第34話 バッドエンド・2

 時間を経るごとに、殿下の苛立ちが募っていく。さっきからの殿下の時間がないという言葉。私には思い当たる節があった。


「俺には時間がないんだ! そこを退け!」

「いいえ、退きません。殿下、貴方様はこんなところでこんなことをして良いお立場ではないでしょう」

「なんだと――」

「キールス王国の王女殿下はよろしいのですか?」


 完全に殿下の注目が私へ移った。何でそれを、という表情をしている。

 やっぱりジョナサンは嘘をついていなかったのね。きっと今週の間に、キールスの王女殿下との結婚の話が進んで、焦ってセレナと番おうとしているんだわ。だって、殿下は複数の番ハーレムを持てる王家のライオンなのに、私との婚約を解消したくらいなんだもの。

 思い詰めれば、こうなっても仕方ない。そこまで考えた私は、この土壇場で今までの出来事が全てつながり、自分が殿下にとって残酷なことをしようとしていることに気がついてしまった。

 ライオネルルートの【トゥルーエンド】に必要な情報のひとつ。殿下の母君のこと。殿下の母君は遠い国から正妃として輿入れされた。しかし、その後に国王陛下が『運命の番』と出逢われてしまい、側妃に降格された。国民は陛下が『運命』と出逢われたことを祝福した。それでも、すでに後継者となる男子を産んでいた為、母君は国へは帰れなかった。世継ぎのことも含めて、『運命』であられる王妃様も含め色々とあったと聞く。だからこそ、陛下と殿下には確執がある。

『巡り合っているのなら、番った方がいい。……そうすればトラブルも少ないだろう』

 だとしたら、殿下のあの言葉は。

 私は頭を振り、殿下の事情とセレナの事情を切り離す。いくら理由があろうと、セレナにその皺寄せを強いてはいけない。


「……ライオネル、それでも貴方はセレナの『運命』ではないのです。貴方はもうとっくにフラれてるんですのよ!」

「ディライア・サーペンタイン! 君が、それを、言うな。何も分からないくせに!」


 振り上げた王子の爪を腕で庇う。腕に鋭い痛みが走り、持っていた扇を取り落とす。セレナが悲鳴をあげる。深く刺さってはいないと感じるが、血が腕から滴って地面に落ちた。


「いいえ、私以上に分かる者はいないわ! 私はね、この世界じゃ生まれた時から貴方にフラれるように出来てるのよ!」

「また、訳の分からないことを……!」

「王子、いけません!」


 ジョナサンが殿下の背後から走ってくる。ジョナサンは私と殿下の間に駆け込み、私たちを庇うように立った。


「ディル……ああ、ディル! 腕が!」


 セレナが私の腕に駆け寄り、ハンカチを巻いてくれる。ありがたいが、今はそんなことをしている場合じゃない。ジョナサンが庇ってくれいてる隙に逃げ出さなくてはいけない。私の腕の手当てをしているセレナを抱き寄せながら、じりじりと入り口へにじみ寄る。

 よく見ればジョナサンはすでにズタボロだ。殿下がセレナに番になるよう詰め寄った時、セレナはジョナサンが助けてくれたと言っていた。つまり、ジョナサンでも殿下は止められない。これも時間稼ぎでしかないのだ。


「ジョナサン、そこを退け! これは命令だ!」

「いいえ、命に代えてもそのご命令は承れません」

「なら、これはもういらないな!」


 殿下がジョナサンの首元から何かを引きちぎり、ジョナサンに向かって投げる。足元に転がったものを見ると、ジョナサンがいつもつけているループタイのアグレットだった。力任せに投げたからだろう。王太子の廷臣だけがつけられる紋章部分には、大きなヒビが入っていた。


「王子、貴方様に後悔をさせない為の私です」

「……後悔なんてすることはない。始まってもないんだからな」


 主従にしか分からない話をしている殿下とジョナサンから距離を取ろうとするが、ジョナサンの闖入でセレナのことを諦める殿下ではない。私たちが立ち去ろうとするのに気がつき、ジョナサンを床に突き飛ばした。


「セレナ、走るのよ!」


 殿下がこちらへ向かって、爪を振り上げる。私はそれを避けようと、セレナの背を押し走り出す。


「お嬢!」


 ――殿下の爪は届かない。

 声で分かっていたが、振り返りその声の主を確認する。殿下を羽交締めするように、ルドルフが殿下を押さえつけている。極限状態のせいか、その顔を見ただけで泣きそうになった。


「遅いじゃないの!」

「今のうちにセレナ様を!」


 ルドルフが叫ぶ。セレナの腕を掴むが、セレナは動かない。その顔を見て、私は緩んだ緊張感を放り出した。涙すら涸れた藍色の瞳から光は消え、薔薇色の頬は色褪せ、力なく笑っている。


