第31話 懇願

「ちょっと!」


 自室に連れ込んだ駄犬の手を振り解く。別に抵抗するまではなかったから大人しく着いてきたが、主人として舐められるわけにはいかない。


「話がしたいんでしょう? なら、ちゃんとそう言葉になさい」


 まったく、しつけのなっていない。何よ。今まで私から逃げ回っていたくせに。

 私は内心毒づきながら、寝椅子に腰掛ける。ルドルフはその横で私を見上げるように跪いた。


「さっきの護衛、俺に任せて欲しい。お願いだから、俺にして」

「そんなことを言いたかっただけなの? 別にお前でもヴァイパーでもアスピスでも、私は構わなくてよ」


 私の言葉にルドルフは少し悲しそうな顔になったものの、はっきりと首を横に振った。


「駄目。俺にやらせて。ふたりなら……お嬢の意にそぐわない男と番わせるくらいなら、先に自分でお嬢を噛むよ」

「何を言っているの。そんな訳ないでしょう」

「ふたりともお嬢のことを大切に思ってる。お嬢に嫌われたりお嬢に恨まれたりしても良いって腹を括るくらいには」

「…………」

「ふたりとも貴族の血筋で、アスピスは商会を、ヴァイパーは領地の方を任されている。もし最悪の展開になったとしても、お嬢と結婚しても問題ない立場なんだ」

「まさか。ありえないわ」


 まさか、そう思う。でも、なら何でさっきふたりは血統の話をしたのかしら。アスピスの冗談、あれには真剣な響きはなかったかしら?

 私が考え込んだところに、ルドルフは畳み込むように話しかけてくる。


「旦那様も理由を知ればきっと許して祝福してくれる。ヴァイパーは、ああいうことを冗談で言う奴じゃないよ。もちろん、あれは俺への警告でもあるんだけど。あいつ怒っているんだ。俺がお嬢の側にいなかったから、だから悪い虫がついた、って」

「お前が側にいることと、それとは」

「関係あるんだよ。今まで、お嬢にはいつも俺の匂いがついてた。それか、ライオネル。イヌ型オオカミとネコ型ライオンだよ。それで近づこうとする男なんて、そうそういないから」

「何で……」

「お嬢を守りたかったから。でも、ライオネルはとは婚約解消したし、俺は……ごめん。ヴァイパーの言うように、俺が固執しただけで……」


 変なことが起こり始めたのは、殿下と婚約が解消になり、ルドルフが私を避け出してから。皆が口を揃えて、私からルドルフの匂いがしない、と言った。

 じゃあ、私の今までは……?

 考えたくもないことをルドルフに突きつけられ、私は横を向く。今日はずっと聞きたくない事ばかり聞かされる。私も疲れてきた。このままどこかへ雲隠れしてしまいたいくらい、物事が目の前に積み上がっている。

 そんな私の顔に、ルドルフが手を伸ばしてきた。それを払いのけると、両肩に手をかけられる。息のかかりそうなくらい近くで、真摯な表情でルドルフが覗き込んでくる。


「お嬢、お願い。聞いて」

「嫌。嫌よ。それに、アスピスとヴァイパーじゃなくたって、お前だって私を噛もうとしたじゃない」

「それは……そうだけど……でも、お願い」


 ルドルフが私の肩を押してくる。勢い余って、そのまま寝椅子に押し倒された。


「守らせて欲しいんだ。お嬢にとっては、頼りないかもだけど、俺を一番に信じてほしい」

「な、――」

「お嬢が俺以外と番うなんて、絶対に嫌なんだ」


 泣きそうな顔をしたルドルフがのしかかってくる。銀色の髪が頬に触れ、ルドルフの息が首筋にかかる。全身が甘く痺れて、私は動けなくなってしまった。お腹から背に、足に、さざなみのような痺れがぞわぞわと走る。恐怖と興奮で、体が熱くなる。

 ――噛まれる。そう思ったが、いくら待っても痛みは来ない。

 思わず瞑ってしまった目を恐る恐る開く。ルドルフの顔は髪で隠れて、見えない。しかし、わずかに見える口元は、自分の腕に噛みついている。


「お前、腕を……」


 ルドルフが私の上で身を屈める。腕からは、血が流れている。私に噛み付く代わり、自分の腕を噛んだらしい。かなり深く噛み付いたのが一目で分かった。その傷も気にせず、ルドルフは血のついた唇で私に懇願する。


「お願いお嬢。俺を選んで。俺にお嬢を守らせて」

「…………」

「考えてもみてよ。お嬢を噛みつくことなんて、この十年、俺にはいつだって出来たんだ。だけどそんなことをしたら、お嬢の心は一生手に入らない。でも、お嬢が俺以外と、なんて考えると頭がおかしくなる。でも、俺は、お嬢に選ばれたい。だから、お願い。せめて、俺に守らせて」


 頭がおかしくなる。その言葉に、不意にルドルフが先生に放った言葉が蘇る。

『先生はセレナ様が他の男に取られて、気の狂わない自信がおありですか? 一人だけしか選べないのなら、余計に先生は勇気を出すべきです。自分ではない者がセレナ様を幸せにする。そのことをよく考えてみてください』

 そんなに、ルドルフは私のことが?


「お嬢……」


 掠れた声でルドルフが私を呼ぶ。でも、私はもう何も考えられなくなってしまった。腕で頭を隠し、目を閉じる。嬉しい、とも嫌、とも答えられない。


「お前の気持ちに、いいえ、お前やみんなの気持ちに、私は応えられそうにないの。こういう時に、どうしていいのかわからないの。だって本当に、わからないんだもの……」


 自分ながら、本当に馬鹿げている。ルドルフが自分を好きだと言った時から、時間はあった。それでも、私は自分でそれを考えないようにしていただけなのだ。

 ルドルフは何も言わない。しかし、ややって上から退き、私を抱き起こした。


「……呆れたでしょう?」

「ううん、お嬢は今、一杯いっぱいなんだよね。本当に、ごめん」


 くぐもった声で、ルドルフが振り絞るように言う。頭を抱えた私の髪をルドルフの手がゆっくりと撫でた。


「でも今だけは俺にして。俺を利用していいから。だから、お願い。答えなくていいから」

「でも……」

「大丈夫だよ」


 私が口を開きかけると、ルドルフはそれを遮るように断言した。


「お嬢が決めるまで、いつまでだって待つから。俺は昔から待つのは得意なんだ」

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