第35話 変化

 殿下が、私を好きだった? いつから? どうして? 悪役令嬢わたしのどこを?

 思い返すが、私を好きだったなんて様子はこれまで一度も無い。どちらかと言えば、いつも冷ややかな態度だった。名ばかりの婚約者で、私に至ってはどうせ婚約破棄されるものだからと地の性悪さを取り繕うこともしなかった。それなのに。

 いえ、きっとルドルフの勘違いに違いないわ。だって、殿下のセレナに向けるような笑顔なんて見たことがなかったもの。たとえさっきの殿下とジョナサンの反応にあまりに現実味があったとしても。ルドルフはセレナに嫉妬するくらい嫉妬深いんだもの。殿下にそんなつもりがなくても、勝手にそうやって思い込んでいただけだわ。

 そこまで思考がたどり着き、私はルドルフが私のことが好きだと言ったことを思い出す。途端、あのぞわぞわとした身震いするような感覚が蘇り、そのルドルフに横抱きされ続けている自分に気がついた。

 我に返れば、周りがざわざわとしている。もうほとんどの生徒が登校し、授業を待機する時間になっている。教室へと向かう生徒たちに逆らって、横抱きのまま学園の門へ向かっているのだから目立つことこの上ない。


「ルドルフ、降ろして」


 慌てて小声で鋭く命令するが、駄犬は言うことなんか聞かない。


「早く帰って手当しないと。その腕、傷が残っちゃうよ」

「それとこれとは話が別でしょう。もう歩けるわ。私を降ろしなさい。みながこっちを見ているのよ」


 私を運びながらにこにこ笑っているその顔を押し除けようとするが、逆にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。


「嫌だよ。だって、この学園の中にはお嬢に妙な手紙を送りつけた奴がいるんだから」


 見ると、その金目はあの思い詰めた時の暗い瞳をしている。私はもがくのをやめた。流石に学んでいる。こいう時のルドルフを逆撫ですると良いことは何も起こらない。


「王子とは婚約解消しようと、お嬢には俺がいるってことはちゃんと示さないとね」

「……ああ、そう」


 昨夜、私に俺を選べと泣いて縋り付いてきたのと同じ男とは思えない。

 いいえ、そう言えば今朝には至極普通に接してきた。避けられるよりはマシだけれど、私は顔さえ見られなかったのに。なんだか悔しい気もする。

 その羞恥心はさっきの騒ぎで完全に忘れていた。今はルドルフの腕の中から逃げられないし、恥ずかしがれば堂々巡りの思考に陥るだけ。昨日はそのせいで一睡もできなかった。

 私はため息をついて項垂れた。


「それにしても、あいつは本当に容赦ないよね。どれだけ俺のこと嫌いなんだろう」


 学園内の往来で、王太子殿下をあいつ呼ばわりする使用人を咎める気すら起きない。

 聞いたところで、誰も殿下のこととは思わないでしょうけど。


「血の匂いで分かったみたいで、揉み合った時に怪我している方の腕を狙って来たし」

「ちょっと! なら、余計に降ろしなさいよ」

「絶対に嫌だよ」


 ルドルフがきっぱりとそう宣言する。もう何を言っても無駄だ。私は完全に諦めて目をつぶった。


「さっきは心配して気が気じゃ無かったよ。向こうはともかく、お嬢があいつと直接やりあうんじゃないかって。生兵法だろうと一度でも習えば、逃げずに戦うって選択肢が出てきちゃうからね」

「まさか。殿下に敵うはずないじゃない。時間稼ぎにお喋りしていただけよ。ちゃんと来るって分かってたから」


 先生のことは正直なところ一瞬疑ってしまったが、セレナの『運命の番』なのだからと私にはちゃんとどこかで信じている自分がいた。むしろ『運命』なのであれば、それくらいはしてもらわないと困る。結果、先生はちゃんと意気地なしの汚名を返上した。


「俺が?」


 やけに明るい声で、笑うようにルドルフが言う。私は驚いて、目を開いた。即座に反論する。


「そんなわけないでしょ。先生のことよ」

「俺が先生を連れてくるってことを、でしょう?」

「…………」


 私は言葉に詰まった。確かに、期待はしていた。ルドルフなら先生を絶対に見つけ出すし、学園くらいなら私がどこに行っても絶対に見つけ出せる、と。いつかの言葉が頭に響く。

『お嬢はやっぱり俺が側にいる前提で物事を考えてるよね』

『でもお嬢は俺を手放さなかっただろ』

 セレナが入学し、『おりおり』の物語が始まり、全てが動き出した。今までにないことばかり。ルドルフとの関係も、少しずつ変わってきている。確かにルドルフは私に褒めて欲しくて、こういう風に自分の価値を前に押し出してくることは以前もあった。でも、こんな文脈じゃ無かった気がする。私に対して異性としての好意を持っていることも含めて、ペットや子ども、歳の離れた弟のように思っていたルドルフが、今はもう違うものになってしまったような寂しさを感じる。


「お前、変わったのね」


 心細さが滲み出てしまった私の声に、ルドルフが微笑み首を振った。


「お嬢が気づかなかっただけで、俺はいつもこうだったよ。……確かに、最近はちょっと忘れていたけど。セレナ様と先生のおかげかな。初心を思い出しただけだよ」

「初心?」


 ルドルフが頷き、腕の中で私を揺らす。私が抗議すると、ルドルフは私を高いたかいをするように軽々と持ち上げた。


「やあ、こんな風にお嬢を抱き上げられる日が来ると思っていなかったな」

「やめてよ。酔いそうだわ」


 ついに、ルドルフが私を地面に降ろす。思わずよろけると、ルドルフが私の手を取り、にっこりと笑った。


「それに、腹も括ったしね。お嬢が『運命の番』だと感じていないなら、お嬢が『運命』だって感じるようになるまで待てば良いんだから」

「……そんなの、一生待っても来ないわよ」

「それでも、一生お嬢の横に居られる。だって、そうなれるように約束したからね」


 ルドルフはそう言うと、私の手の平にキスを落とした。

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