第37話 告白

「話?」

「そう。話だけだ」


 目線を逸らさないルドルフと殿下の間に、ジョナサンも負けじと割って入る。


「タイミングが悪かったようで、申し訳ございません。サーペンタイン様、お時間を頂けませんでしょうか?」

「あれっ、お嬢の前でかわい子ぶるのはやめないの?」


 そのジョナサンにルドルフが嘲笑するように言い放つ。すると、普段は感情をあまり出さないはずのジョナサンが目をぎらりと光らせた。


「それはオオカミ、お前のことだろう?」

「……まあまあ、ルドルフさん。おめでたい結婚式の場なんですから、そう喧嘩腰にならなくてもいいじゃないですか」


 一触即発のジョナサンとルドルフをアスピスが引き離す。いつも通りの穏やかな口調が場の雰囲気に合っておらず、少し脱力した空気が漂った。


「ルドルフ、お前が何を言おうとお嬢様次第だ。お嬢様、いかがなされますか?」


 ヴァイパーがため息混じりに聞いてくる。私の気の進まない気持ちを理解した上で、こうやって聞いてくるヴァイパーを小憎たらしく思いながら私は頷く。断れるわけがない申し出なのは、私にも分かっていた。


「ええ、よろしくってよ。光栄ですわ」

「お嬢!」


 ルドルフが抗議の声を上げるが、私はお父様や陛下がよしとした以上、殿下と敵対するつもりはない。本当は別に話しをしたい訳ではないが、この国の臣民であるからには仲良くと言わなくとも良い関係を持っておく方が良い。


「少しは伯爵家をお手伝いなさい。そのために連れてきたんだから。ヴァイパー、ルドルフも連れて行きなさい。アスピス、うちの商品については宣伝をしておいて」

「承知いたしました」

「ジョナサン、お前も手伝ってこい」

「はい」


 ジョナサンは少し驚いた顔をしたものの、殿下の言葉にさっと踵を返す。結婚式の給仕なんて王太子の廷臣であるジョナサンにやらせる仕事ではないが、そこで了解するところに忠誠心の高さが窺える。うちの使用人たちと言えば、泣きっ面になった駄犬をヴァイパーとアスピスが両脇を抱えてずるずると退室していった。


「相変わらず、あのオオカミは余裕がないな」


 殿下がルドルフを見送りながら、少しだけ優しげな眼差しでそう言った。

 ああ、王太子殿下の前だというのに。侯爵家の従者とは思えないほど情けない。

 頭を抱えたくなるのを我慢している私に対し、殿下はリッラクスした様子でバルコニーへ寄りかかる。私もそれに倣い、先ほどのように頬杖をついた。セレナと先生が幸せそうに笑っているのが見える。


「腕の調子はどうだ?」

「ご心配ありがとうございます。大丈夫です。傷も残りませんでしたから」

「それは残念だ」


 想定していなかった言葉に、驚き殿下を見る。すると、その赤銅の瞳と視線がぶつかった。こちらを見つめてくるその目は、別に冗談を言っているような色ではない。そもそも、そういう冗談を言うような男ではない。見つめる私の目を避けるように、殿下は視線を逸らした。


「つまり、あのオオカミが言っていたことは本当だからだ」


 ルドルフの言っていたこと。そこまで考えた私は全身に鳥肌がたつを感じた。


「えぇ……?」

「本当に気づいてなかったんだな。君は気づいていてああいう態度をとっていたのかと思っていたが、俺の被害妄想でしかなかったんだな……」


 だって、あれはルドルフの勘違いに違いなくて。だって、殿下のセレナに向けるような笑顔なんて見たことなんてなくって。だって、それだけ好きだから、セレナの為に私と婚約解消したのでしょう?


