31、聖女と公爵

 そうして、アザリアはレドの書斎にいた。

 

(……戻ってきたのですか)


 椅子に腰をかけ、見つめる先は窓際だ。

 そこには野鳥の一羽が止まっている。

 見間違いようは無い。

 今日の朝までアザリアであった野鳥だ。


(私であった時の記憶があるのでしょうか?)


 現状からはそう理解するしかなかった。

 その野鳥の態度は、ここが私の居場所だと言わんばかりである。

 平然として、羽づくろいにいそしんでいる。


 しかし、アザリアが同居人であったとは分かっているのかどうか?

 そこは分からない。

 野鳥はアザリアには一瞥だにしないのだった。


(まぁ、はい)


 野鳥についてはひとまず置いておくことにした。

 アザリアは書斎机に目を向ける。

 そこには、この部屋の主がいた。

 もちろんのことレドである。

 包帯にまみれている彼は、真顔で野鳥を見つめ続けている。


「……それで、あー、うむ」


 彼は悩ましげに呟くと、アザリアを見つめてきた。


「つまりその、聖女殿はその子の中にいた。体に無かった意識は、その子に宿っていた。そういうことでよろしいのですかな?」


 アザリアは今までを説明していたのだった。

 当然、野鳥の件について説明する必要があり、それが終わったところだった。

 頷きを見せると、レドは片手で頭を抱えた。


「にわかには信じがたく……だが、聖女殿がおっしゃることであり……いや、それ以上に信じたくは無いような気が……」


 何やら難しいことを呟くと、レドは動揺のうかがえる視線をアザリアに向けてきた。


「つまり、あー、ご、ご存知であると?」


「な、なにをでしょうか?」


「色々とです。私が色々と漏らした愚痴だとか、鼻歌だとか、それにあの、アレです。メリルとマウロに得意げに話していたあのことだとか……」


 不安しか無いといった様子のレドである。

 正直、同情しかなかった。

 誰しも余人に聞かせたくない話はあるだろうが、それが見事に筒抜けになっていたのだ。


 気を使って上げたいような気はした。

 だが、全て聞いていたとはすでに打ち明けてしまっているのだ。

 

「……えー、は、はい。その、存じています」


 レドは顔を手で覆った。

 その流れのままに立ち上がる。

 アザリアが戸惑っていると、彼は窓際に向かった。

 彼は鳥の頭越しに、窓の外を見下ろす。


「ここから落ちた程度では……」


「ちょ、ちょっと! 一体何を考えているのですか!?」


 思わず腰を浮かせかけるが、その必要は無かった。

 レドは「はぁ」とため息をもらすと、椅子にどさりと腰を下ろした。


「……一応尋ねますが、忘れていただくことなどは?」


 レドが未練がましく尋ねてきたが、それは難しい話だった。

 首を左右にする。

 彼は再びため息をつく。


「はぁ。そうでしょうなぁ。まぁ、うん。分かりました。受け入れましょう。そしてなのですが」


 突然だった。

 彼は深々と頭を下げてきた。


「聖女殿のご厚情に感じ入るばかりです。お助けいただきありがとうございました」


 それは紛うことなき礼の言葉だった。

 礼儀正しい彼らしいものだったが、とりあえず素直に受け入れられるものでは無い。

 アザリアは苦笑で首を左右にする。


「礼を言われるほどではありません。私のために、貴方のされてきたことを思えばまったく」


 今度は彼だった。

 レドは苦笑で包帯にまみれた頭をかいた。


「こちらこそ、助けていただけるほどのことをした覚えは無いのですがね。私が手前勝手に動いていただけのことですから」


 頷けるはずの無い言葉だった。

 少なくともアザリアにとっては、手前勝手ですませられることでは無い。

 

