幕間 番

「お嬢様、あのいつも覗いているオオカミの子どもは、使用人の子どもかなにかですかな?」


 授業が終了した時、老博士が窓を指さして私に聞いてくる。さすが鳥の頭がついたフクロウの獣人。視野は狭いが首が反対側まで回る。私がルドルフを見つけた時の反応で、背を向けている窓の向こうに気づいたのだろう。

 窓の外のルドルフは流石に慌てて身をかがめたようだ。見つかってから隠れても仕方ないのに、と私は呆れた。


「気にしないでください、先生。あれは私が拾った子で、私付の――え、オオカミ? イヌでしょう?」


 ルドルフが私の周囲をうろちょろとし始めてから何度言ったか分からない説明を話す。その途中、先ほどの老博士の言葉が意味を持って脳に届き、私は驚いた。


「……いいえ。同じイヌ型ではありますが、あの子の特徴はオオカミのそれです」

「そ、そうなんですの。浅学で恥ずかしい限りですわ」

「お嬢様が気づかないのも仕方ありません。この国にはイヌ型は多けれど、オオカミに分類される者は殆どいませんから。珍しいのです」


 老博士は私が拾ったという言葉に驚いたようだったが、私の質問にしっかりと答えた。博覧強記な博物学の先生が言うのだから間違いはないだろうが、私は前世での狼のイメージとルドルフが噛み合わず、少し混乱する。

 だって狼ってもっと孤高で、肉食の猛獣で、人間にとって脅威のある動物じゃないの? あの人懐っこいコロコロしたルドルフが?


「王族がオオカミのものだと苦労するとか。生涯でひとりとしか番わないので、お世継ぎでよく揉めるとのことなのです。その点、我が国はネコ型のライオンの方なので安心ですな」


 老博士はゆったりとした足取りで窓に向かい、窓の外のルドルフに話しかける。


「なあ、君。シブリッジの戦いはいつかな?」

「えっと、王国暦三七八年です」


 急な質問にルドルフは驚いたようだったが、いつも私の授業を覗き見しているだけはあり、難なく答えてみせる。最近は私の読んでいる家の所蔵の本もよく覗き込んできては、言葉の意味を私に聞いてくることがある。

 まあ、こうやって聞かれても困らないようには従者の教育が出来ているというのは、素晴らしいことだわ。


「相手は? 結果は?」

「ヴォルフガング王国と戦い、ロクサドーン将軍の活躍によりわが国が勝利しました」


 老博士はルドルフの答えを聞いて、満足そうにホーホーと笑った。


「授業に興味があるかい?」

「はい」

「なら、もしお嬢様がいいと言うのなら、次からは部屋の中で聞きなさい」


 教授や博士という種のひとはどこの世界も変わらないな、とぼんやり思う。知を求めて門を叩くものには寛容すぎる。正直、老博士がルドルフに話しかけた時、こうなるとは勘づいていた。私は小さくため息をつく。


「ルドルフ。先生がこう言って下さっているのだから、ドアから来て挨拶なさい」

「うん!」


 ルドルフが窓の外を駆けていく。老博士はまたゆったりと歩き、私の横へ戻る。そしてゆっくりと紅茶を口に含んだ。


「……失礼を承知でお聞きしたいのですが、お嬢様はもしかして鼻があまり良ろしくないのでは?」


 ルドルフを待ちながら、老博士は不意に私に質問してくる。その質問はここ半年くらいでよく尋ねられるものだった。

 私には全然分からないけれど、よく聞かれるのよね。そう言えば、剣術を教える騎士の方にも聞かれたような。


「ええ、自覚はないのですが、そうみたいです。こういう紅茶の匂いは分かるのですけれど」

「それは香りでございます。香りと匂いは感じ取る器官が違うのです。以前に大病をされたとか」

「ええ、もう三、四年になります。でも、何故か最近になってよく指摘されますわ」

「匂いを感じ取る器官が高熱でダメージを受けたのかもしれませんな。心理的抑圧が関係あるとも言われますが……なるほど」


 私には何がなるほどなのかは分からなかったものの、老博士は自分で納得が行ったらしくうんうんと頷いた。そうこうするうちに、ルドルフがやって来る。


「先ほどは失礼いたしました。ルドルフと申します。よろしくお願いいたします」

「ルドルフ君だね、よろしく」


 ルドルフが教えた通りに挨拶をしっかりしたのを見て安心する。しかし、私は先ほどまでの自分の鼻がよくないという話が気になって仕方がない。ルドルフの到着で途切れてしまった話に話題を戻した。


「それで、鼻が悪いとなにか困ることがあるのでしょうか?」

「はい。一般的に、自分の『運命の番』を探すには相手のフェロモンを嗅ぎ取る必要がありますから。そうでなくとも、結婚相手を探す時には相手の匂いを気にされる方は多いのです」


 ああ番の話ね、と私は納得する。この年頃の子どもは知る由もないだろうが、私は両親が『運命の番』同士であるから、なんとなく話を聞いていて把握している。『番』という概念は、いわゆるオメガバース設定の番のようなものだ。モチーフとなっている前世で言う動物の習性がかなり反映させられている気がする。

 だから、やっぱりここは日本で作られた物語世界なんだわ。どこかで見聞きしたことがある気がする。でも、はっきりどのゲーム、どの漫画、どの小説かなんて断定できない。だから、未プレイの何かの世界に間違いないと思うのだけれど。


「……しかしお嬢様の場合は逆に良いのかもしれません」

「『運命の番』って何ですか?」


 老博士が気になる言葉をポツリと漏らす。しかし、私がそれについて聞く前に、ルドルフが真っ当な質問をした。初耳だったらしい。私を含めて、幼いルドルフにそういう知識を与えようとする者もいないだろう。

 老博士は、質問をされたことが嬉しかったらしく、説明をし始めてしまった。

 夫婦や恋人という『番』の中でも、特別な『運命の番』も存在する。すべての相性が完璧で、出会った時には一目で愛し合うようになり、どちらか一方が死ぬまで関係が続く。その相性とは相手の出すフェロモンで推し量ることが出来、『運命』のレベルであればふたりの調和について他人にも嗅ぎ取ることすら出来る。きちんとした番が居て関係が良好であれば、基本フェロモンは安定して減退する。ただし、『運命の番』に関しては別であり、既に番が居たとしても『運命』を追い求めてしまう。なので、一夫一婦の形式を取る型については、結婚について非常に慎重な態度を取る。

 そのようなことを老博士はこんこんとルドルフに話した。ルドルフはその意味があまり理解出来なかったようだが、ある一点についてはひどく琴線に触れたようで、目を輝かせながら聞いていた。話を聞き終わった途端、私を見てにっこりと笑う。


「じゃあ、お嬢はきっと俺の『運命』だね」


 何を馬鹿なことを、と言いかけた私より先に反応したのは、老博士だった。ルドルフの発言を嗜めるように放たれた言葉。私はその言葉に目を剥くことになった。


「滅相もないことを。お嬢様は、王太子妃となられる方です。ルドルフ君、そんなことを口に出してはなりません!」

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