「先生、来てくれなかったんだね……ディルにも怪我させて……全部、私のせいで――」


 セレナが後ずさり、屋上を囲む柵にぶつかる。


「お嬢!」


 ルドルフが大きく叫ぶ。ルドルフの声に振り返ると、こちらに向かって、王子が突進してくる。咄嗟にセレナを庇った。が、私は気がついたら地面に向かって倒れかかっていた。

 突き飛ばされた。セレナに。視線だけでセレナの方を見る。セレナに殿下が鉄柵ごとぶつかる。柵が傾いていくのが見えた。


「セレナ!」

「王子!」


 世界がスローモーションになったかのように、自分の五感だけがその一瞬を捉える。セレナの手が柵にすがる。しかし、その柵さえも音を立てて崩れていく。屋上の地面の向こう側へセレナと殿下が倒れていく。ジョナサンが殿下に飛びつく。必死に起き上がり柵にぶら下がるセレナへ手を伸ばそうと駆け出すが、私の手は届かない。自分が後ろから抱きしめられているのに気づく。

 ルドルフ! なんで、なんでこんな時に、私を優先するの? このままじゃ、落ちてしまう。あの子は……セレナは飛べないのよ⁉︎

 ルドルフの顔を見上げた瞬間、空を大きなものが横切り、ものすごいスピードで柵の向こう側に駆け降りていった。


「大丈夫だよ、お嬢。間に合っているんだ」


 大きな羽音が響く。涙で歪んだ視界に、広い黒の翼と小さな黄色の鳥が空へ舞い上がった。セレナが空中で泣きながら先生に抱きつくのが見えた。泣くじゃくるセレナの首に、ついに先生が噛み付く。

 ルドルフが私の身体を離したので、私はその場に座り込んだ。


「……先生、ヘタレは返上ね」


 なるほど、あれなら、セレナが飛べても飛べなくても、気にしないわ。だって、自分ひとりで十分過ぎるほどなんですもの。

 先生の大きな翼を見ていると、セレナの翼はほとんど飛ぶのに役に立たないのだと分かる。文字通りの比翼の鳥のごとく、自分の羽だけでセレナを難なく支えている。セレナは安心した笑顔だ。先生がセレナを落とすことなど絶対にあり得ないという信頼がその顔から感じられる。

 。あの絶対の信頼感は羨ましいわね。あれがきっと『運命』ってやつなのね。

 セレナは先生がそうなのかは自信がないと言っていた。それはこの世界で誰とでも『運命』になれるヒロインだけの悩みだったが、結果はどうであれ杞憂だったに違いない。ちゃんとセレナは自分で絶対に結ばれたい相手を見つけ、手に入れたのだ。

 私は二人が幸せそうに飛ぶのを眺めながら、ため息をついた。

 私にも、誰にも冒されない『絶対』が欲しかった。だって最期はみなひとりきりで、他人は助けてくれないから。他人は変えられないから、自分で出来ることは自分でしてきた。だから、私をセレナが助けてくれた時に、セレナを助けない選択肢はなかった。

 でも、私が自分でやってきたと思っていたことは、私ひとりでは出来ないことばかりだったと最近は思い知らされることばかりだ。知らないうちに私はずっと守られていたようだし、両手足の男たち無しでは私の作った環境は保てない。

 そもそも、絶対に裏切らない存在が欲しくて拾ったんだったわ……。


「おい、オオカミ! いいから、手を貸せ!」


 ジョナサンが大声でルドルフを呼ぶ。いつもばかに丁寧なジョナサンが言葉を荒げているのは、初めて見た。ジョナサンはひとりで殿下を引き上げるようと格闘していたようだが、無理だったらしい。ルドルフが加わり、すぐに殿下が引き上げられる。

 床についた殿下を見て、ルドルフがため息をつく。


「失望したよ。まさかお嬢に手をあげるとは。お前はもっとマシな奴だと思っていたのに」

「…………」


 いつになく冷たい声でルドルフは殿下に言い放った。不敬すぎる使用人に私はヒヤヒヤしながら聞いているが、殿下は俯いたまま黙っている。ジョナサンも甘んじてルドルフの言葉を聞いている。しまいに、ルドルフは鼻を鳴らした。


「お嬢のこと、好きだったくせに」

「はあ⁉︎」


 淑女らしからぬ声を上げた私に、ルドルフが嬉しそうに尻尾を振りながら話しかけてくる。


「お嬢、屋敷へ帰ろっか。腕怪我してるし。見えるところにライ――王子がつけた傷が残ったら嫌だし。これで責任取るとか言い出したらもっと困るからね」


 私は驚きすぎて、何もいえない。殿下は動かない。ジョナサンを見るが、顔をそらされる。ルドルフが手を引っ張ってくるが、足腰が立たない。


「え、もしかして腰が抜けちゃった? お姫様だっこでいいよね?」


 ルドルフが嬉しそうに私を抱き抱える。私は何も言えないまま、セレナや殿下たちをそのままにルドルフに連れ去られた。

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