29、狂態

 アザリアは「え?」と思わず声を上げた。


「殿下?」


 真意を確かめるために呼びかける。

 立場に似合わずの幼稚な否定の言葉だったが、その意味は何なのか?

 ハルートは地団駄を踏みつつ、アザリアをにらみつけてくる。


「君は……分かっていない! 私のことが全然分かっていない!」


「わ、分かっていない?」


「そうとも! 君に疑わしい行為があったことにしても、君が聖女であることは事実だ! だったら、勘違いした私が悪いとなるではないか!」


 一体彼は何が言いたいのか?

 理解が及ばないアザリアの前で、ハルートはしきりに首を横に振った。


「違う! 違うのだ! 私は被害者なのだ! 悪臣に騙されて、最愛の妻を処刑せざるを得なくなった可哀想な被害者なのだ!」


 呆気に取られていると、ハルートは憤怒の表情でレドを指さした。


「そもそも、この男が悪いのだ! あの時にこの男が私を止めていれば、こんなことにならずにすんだ! そのせいで、私がどれだけ心の無い批判にさらされてきたか……!」


 ハルートは切実な瞳をしてアザリアを見つめてくる。


「そういうことだぞ、アザリア! だというのに、何故君はその男をかばおうとする!? 君は私を愛してはいないのか!?」


 ハルートの発言について、理解しきれたとは言い難かった。

 ただ、自分が非難されないためにも、わかりやすい悪役を欲していること。

 逆恨みにしか思えないが、レドに対して私怨を抱いていること。

 この2つは理解出来た。


(……この人は)


 これ以上、失望することは出来ないと思っていた。

 だが、それは楽観が過ぎたらしい。

 ハルートはきっと常人の感性をもって計れる人間では無い。

 異常だ。

 異常に醜悪だ。

 いつだったか。

 マウロはハルートに対して、我々のような品性と理性は期待出来ないと語っていた。

 まさにそうだった。

 彼には何も期待出来ない。

 当然、良識もである。

 であれば……アザリアは表情を鋭くすることになる。

 レドの意思を汲んで、出来るだけ穏便にことを進めるつもりだった。

 だが、それが叶わない時の覚悟は当然あった。

 

「……自らに非は無いと、殿下はそう思っておられるのですか?」

 

 尋ねかけると、ハルートはすかさずの頷きを見せてきた。


「無論だ。私に非などがあるはずが無い」


「そうでしょうか? 私が死んだと理解されて、王宮でずいぶんと楽しそうにされていたようですが?」


 ハルートはびくりと肩を震わせた。


「ず、ずいぶんと楽しそうにだと? あ、アザリア。君は一体何を……いや、何故そのことを……!?」


「殿下。私が当時のままだと思わない方がよろしいかと。貴方の私への思い、そしてその思いが何を起こしたのか? 全て、私は存じています」


 ハルートが後ずさると、アザリアはそれを追って一歩踏み出した。

 彼を見つめる。

 鋭くにらみつける。


「私はケルロー公爵殿ほどに優しくはありません。公にすべきと思えば、そこにためらいはありません。譲歩をお願いします」


 真相を打ち明けられたくなければ、レドの処刑を撤回しろ。

 ある程度の非難の声は甘んじて受け入れろ。

 

 この脅しは、しっかりとハルートに伝わったらしい。

 彼は忙しくなく顔色を変えた。

 怒りによるものか真っ赤に染まったかと思えば、暴露された時を思ってか見る間に青ざめた。

 

 激しく動揺しているようだが、望む結果は得られるのか?

 アザリアは油断せずに待つ。

 突然だった。

 アザリアが様子をうかがう中で、ハルートは叫び声を上げた。


「ま、魔女だっ!!」


 は? とアザリアは思わず唖然と呟く。

 この男は突然何を言い出したのか?

 狂態は続く。

 彼は取り乱して、周囲に叫び続ける。


「あの女は死んだのだっ!! これは偽者だっ!! 殺せっ!! 殺してしまえっ!!」


 アザリアは目を丸くして思案した。

 どうにもである。

 自分は彼にとって敵になってしまったらしい。

 そして、いつかの再現だ。

 邪魔であればと殺してしまうつもりになったらしいが、


(本当に、この人は……)


 怒りよりは、いっそ呆れてしまうのだった。

 見下げ果てた男だと思っていたが、ここまでの醜悪さとは予想出来なかった。


「聖女殿っ!!」


 叫び声が上がったが、これはハルートの物では無かった。

 レドだ。

 彼は必死の形相をしていたが、その理由は簡単に理解出来た。

 ハルートの叫びを受けてだろう。

 衛兵たちが、戸惑いつつもアザリアの周囲を囲んできたのだ。


 この場で殺すつもりはあるかは分からないが、少なくとも拘束するつもりはあるだろう。

 拘束されてしまえば、今度こそ刑場ということは想像に難しくないが、


(そう言えば……)


 アザリアは以前を思い出していた。

 以前にもまた、ハルートの一言で衛兵に迫られたことはあった。

 その時にである。

 よせ、やめろ。

 そんな叫びを聞いた覚えはあったが、あれは誰のものだったのか?

 今ならば分かった。

 レドなのだろう。

 演技も忘れて、彼がアザリアのために叫んでくれたのだろう。


「聖女殿っ!! 何を立ち尽くしておられるのかっ!!」


 再びのレドだった。 

 逃げろと訴えてくれているのは間違いない。

 そもそもとして彼も命の危機にあるのだが、自身のことは眼中に無いらしい。

 ひたすらに、アザリアのことを心配してくれている。


(……私はまったく)


 今度は、ハルートにでは無く自身に呆れる番だった。

 よくもまぁ、ここまで人を見誤れたものである。

 ほとほと自分に呆れ果てるしかなかったが、自嘲はひとまず置いておくことにした。

 

 今、必要なことは何か?

 アザリアはレドに笑みを向ける。


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