「俺は、君が、好きだったんだ」


 殿下が決定的な言葉を言い放つ。私は困惑してしまった。殿下は私を見て少し寂しそうな顔をした後、堰を切ったように話し出した。


「昔から君とは結婚を決められていたが、君はすでに自分の『運命の番』と出会っていて、俺たちは『運命』じゃなかった。俺は永遠に君の心を手に入れることは出来ない。でも、君たちは決して番おうとしなかった。だから、ひどく苦しかった。君は鼻が良くなかったから。君は『運命』を見つけているのに、誰にでも同じ調子で、誰とも特別な関係になることがなかったから……」


 殿下の眼差しが、宴席の一番奥のセレナへ向けられる。私はその横顔を見ることしか出来ない。


「だから、彼女が現れた時に、夢中になった。やっと俺の『運命の番』に出会えたと思った。これで父親とは同じような男にならないで済む。母のように苦しむ女性を作らなくて済む。君のことも、忘れられる――そう思っていた。彼女も結局、俺の『運命』じゃなかったようだがな」


 そこまで話し切ると、そっと殿下は目を閉じた。


「昔から、君とあのオオカミが羨ましかったんだ」

「…………」


 ルドルフは私の使用人です。番になんてなりません。そのいつもの言葉が出てこない。前に、ふと思ってしまったことが頭にリフレインする。

『最初から可能性さえ捨てていたのはもったいなかったかしら?』

 私は殿下の『運命』ではなかった。だから婚約解消にもさっさと同意して、悪役令嬢負けヒロインとして退場した。もしも、私が最初から諦めていなかったら。もしも、殿下が諦めていなかったら。もしかしたら違う結末もあり得たの?

 私は頭を振った。

『私はあなたとは番えません! 私には好きな人が居るんです!』

『腹も括ったしね。お嬢が「運命の番」だと感じていないなら、お嬢が「運命」だって感じるようになるまで待てば良いんだから』

 いいえ。私には、きっと出来なかったでしょうね。そして殿下にもきっと無理だった。セレナやルドルフのように、直球になんてなれない。あんな風に自分の気持ちを言えるほどの勇気がない。そんな環境にも居なかったし、そんな立場でもなかった。前世でもこの世界でも、その勇気を持っている素直な子が、結局幸せを掴めるのよ。

 私は黒髪をいじりながら、背をバルコニーにもたれかけた。


「私たち、似た者同士だったのですね。私も貴方が私の『運命』じゃないと知っていましたもの。だってそういう風になっていたんですもの。最初からどうせ婚約破棄になると決めつけておりました。だから、婚約解消も驚かずにお受けしたのです」

「……そうか」


 殿下が少し揺らいだ声音で短くそう言う。それから、深いため息をつく。

 私たちはしばらく、まだ楽しそうに踊っているセレナと先生を眺める。ファーストダンスが終わって、皆が混じってもずっと相手だけと踊っている。

 あれが、素直な者同士の『運命の番』ってやつなのね。

 私は少し呆れながらも、その嬉しそうな友人を見て、微笑むしかなかった。殿下は不意に、セレナのことを指差す。


「あの白いドレスは、君の商会のものか?」

「ええ、綺麗でしょう? 『あなた色に私は染まります』って意味なのです」

「ああ。俺の妃がキールスから来たら紹介しよう。彼女にも作ってくれないか?」

「……もちろんです。承りました」


 私は微笑み、殿下のご用命に深くお辞儀をした。

 楽団の曲が変わった。まだダンスの時間は続くらしい。


「俺を招待するなんて、セ――ホーククレスト夫妻には気を使わせてしまってしまったな」

「先生は陛下の侍医で、殿下のご遠類。セレナは殿下の『大切なご友人』です。ですから、何も恐縮されることはございませんわ」


 私がそう言うと、殿下はふっと笑ったようだった。殿下が私に手を差し出す。


「サーペンタイン嬢。私と一曲踊っていただけませんか?」

「ええ、光栄ですわ」


 その手を取り、私は庭へと降りる。

 これで、社交界ではセレナよりも私と殿下の方がしばらく噂になるでしょう。そして、そのうちに殿下と王女様のご婚約が公示される。そうすれば、きっとみなセレナと殿下のことは忘れるわ。それで、『おりおり』の物語は【ノーマルエンド】で終わり。

 ――ヒロインとライオネルは結ばれることなく、ふとした時に思い出す青春の日の面影として心に残り続ける――

 私は後宮なんて入らない。殿下なら王女様以外を娶ることもない。だから、私のバッドエンドは無くなった。これで悪役令嬢の役も本当に終わりね。

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