嬢様。お話はこれで終わりです。しかし、護衛のことはご承知おき下さい。旦那様、奥様、お嬢様、そして我々の誰にも得がありません。まあ、私と番になって頂けるのならば、一番話は早いですが」


 この後に及んで冗談を言ってくるのに驚くが、空気を悪くしている他ふたりよりはマシだ。腐ってもこの中で最年長ではある。不穏な情報共有に精神的に疲れてきた私は立ち上がりつつ笑ってしまった。


「貴方も言うようになったわね」

「私は思慮深いお嬢様と違って――いいえ、私はとても素直なだけです」

「はいはい。どうせ私は素直じゃないわよ」


 アスピスは困ったように微笑んだ。部屋を出ようとすると、ルドルフが付いてくる。すでにルドルフの中で護衛とやらは始まったらしい。必要なら仕方ない。

 ドアを開けると、後ろから不機嫌なヴァイパーの声が追いかけてきた。


「ルドルフ、うちの家は四代侯爵家にお仕えしている。それでも、元はサーペンタイン侯爵家の傍流だ。意味がわかるな?」


 ドアが閉まると、ルドルフが私の手を握ってくる。私はその手に自室へと引っ張って行かれた。

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