第33話 バッドエンド・1
屋上のドアはこちらから施錠したものの、そんなものは時間稼ぎにしかならないことはよく分かっていた。頭が良く行動力のある殿下のことだ。すぐに学園に引き返してセレナを追いかけてくるだろう。
屋上にも空にも、まだ先生の姿はない。さっきルドルフが駆けて行ったばかりなのだから当たり前だが、早くセレナと結ばれてもらわないと全員が不幸になる。ああは大見栄を切ってセレナには言ったものの、先生が意気地なしだった場合を考慮していなかった。
一夫一婦の形式を取る型については、結婚について非常に慎重な態度を取る。というのは、誰に聞いた話だったかしら。ルドルフにああも詰められて、先生は言い淀んでいた。もし、あれで来ないのなら、やっぱり『運命』なんて、その程度のものなんだわ。
ざわざわとした不安感が胸をよぎる。さっきまでの走ったことによる汗が、いつの間にか冷たいものに変わっている。私は空を見上げて先生を探しながら、ルドルフのことを考えていた。
つくづく嫌な女よ。よく分からないなんてルドルフのことは待たせている癖、私はこうやってルドルフを利用して、そして期待しているんだから。
『お嬢はやっぱり俺が側にいる前提で物事を考えてるよね』
以前ルドルフにそう言われた時、私はなんだか癪だと腹を立てたけれど。恥知らず。きっと図星だって自分でも分かっていたのね。
「ルドルフはまだなのかしら」
私がそう言いかけた時、セレナが私の袖を引いた。
私ったら、こんな時に何を考えているのかしら。
即座に自分よりも不安であろうセレナの前でぼやいたことに恥入る。しかし、セレナは私を咎めているわけではないらしい。その手は強く私を引っ張り始めた。引かれるがまま、ドアから遠のく。見れば、その顔はまた青白くなっていた。
「ライオネルが、来てる……」
セレナが震える唇でそう言う。ドアを見る。胸のざわめきがどんどんと大きくなる。そう、さっきからのこれは、確かにあの時生徒会室で感じたような――
突然、ドアノブがガチャガチャと音を立てて回り、最後には金属のへし折れる音がして、ドアが開く。その隙間から、深い金の髪をなびかせた男が現れた。
「ライオネル……」
「ここにいたんだな、セレナ」
殿下が、私には目もくれず、セレナに話しかける。『運命』へ向ける優しい微笑みを口元に浮かべてはいるが、その赤銅の瞳は興奮で爛々と暗く輝き、邪魔なもの一切を噛み殺しそうな威圧感を含んでいる。間違って話に割り入れでもしたら、というものものしさがあった。
「俺と番になろう。本当なら、正妃を娶るには公示を出してからが相応しいんだが、すまない。時間がないんだ」
「ご、ごめんなさい、私はあなたとは番えません! 私には好きな人が居るんです!」
「まだそんなことを言っているのか。セレナ、間違いなく君は俺の『運命』だ。心配することはない。今に君にも理解できる」
セレナが震える声で懸命に断るにも関わらず、殿下は的外れな解答をする。完全におかしくなっている。これ以上は、流石に看過出来ない。
私が今すべきことは、時間稼ぎ。
私は扇を取り出し、開く。手のひらの傷を見、それを強く握って勇気を振り絞った。
「あら、殿下。ずいぶん余裕がないんですのね。いったいいかがなされたのです?」
セレナを庇うように前に立ち、扇の向こうの殿下を見据える。出来るだけ、ゆっくり。出来るだけ、優雅に。出来るだけ、『悪役令嬢』っぽく。
「殿下は、何を、しようとしていたのかしら? 私の大事なお友達に」
「ディライア……」
私の言葉に、今初めて私に気がついたかのように殿下がこちらを見た。殿下が私の名前を揺らいだ声音で呼ぶ。
「あら、前にお伝えしましたでしょう? 私のことはサーペンタインとお呼び下さい」
殿下が私を嘲るように笑った。
「なら一層、君には関係のないことだろう?」
「セレナは私の大切な友人です。もし関わるなと仰られても、承服しかねます。それに臣民として、殿下の蛮行は看過出来ませんわ。セレナは伯爵家のご令嬢です。もし強制的に番にしたことが明るみに出れば、王室の権威は失墜します。それを分からない殿下ではないでしょう?」
「……それは、君が話さなければ良いだけだ。君のことはずっと前から目障りだった。俺にだって手がないわけではないんだ」
「まあ恐ろしい。でも、横恋慕をしている方に言われてもねえ」
私はくつくつと笑ってみせる。私がここまで言い返すとは思っていなかったのだろう。殿下は少しだけ驚いた顔をして私の顔をじっと見た。しかし、すぐに首を振り、怒気を隠さずに私を睨む。
「これ以上、君と話すことはないな」
殿下がそう宣言した途端、セレナが悲鳴をあげた。確かに恐ろしかったが、セレナの尋常じゃない様子に、殿下も怪訝な表情になった。セレナに腕を掴まれた私は、振り返る。その先のセレナの表情は、殿下の申し出を断った時以上に鬼気迫るものがあった。
「や、やだ……ディル、逃げて! 殺されちゃう!」
「大丈夫よ、死んだりなんかしてやらないわ」
大丈夫だからとセレナの掴んでいる腕を解こうとするが、セレナは離さない。目を真っ赤にしながら、セレナが絶叫する。
「違うの、ディル! だめなの! だってこれ、【バッドエンド】の時の確定セリフなんだもの!」
「なんですって⁉︎」
ライオネルルートの【バッドエンド】は、主人公が複数ルートに入った状態でライオネルととある分岐まで行っている場合に発生する。主人公の一番好感度の高い
その主人公の一番好感度の高いキャラ、と言うのが攻略対象だけでなく『おりおり』に出ているネームドキャラと言う意味なら。本来は敵対し好感度の低いディライアがもしもセレナに攻略されていたら。私もあり得る、ってことなの?
愕然とするが、納得するものもある。女性向け恋愛ゲームの主人公は、まるでセラピストかのようにだんだんと攻略対象の心に触れ、その懐へ入り込む。そして、主人公無しでの自分を考えられなくなるほど、攻略者は主人公のことを愛するようになる。そして、その攻略者には時として友情ルートとして同性の友人も含まれるのだ。
まるで攻略されているみたい。冗談だったが、そんな風に思ったことはある。ゲームの観点から見れば、誰にも話したことなんてない前世の最期の話をセレナにはした。友情の証としておそろいのキーアイテムまで手に入れている。セレナのために、困難に直面だってしている。
それはもう、一番攻略が進んでいるキャラクターは私でしょうね!
「信じられないことばかりね、セレナ。でもね、私は貴女が迎える貴女の【ハッピーエンド】ってやつを見てみたいのよ」
「やだ! ディル、やめて!」
セレナの手を振り解き、殿下に対峙する。殿下は今まで以上に苛立った様子で、こちらを睨んでいた。
「君たちはいつもそうだ。自分たちにしか分からない話をして、俺には分からないだろうとたかをくくる。
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