幕間 約束

 大きなため息は、ベッドの天蓋へ吸われる。私は不貞腐れて寝転がるのに飽き、しばらく手足をばたばたと動かしてみたが、何が改善するわけでもない。やがて力尽きて、寝返りをうった。


「ああ、どの世界線かは知らないけど。やっぱり私は悪役令嬢だったってわけね。意外性も何もなかったわね」


 うつ伏せになり、さっきまでのことを思い出して唸る。

 老博士の言葉を聞いた後、私はすぐさまお父様の書斎へ駆け込んだ。ルドルフもついてきたので、それでふたりで結局のところを確認した。

 王太子殿下のライオネル様との婚約については前々から打診はあったようだ。それを最近になって、私の知らないところで進めたらしい。要約すれば、お父様の話はそういうことだった。

 当事者の私が蚊帳の外。これだから男性中心の貴族社会は。

 すぐに断るように頼み込んだが、溺愛されているはずの私のお願いは今回に限って言えば両親には通用しなかった。それも悔しい。ただし、あまりに私が固辞するので、もしも王太子か私が『運命の番』を見つけたとしたら解消してもいい、とひどく曖昧な条件を指定された。私は悪役令嬢。なら、この分では『運命』を見つけるのは王太子の方だろうし、その時に婚約破棄されるのは私に違いない。

 もしも殿下に婚約破棄されたとしても、私を見捨てないでくださいますか?

 思わず、そう言ってやりそうになった。しかし、私がそう皮肉を言おうにもルドルフが横で目が溶け落ちそうなくらい大泣きしていたので、私はタイミングを逃してすごすごと自室へ帰ることになった。

 あまりに物凄い泣き方だったから、私だけ先に帰されたけど。あの後、どうなったのかしら。

 起き上がってルドルフを探しに行こうかと迷っていると、部屋のドアが開き、いつも通り断りなくルドルフが入ってきた。その目は赤く腫れ、端正な顔はぐちゃぐちゃになっている。


「あらあら。お前、目がいつもの半分になってるわよ」


 勝手に婚約を約束させられた私以上に泣いているルドルフを見ると、逆に笑えてもくる。私のからかいの言葉も気にせず、ルドルフは寝転がっている私に抱きついた。よく水分が続くものだ。私の袖でルドルフがぽろぽろと涙を溢している。


「……いやだ。お嬢はこうなるって分かってたんでしょう。なんで事前に断ってくれなかったの」

「私も万能じゃないのよ。利発だなんだって言われるけどね、立場上はまだ何もできない子どもなんですもの」


 まあ、精神年齢が高くったって。実年齢が低ければどうしようもないのよね。

 ルドルフの少し硬い銀髪の頭を撫でる。

 硬いのは犬毛ってものだと思っていたけど、まさか狼とは思ってもみなかったわ。

 本当に軽くだが、悪役令嬢は美しい女の子に恋してしまった王子様に振られる可哀想な女の子、ぐらいにはルドルフにも話している。だからルドルフも私が王太子と婚約することは知っていたはずなのに。それでも、これだけ泣くんだから凄まじい。


「いやだよ、お嬢。なんで王太子と結婚なんかしちゃうの」

「結婚じゃなくて、婚約よ。でも前に言ったじゃない。私は誰かと婚約しても、どうせ学園に入った頃にはフラれるのよ。そして身を滅ぼすのよ」


 さて、身を滅ぼす話はしてなかったけれど。どうかしら。

 私の袖をびちゃびちゃにしたルドルフが顔を上げた。その顔には疑問符しかない。


「なんで?」


 真っ当すぎる質問に、思わず吹き出しそうになる。


「いや本当に。なんででしょうね。私にも分からないわ。王子様を取られるのが悔しくて、王子様の好きな女の子に意地悪をするからかしらね」


 思うに、『運命の番』というのがある世界線なら、ヒロインが王太子殿下と結ばれるべきなので、私と王太子は間違いなく『運命』ではないはずだ。なら、何をモチベーションに悪役令嬢はヒロインに酷いことをしようとするのかが分からない。

 オメガバースのような世界観で、ヒロインがベータみたいな設定なのかしら? それとも、王太子がとっても魅力的とか? 出会ったら、ゲームの強制力とかで私も夢中になるのかしら?


「とにかく、婚約しても好きにならなければ大丈夫。私が王太子に恋したら、私もお前も、お父様やお母様、みんなが不幸になるだけよ」

「……そんなことさせないよ」


 ルドルフが頬を膨らませる。最近は少し細面になりつつあるそのふくふくしたほっぺをつつき、私はルドルフに微笑む。


「ありがとう、お前は私の右腕ですものね」


 根拠のない慰めだけれど、それでも絶対に私を裏切りそうにない子どもが可愛らしくて仕方ない。

 ルドルフは元気よく頷き、やっと垂れ流しだった涙を拭いた。それでもまだ長いまつ毛がは湿っている。頬撫でてやると、ルドルフは笑う。


「旦那様と約束をしたんだ。お嬢の横にずっといていいように、頑張るね」

「期待してるわ」


 撫でている手を掴み、その手のひらにルドルフが口づける。なんだかくすぐったい。私の指の向こうで、ルドルフの少し青みがかった金の目が細まった。


「お嬢に、選ばれるようにするから」

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