「妙なことをおっしゃらないでいただきたい。貴方の行いはいくら感謝してもしきれるものでは無く……本当に良かったです。よく無事でいて下さいました」


 アザリアはレドの顔をじっと見つめるのだった。

 思わず笑みがこぼれる。

 包帯まみれの痛々しい姿ではあるが無事なのだ。

 生きてここにいるのだ。

 その事実以上に嬉しいことなどなかった。


 そうしてアザリアはレドを見つめ続け……わずかに首をかしげる。

 レドが目を逸してきたのだ。 

 そこには妙な雰囲気があった。

 彼はどこかぎこちない笑みを向けてくる。


「あ、あー、聖女殿? そう見つめられますと……」


 どうにも思いに任せて凝視しすぎたらしい。

 アザリアは赤面して彼から目をそらす。


「す、すみません。不躾でした」


「あー、いえ、不躾ということはありませんが……ごほん。ともあれです。これで一段落というところですかな」


 気を取り直してアザリアは頷きを見せる。

 確かに一段落と言える。

 自身は元の体に戻り、レドはこうして無事でいる。

 しかし、不安もあった。


「今後はどうでしょう? あの男……殿下が報復に動くようなことは?」


 そこが心配だったのだ。

 レドは悩ましげに眉をひそめる。


「どうでしょうか。そこは大丈夫かと思いますが。あの方は決して豪胆では無いし、現実に向き合うのが好きな方でも無い。今回のことからも、恐らく我々からも目を背けられるかと」


 つまるところ、アザリアにもレドにも、もう関わる気は無いに違いないということだろう。

 思わず安堵の笑みが浮かぶ。


「そうですか。それは幸いです。しかし、あー、そうなると……私の婚約などは?」


 そこは気にかかるところだった。

 レドは苦笑を浮かべる。


「恐らくは無かったことに。未練などは?」


「な、無いです! そんなものあってたまるものですか!」


「ははは。まぁ、でしょうな。では、これで今まで通りでしょうか。婚約前と変わらずです。聖女殿におかれましては、これまで通りにお働きいただけるものかと」


 アザリアは笑みで頷く。

 聖女として、これまでと同じように働ける。義務を果たせる。それに勝る喜びは無い。ただ、


(……今まで通りですか)


 そこに思うところはあった。

 今まで通りに聖女として働く日々がやってくる。

 では、そこにレドは?

 彼とも今まで通りなのだろうか?

 彼はそのつもりなのだろうか?

 今までの距離感を維持するつもりなのだろうか?


 よしとは思えなかった。しかし、ならば自分はどうするべきか?

 分かるようで分からないし、踏ん切りもつかない。

 アザリアはまごまごと焦りだけを募らせる。すると、


「……まぁ、私はそうはいかないのですが」


 レドが呟いた。

 自分に精一杯のアザリアだったが、これには咄嗟に首をかしげた。


「そうはいかないですか? まさか何かしらの罰が?」


 不安がよぎったが、そんな話では無いらしい。

 レドは苦笑で首を左右にしてきた。


「いえ、そのような話では無く。聖女殿に対して、今まで通りの立場でいることが難しくなったかと。何分、ああしてお救いいただきましたので」


 アザリアは「あぁ」だった。


「確かに、敵対しているというのはもはや」


「通用しないでしょうね。聖女批判の第一人者という立場は便利だったのですが……ここまでとなりましょうかな」


 それは不安を呼ぶ発言だった。


(そ、それは……これまでということですか?)


 もはやレドはアザリアとは関わらない。

 そんな意味かと思ったのだ。

 しかし、どうにもそうでは無いらしい。


「その……色々と考えましてな」


 そう前置きし、レドはどこかまごまごとして言葉を続ける。


「もちろんですが聖女殿への手助けは続けたいと思い、ただ今までの立場は使えず、ではこれからはどんな立場であれば……いや、どんな立場でありたいのかとその色々と……聖女殿?」


「は、はい?」


「王宮でのことです。私は貴女に抱きしめていただいたかと思うのですが」


 質問の意図は分からない。

 だが、その質問はアザリアに赤面を禁じえないものだった。


「そ、それはあの、す、すみません! あれは思わず咄嗟に……!」


「うぬぼれても?」


「え?」


「貴女が博愛の人だとは分かっています。ですが、それでも……特別だと、うぬぼれさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 レドは真剣そのものだった。

 わずかに額に汗を浮かべながら、切実な眼差しでアザリアを見つめてきている。


 さすがにこの質問の意図は理解出来た。

 そして、自身の返答がどんな結果に通じるのかも。


 迷いは無かった。

 気恥ずかしいところはあったが、返答には戸惑いもためらいも無い。

 アザリアはひかえめに笑みを浮かべ、レドに静かに頷きを見せた。

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大聖女と嘘つき公爵〜偽物だとして処刑された聖女は、そうして初めて本当に愛してくれていた者を知る〜 はねまる @hanemaru333

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