第9話 ヒロイン・1

 応接間へルドルフが通した時からずっと、セレナはルドルフを興味深そうにじっと見つめている。

 あら、駄犬がお気に召したならお譲りしても構いませんことよ。飼い主の手を噛むけれど、人懐っこい子ですから。きっとすぐに慣れるでしょう。……けれど、その場合、殿下はどうするのかしら?

 ルドルフが部屋を出ていくと、その星浮かぶ瞳が急にこちらを見た。


「今の人がディライアの……?」

「私付きの従者よ。紹介しましょうか?」


 私の言葉にセレナはいささか面食らったようだ。しばらくすると手をぶんぶんと振って、笑った。


「い、いえ、違うんです。ディライアの匂いって私にはぜんぜん分かんなかったんですけど、実際会ってみると確かになって」

「はい?」


 照れたように話すセレナに、やっと私は何を言っているかを理解した。


「いいえ。あの駄犬は貴女の思っているようなものと違うわ」

「駄犬……! やば、ディライア言いそう……でも、そんなに照れなくても大丈夫ですよ。今のがディライアの番の方なんですよね?」

「違うわ。あれはただの使用人よ」


 否定した途端、ノックが響き、お茶の載ったティートローリーをひいたルドルフが入ってきた。ティーカップを並べる。お客様の手前、淡々としてはいるが、耳も尻尾にも素直に感情が出ている。

 こいつ、聞いていたわね。


「ありがとうございます」


 しかしセレナがルドルフに向かって、微笑みながらお礼を言うと、少し持ち直したようだ。格好つけながら、光栄ですと微笑み返す。耳の位置が少しだけだが上向く。気分も上昇したようだ。

 初対面の同世代の女性の愛想をルドルフが好意的に受け取るなんて、珍しいこともある。やっぱり、乙女ゲームの世界の主人公ヒロインというのは、男性を無意識に惹きつけるような目に見えない粒子か電磁波でも出しているのかしら。それとも獣人たちの言うフェロモンなのか。でもそんな露骨なら、ルドルフも警戒しそうだけど。

 興味はあるけど、私には分からないのよねえ。

 お茶で唇を湿らせながら、私はセレナとルドルフのやり取りを見守る。私の視線に気がつくと、ルドルフはセレナへの微笑みを引っ込め、少し慌てた様子で会釈とともに部屋から出ていった。


「慌ただしくて、ごめんなさいね」

「ん?」


 セレナはルドルフの様子に気が付かなかったらしく、私の言葉に不思議そうな顔をしている。その背景について考えて、私は悪役令嬢として胸が焦げるような気持ちになった。

 ヒロインだからというだけではなく、きっと前世も良い子なのだわ。他人から常に好意を抱かれる人間だから、周りの人間の好意に気がつかないし、他人に対して警戒しない。もしかすると、似たような性格の人物へ転生するようになっているのかしらね。


「……いいえ、何でもないわ」

「それで、ライオネルとは無事、婚約解消出来たんですよね?」

「ええ、貴女と番になるからと仰って。断る理由がないもの」

「そうですよね、番の方がいれば、断りますよね」


 セレナが嬉しそうに手を合わせて笑う。

 私は頭が痛くなった。どうしてもルドルフと私が番になっていると思い込んでいるらしい。


「だから、ルドルフは私の番ではないわよ」

「えっ、でもライオネルがディライアは従者の方に『運命の番』がいるって」


 セレナの言葉が響いた途端、がた、とドアの方から音がする。セレナにもその音は聞こえたようで、びっくりしたような顔をしている。私はため息をついて、音を立てた駄犬を呼び出す。


「ルドルフ、うるさくしているなら、中にいらっしゃい」


 誤魔化せないと分かったらしく、しばらくの無言の後、先ほどよりも耳と尻尾を垂らしたルドルフが扉の向こうから現れた。その手には、お菓子を乗せたプレートを持っている。

 アフタヌーンティーという時間はとっくに過ぎているからお茶請けがないのも気にならなかったけれど、会話が会話だったから、入るには入れなかったのね。


「ここへかけなさい」

「……はい」


 項垂れたルドルフはプレートを置くと、私の横へおずおずと腰掛けた。


「セレナ、気にしないで、話を続けてくださる? ゲームのことはルドルフには伝えてあるのよ」


 ルドルフへ投げていた鋭い視線を緩め、セレナへ向き合う。と、セレナは口元を押さえて食い入るようにこちらを見ていた。私と目が合うと、慌てて手を離す。が、その一文字に結ばれた口元は震えている。私はその姿に、何となく今までも感じていたものが確信に変わる。

 前世で電車の中で漫画とか小説を読んでる時はこういうふうに見えていたんだ、と思うと私は脱力した。


へきに刺さりまして?」

「い、いいえ、気にしないで!」

 

 セレナはぶんぶんと手と頭を振りながら言う。こういう漫画で見るようなボディランゲージというオタク仕草が、同類だというの証でしかない。そもそも、成人向け乙女ゲームをプレイしていた時点で分かっていた事だけれど。


「……って、ディライア、そういうの平気な感じなの?」

「嫌いじゃないわ。でも、自分が絡むと萎えるタイプだから、自分が対象になるのは好きじゃないわね」

「あ、ああ。ごめんね。でも、分かるなあ。私もゲームは好きだったけど転生していざ自分がヒロインになると、ヤンデレもオメガバ亜種の世界観も全然嬉しくないもの」


 同類とわかった途端、急に砕けた口調になったセレナが、なんだか懐かしい気分にさせる。


「それはそうよね」


 別にヤンデレ属性は嫌いでなくともそれは2次元の話であって、そんな面倒な恋愛はしたくない。そんなところだろう。ヤンデレの場合、相手の感情に常に左右される。この世界には幸運にもオメガバースのオメガとアルファなどの優劣はない。とは言うものの、番の概念はどうしてもトラブルが起きやすい。まさに私の身に起こったようなトラブルが。

 横のルドルフを見ると、私たちの会話の意味を必死に理解しようとまごついた顔をしている。が、そのうち困った顔をしたまま、セレナに尋ねた。


「それは、王子とは番にならない、という事ですか?」


 私はそのルドルフの視点に驚く。私はすっかり転生者目線での話になっていた。つい、自分に関わる事柄だと忘れてしまう。が、その質問に答えたセレナの言葉で、私はそれ以上に驚愕することとなった。


「分かっちゃいました? 実は、好きな人が出来てしまって……多分、私の本物の『運命の番』だと思います」

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