第32話 異変
「学園へお嬢と行けるようになるとは思ってなかったな」
「……そうね」
馬車の中、ルドルフが
ルドルフは本当に
考えすぎて、昨日は眠れなかったわ。
まんじりともしないで一夜を明かした私は、いつもよりずっと早く家を出ることにした。そうすれば今日私に付くのはヴァイパーになるだろうと思っていた。だが、ルドルフは私がそうすることを分かっていたように問題なく対応してきた。
こうして朝からすでに困り果てている私は、馬車の扉についた窓から通りを熱心に見ているふりをするだけ。私のぎこちなさにルドルフは気づいているようだが、そこには踏み込んで来ない。今日一日が既に思いやられる。
そんなことを思っていると、学園に近づいたところで、やけに急いだ馬車とすれ違った。
「あら、今のって……?」
今の紋章。セレナの家の馬車だったわよね?
「お嬢、危ないよ」
確信を持ちたい私は窓を開けて身を乗り出そうとしたが、ルドルフが私を引き止める。するとその後、すぐ後に見慣れた王太子の紋章入りの馬車が横を走り抜けて行った。
「何なの⁉︎」
窓を外し、伯爵家の馬車を追走する王太子の馬車を確認する。すれ違ったまま既に学園の門まで来てしまったが、殿下とセレナに何かあったのは間違いない。
「セレナに何かあったのかしら……」
「分かった。引き返させよう」
すぐさまルドルフが御者へ指示を出そうとする。しかし、馬車から降りた瞬間、何を思ったか突然飛び出して行った。
「セレナ様!」
その声に私も馬車を降りる。ルドルフが走っていく先には、セレナの姿があった。令嬢には似つかわしくないと分かっているが、それどころじゃない。ヒールを脱いで掴み、私もセレナの元へ駆けていく。
「セレナ、どうしたの⁉︎」
「さっき、番になれ、ってライオネルが迫ってきて。でも、ジョナサンが助けてくれて。馬車に乗るふりをしたんだけど、きっとすぐに気付かれちゃう。どうしよう……」
近づくと、セレナがボロボロになったネックコルセットを握っているのが分かった。その瞳には涙が溢れている。
「ディル、助けて……」
私はその涙を見て、自分でも怒りで顔が赤くなったのを感じた。殿下がついに実力行使に走ってしまった。計算高いくせに最終的には高潔な方法で通してくる男、そう思っていたのに。ジョナサンは殿下が今週は学園へいらっしゃらないと言っていたのに。しかし結局、殿下が私に釘を刺してきた時に、すでにこの結末は決まっていたのかもしれない。
一瞬、ジョナサンに謀られたとも疑うが、あの時のジョナサンの様子を思うと決して嘘は言っていなかったように思う。ジョナサンとしては、隣国の王女殿下に恥をかかせるようなことはしたくないだろうし、メリットがない。セレナを庇ったとなると、ジョナサンも殿下の乱心に同調はしていないだろう。
何はともあれその時が来た、ってだけよね。所詮、殿下もフェロモンという化学物質に負けただけ。とにかくまだ登校時間としては早くてよかった。
幸運にも周りにはまだ生徒たちが居ない。騒ぎとなる前に、セレナと先生には収まるところに収まってもらうしかない。
「ルドルフ、先生を呼んできてちょうだい。セレナ、いいわね?」
「で、でも」
「殿下がご乱心ですもの。もう観念して、番になってもらうしかないわ。大丈夫。あのハクトウワシはね、飛べるか飛べないかなんて見てないわ。貴女と番になった時のことなんて今から心配して嫉妬しているのよ。そんな男だもの。だから、絶対に、来るわ」
先生には悪いけれど、こんな時にプライバシーなんて言っていられない。
「セレナ、貴女いつもこんな時間に来ているの?」
「え、ええ。早く来たりすると、たまに先生に会えることがあるから――」
「ルドルフ、セレナのネックコルセットを入れてカーテンを下ろした状態で、馬車を先生の家へ向かわせなさい。もしかしたら、時間稼ぎになってくれるかもしれないわ。でも、先生は絶対に学園の中にいるはずよ。先生はね、セレナに会いたくて毎日学園に来ているのよ。セレナがこの時間から居るのなら、先生もどこかに居るはずよ」
ここで侯爵家へ向かっても、王太子という権限の前にセレナを匿うなんてことは出来ない。伯爵家には、殿下が向かっている。なら、今は先生が来るまで学園の中に隠れるしかない。
「私はセレナと避難する。あの時計台のある棟の屋上へ向かうわ。学園に馴染みがなくとも私の居場所くらい分かるでしょう?」
「もちろん!」
ルドルフが御者へ先生のところへ向かうよう指示し、自分は校舎の中へ全速力で走っていく。私は震えるセレナの手を握った。
「旧棟なら、人も殆どいないし、門からも遠いわ。屋上なら先生が飛ばれるなら見つけやすいでしょう。とりあえずはあそこに隠れましょう」
「ごめんね、ディル。ルドルフさんにも、迷惑かけちゃって……」
「迷惑なんて思っていないわ。こういうことのために、私はずっと準備してきたもの」
そう。むしろセレナのおかげで私の九年にも渡る問題はあっけなく解決されてしまった。セレナに会うまでは、私はこういう刃傷沙汰もあり得るとも想定していた。悪役令嬢だと知ったばかりの時は、私闘はもちろん、死刑や私刑に関する法律を調べて震えていた。転生に気づいてから、私の乱心で家が取り潰しになる悪夢を何度見たことか。
小走りで学園の中を駆けながら、涙を流すセレナの手を引く。
「前に、何で私がどうして準備してきたのかって聞いたわね?」
「う、うん」
「私もね、前世の最期のせいよ。前世はね、神様なんて信じてなかったけれど、真面目に生きていれば報われると思っていたの。でもね、赤の他人の男女の痴情のもつれで、その場にいたという理由で巻き込まれて刺されちゃったわ。周りには人だかりがあったのに、誰も助けてくれなかった。だからディライアになってからは、自分の足固めをすることにしたの。執着って言っていいくらいにね」
走りながら、話すせいで息が上がってしまう。最近はあまり運動をしていなかった自分が憎い。もっと体術なんかを勉強していた時だったら、こんな無様は晒さなかったと思う。
「商会も、領地も。勉強や、武術のようなことだって。何だってやったわ。親の権力の傘を着て、駄犬に言わせたら『悪徳令嬢』なんて言われることまでやったしね。もちろん隠れてだけど」
「じゃあ、余計に悪いよ。何で私を助けるなんて言ったの!?」
セレナが立ち止まり、私の手を振り解く。私はそれを見て、悪役令嬢らしく高笑いした。
「おーほっほっほ! なんてことないわ。貴女と殿下に巻き込まれても、今度は死んだって絶対に死んでやらないわよ」
「ディル……」
もう一度セレナの手を握り、その手を引っ張りながら屋上まで階段を駆け上がる。
「私が貴女を助けたいのは、私のために自分の命を軽く扱うお馬鹿さんを見つけたから。だって、貴女は何も備えていなかった」
「でも――」
「前に、ヤンデレもオメガバ亜種の世界観も全然嬉しくないなんて言っていたわね。その通り、理不尽よ。『運命』って、巻き込まれた人間には納得できない不条理よ」
屋上のをドアを開ける。まだ先生はいない。息も切れ切れに、セレナを振り返る。その顔は走ってきたせいで先ほどよりは顔色が良い。私はにっこりとセレナへ笑いかけた。
「私はそれに一矢報いたいだけのかもしれないわね」
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