第3話 転生者
保健室の飾り気のない簡易なベッドでも、ヒロインが眠っていると華やかに見える。そのベッドの横の肘掛けに腰掛ける私は、その愛らしさにほうっとため息をついた。
女性が伏せているのだから男子禁制だとライオネルを追い出して正解だった。一目でライオネルが恋に落ちたのははっきりと分かった。不埒なことをするような男ではないけれど、あまりに可愛らしい寝顔に血がたぎらないとは言わない。
「……まさに『眠れる森の美女』って感じね。いえ、悪い女王に眠らせられた『白雪姫』かしら?」
私の呟きはヒロインの脳に認識されたらしい。ゆっくりとその目が開き、ここがどこかを確認するように視線を巡らす。途中で私に目が留まり、その寝ぼけた眼が見開かれた。
私を認識した途端、飛び起きる。私は身を仰け反らし、手のひらを見せる。
こちらに敵意などない。今のところ。だってそうでしょう? 協力者になってくれるかもしれないんだから。
「大丈夫よ。私のことは知ってるわね? 貴女、転生者ですものね」
ヒロインは思考停止してしまったらしい。目をしきりにしばたたかせている。そしてようやく理解が追いついたらしく、恐怖で拡大していた瞳孔が緩やかにおさまっていった。
「と、ということはディライアも?」
私はゆっくりと頷く。
スムーズに私の名前が呼び捨てで出てくるあたり、やはり見込み通りだったらしい。私がどのくらいストーリーに出張る悪役令嬢だったかは分からないけれど、悪役の名前をサッと出せるんだから、ある程度キャラに愛着のある既プレイ勢ね。
「私は前世では会社員をしていたのだけれど、事故に遭ってしまって。気がついたらこの世界でディライア・サーペンタインと名乗っていたわ」
「わ、私はセレナ・ヴァンドール……前世では確か大学生になったばかり……で、最期は……?」
彼女はうまく思い出せないらしく、頭を抱えた。
ヴァンドール、といえば、伯爵家だ。伯爵令嬢のヒロイン、となると地位もあれば実家の権力もある。ヤンデレ発動した場合はどう処理されるのだろう。
「ごめんなさいね、私が余計なことを言ったから。思い出したばかりですものね。不安でしょうけど、徐々に馴染んでいくわ。私もそうだったもの」
私が出来るだけ優しげに微笑みかけると、少しだけ落ち着いたらしいヒロインは気丈にも微笑み返してきた。
私なら『転生者です』なんて近づいてきたら警戒するものだけれど。まだ混乱しているとは言え、私の善性を疑わない。今世もまだ学生だから、おそらくはそこまで考え及ばないのでしょう。大学生になったばかりなら、攻略対象と年齢が離れていない。年上好きじゃなければ、きっと良いお相手になるわ。
「貴女は『おりおり』をプレイされていたのね」
「はい。初めて買った……乙女ゲーで。確か、一通りは」
ヒロイン――セレナはそう言って自信なさげに俯く。
初めてプレイした乙女ゲームで、しかも成人向け作品、というのは嬉しい情報だ。ストーリーなりキャラデザなり何らかに強く興味が惹かれたから購入したのだろう。ならば一層、この世界への思い入れも強いに違いない。
これなら、私がプレイ勢ではないと教えても良いでしょう。
「そうなのね。実は私は『獣ノ檻、愛ノ檻』というゲームの存在を知っていただけで、プレイしたことがないのよ。でも私は『おりおり』の中では……悪役令嬢ってやつなんでしょう?」
不安そうな顔をして見せる。セレナは私の告白に対し、彼女なりに私の立場を理解したらしい。その星浮かぶ瞳はすぐに憐憫に満ちた。
お優しいのね。
「先ほどは、意地悪をしてごめんなさい。どんな話になっている知らないから、私なりに悪役令嬢として振る舞っておこうと思っていたの」
「い、いえいいえ! 完璧な『ディライア』でした! ネコ科の獰猛さと蛇の陰湿さを兼ね備えたキャラって感じで最高でした!」
「そうなの?」
きっと彼女は割とディライアのことが好きだったのだろう。とりあえず、褒められているようなので、照れたふりをしておく。
「きっとライオネルも攻略対象だろうって思っていたから、ヒロインが彼のルートに入ってくれればいいなって思ってたのよ」
「それは……どうして?」
「『おりおり』はキャラがみんなヤンデレ系って聞いていたから、ヒロインほどは執着されないとしてもそんな結婚相手なんて怖いじゃない?」
ああ、とヒロインが妙な表情になる。きっと彼女はプレイヤーとして見たエンディングのことを思い浮かべているらしい。
彼女の頭の中にあるそれら情報が羨ましい。もしその情報があったら、もっと上手く立ち回れるのでしょうに。
もっと聞きたいところだけれど、どうやらタイムリミットのよう。誰かの足音がこちらに近づいてきている。この足音ならライオネルではない。きっとライオネルが呼びに行った保険医か学校医の誰かだろう。
「あら、保険医の先生が来たみたいだわ。私は席を外した方が良いでしょう。またお話しましょうね」
「は、はい。ぜひ!」
廊下に出ると、思った通り白衣を着た男性とすれ違った。ハクトウワシの頭と翼を持った獣人。男性ではあるけれど、医者は医者。令嬢と二人きりにしても問題ないだろう。
この世界の獣人はそれぞれケモ度が違う。パッケージで見たことがあるキャラたちやセレナと私を思うに、ケモ度の低いキャラが攻略対象や関係者で、こういう異形頭のキャラはモブキャラのように思われる。つまりは、ケモ耳イケメンには注意、と言うこと。
にしても、セレナが転生者だったなんて!
「おーほっほっほ! 今日はまるで収穫しかなかったわ!」
誰もいない校舎で一人、高笑いが響く。
小躍りしそうな気持ちを抑え、私は軽い足取りで家路についた。
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