第4話 飼い犬・1

 鼻歌を歌いながら髪をブラッシングしていると、後ろから急に声をかけられた。


「お嬢、今日はご機嫌だね。何かあったの?」


 鏡越しにその声の主を睨む。私の非難の視線をたいして気にしないそのオオカミの獣人は、私の後ろで嬉しそうに銀色の尻尾を振っている。私が諦めてしかめ面を止めると、その少し青みがかった金の目が細まった。

 そうやって呼ぶな、我がもの顔で私の部屋に入ってくるな、就寝前のこの時間は来るな、と何度も躾けてあるのに言うことを聞かない。これが犬頭で全身フワフワの毛が生えている獣人だったら、それこそ本当の犬のようにしょうがないと思えただろうが。ケモ度が低い獣人だとどうしても……可愛くは思えない。

 無視したいが、今回はこの駄犬にも関係がある。

 

「ルドルフ、お前の『つがい』候補を見つけてきたのよ」


 私は鼻歌混じりに答える。

 この世界には『番』という概念がある。それは前世で言う恋人や夫婦や連れ合いと言った関係に近い。ただし、その獣人によって番の意味することは違う。ハーレムを作る動物の獣人は番を同時に複数持つ傾向にあるし、繁殖期ごとにパートナーを変える動物の獣人は同時期に複数は持たずとも番を簡単に変える傾向にある。とはいえ、彼らは獣でもあるからか、基本的には気持ちの方が大きいようだ。

 そしてそんな多種多様な全獣人が解釈を一致させる特別な『運命の番』も存在する。ここがこの世界に取り入れられたオメガバース要素だ。すべての相性が完璧で、出会った時には一目で愛し合うようになり、どちらか一方が死ぬまで関係が続く。そんな相手に出会い結ばれることこそが彼らの夢であり憧れとなっている。

 恋愛ものだとよくあるファンタジー設定。『運命』だからって、目に見える印があるわけではない。脳内物質で起こっている生理現象でしかない。それなのに、人生を簡単に狂わせてくるだけの破壊力がある。くだらないと吐き捨てるのは簡単だけれど、私はそれを軽視することは出来ない。おそらく、『おりおり』のストーリーはこの番を軸に巡っていたのだと私は推測している。


「ねえお嬢、俺の番ってどういうこと?」


 考え事をしてルドルフのことを完全に忘れていた。背筋が凍るような低い唸り声が聞こえ、私は振り向く。すると、今まで見たことのないような暗い瞳をした犬がいた。銀色の毛並みは毛羽立ち、耳は後ろに倒れ、大きな牙が唇の間からはっきりと見えている。

 私はその剣幕に圧倒される。が、主人として怯んでいるところを見せてはいけない。ゆっくりと目を逸らし、ブラッシングを再開する。

 自覚するほど倫理観のない私の決定に対するルドルフの怒りはもっともだ。しかし、ずっと前から通知はしてある。それを再通知してあげたんだから、割と優良な主人だと自分では思う。


「私は候補、と言ったの。別に決定ではないわ。それにお前はそのために拾ったと、前にも言ったでしょう」

「でもお嬢は俺を手放さなかっただろ」

「それは、まだ手放す時じゃなかったからよ」


 私は犬――ルドルフの顔も見ずに冷たく言い放つ。

 実際、最初はそんなつもりじゃなかった。私が記憶を取り戻した7歳の冬。私はどうしてもこの異世界を生きていく為に、絶対に私を裏切らない手足となる者が欲しかった。そんな時、雪降る往来でルドルフを私は見つけてしまった。雪の中にうずくまる銀色の毛玉を、私以外は気がつかなかった。ルドルフは同い年で、誰にも属さない天涯孤独の孤児だった。だから私が拾った。それからというもの、私はルドルフを右腕としてそばに置いている。

 でも、それももうおしまいかしら。

 この十年間、私はずっとルドルフを私の代理として恥ずかしくないように身なりを整え、教育を施し、教養やマナーを身につけさせた。現在私の作った商会や私の整えた領地を実質的に動かしているのは、ルドルフだ。孤児だった使用人とは思えないほど領民や商会関連の貴族からの覚えも良い。もうこのレベルになれば、高すぎる身分の娘以外なら結婚も許される。

 自分が『おりおり』の悪役令嬢だと気がついた後、私は立派になったルドルフを見ていて、いざとなったらヒロインにあてがおうと考えるようになった。実際、さる貴族の未亡人に養子として請われたことだってある。つまりは情夫として求められたと言うことだ。見てくれも悪くないし、私が育て上げたのだから、貴婦人に認められるくらい当たり前だ。ルドルフの言う手放さなかった、とはその時のことだろう。


「お嬢はライオネルと番う気なの?」

「まさか」

「じゃあどうして。俺以外の誰が悪徳令嬢やってるお嬢と一緒に居られるっていうのさ」


 流石は長く居るだけあって、痛いところを突いてくる。ルドルフは私の右腕として私のやり口はよく見聞きしてきている。そういう相棒を失うのは手痛いが、ノウハウは残っているし私ならひとりでもどうにでも出来る自信はある。


「本当にそうかしら?」

「…………」

「そんなこと、やってみないと分からないじゃない。意外と私の『運命の番』とやらが簡単に見つかるかもしれないわよ? 私は有能だし、見目も……好き嫌いはあるでしょうけど、目も当てられないほどではないわ」


 たとえ性格が悪かろうと、それを許してくれるか気づかないような優しい純朴な男と番えばいいのだ。私の愛を泣いて喜び、私に誠実を誓うようなそんな男を。そんな男ならきっと容易く操れるだろう。


「何で? 今まで誰かと、なんて言ったことなかったのに」

「そりゃあそうよ。でも、私の結婚なんて、私の勝手でしょう? お前が口出すことではないわ」


 私の言葉に、ルドルフが俯く。

 ルドルフが何を突然くってかかってくるのかが分からない。

 ため息をつき、ルドルフの反応を待つ。こうやって冷たく言い放てば、ルドルフは大体傷つき、しゅんとして自室へ戻る。そもそも、もう時間も遅い。私には明日も学園へ行くために眠らなくてはならないし、この話はまた後日でも出来る。

 しかし、今日はいつもとは違った。ついに顔を上げたルドルフの淡い金の瞳は爛々と光っていた。


「そんなこと、俺が許すわけないじゃないか……」


 ルドルフの声が怒りに震えている。


「お嬢は、俺の『運命』なんだから」


 鏡の中の私の肩に爪の伸びた手が置かれ、私の首にルドルフの唇が降りてくる。首筋に生温かい息がかかる。そしてルドルフの口が大きく開く――ぞわり、と私の全身に甘い痺れが走った。

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