4:明るき未来と異変
アザリアには婚約者がいる。
この国、スザンの第一王子がその相手だ。
婚礼も
『農民の生まれであり、さらには偽物の聖女殿だ。──今の内に
アザリアは眉をひそめて思い返すことになる。
メリルは変な感じがあったと言ったが、確かにである。
婚約についての
それがまず変であり、さらにはレドの態度である。
あの時、彼の態度──正確には表情か。
発言としては無礼極まりないものだったのだが、その表情にアザリアは怒気を覚えることが出来なかった。
明確に初めて見る表情だったのだ。
いつもの軽薄な笑みはそこには無く、眼差しには何か訴えかけてきているような
「まったく! 今思い出しても腹立たしいですなっ!」
アザリアは回想を中断することになった。
理由はもちろん、突如響いた怒声だ。
農民の1人による、おそらくはレドへの怒りの声。
彼1人のものでは終わらなかった。
怒りの声は、周囲から次々とわき起こった。
「その通りだ! 偽物呼ばわりに飽き足らず、あれはまったく失礼な!」
「何を考えてあんなことを言ったのやら……まぁ、噂のバカ公爵ってことなのでしょうが」
「バカの考えることは分からんってな。しかしまったく、とんだたわけ者だな」
彼らは顔を真っ赤にして頷き合っている。
その様子にアザリアは自身もひとつ頷くことになる。
(まぁ、考える意味は無いでしょう)
多少違和感はあった。
だが、しょせんレドのことなのだ。
偽物呼ばわりばかりしてくる、理解の難しいバカ公爵。
彼の行動にきっと意味など無い。
考えるだけ無駄に違いなかった。
それよりも、である。
(……そう言えば、そうでしたね)
アザリアは思わず虚空を仰ぐ。
大聖女としての忙しさの中で、なかなか意識を向けることは出来なかったが、そうなのだ。
「……もうすぐ婚礼でしたか」
呟くと、メリルが驚いたように目を丸くしてきた。
「あら、この方は。今まで忘れていたみたいな物言いですが、さすがですねぇ。いや、
最終的には、彼女の表情にあったのはからかいの笑みだった。
アザリアは呆れの視線を返すことになる。
「貴女はまったく。どうしてそう、人をからかわないと気がすまないのでしょうかね?」
「ははは、仕方ありません。
変わらずの
「そんなわけがありません。私みたいな田舎の小娘がですよ? それがまさか、殿下の……本当にまさかですね。私があの方の婚約者ですか……」
不意にである。
胸が締め付けられるような感覚に襲われることになった。
原因は緊張だ。
アザリアは思わず深呼吸をし、だがその緊張感から解き放たれることは無かった。
当然である。
相手が相手なのだ。
結婚相手は、いずれこの国の王となる人物なのだ。
(何故、私などが……)
そんな疑問の思いが去来するが、これについては明確な答えがあった。
大聖女である。
この一言に尽きた。
聖女の筆頭としての活躍が現国王の目に留まったからだ。
もちろんのこと、分不相応な婚姻であった。
聖女としての働きには自信はあるが、しょせんは農村出身の小娘である。
重かった。
聖女としてだけでは無く、王妃としてこの国を支えなければならない。
想像もつかないほどの重責だった。
平然としていられるわけがなかった。
だが、不意に緊張は消えた。
『彼』の顔が頭に浮かんだからだった。
アザリアは笑みと共にひとつ頷く。
「まぁ……なんとかなるはずです。あの方……殿下がお相手なのですから。きっと支えて下さいます」
すると、メリルだった。
彼女は優しげな笑みと共に頷きを返してきた。
「はい。そうですね。きっと支えて下さるでしょう。ただ……ふふ。ずいぶん良い表情をされてますねぇ? 本当に聖女さまは殿下に心底心を掴まれていらっしゃるようで」
結局である。
真面目な気配があったかと思えば、結局いつも通りのメリルであった。
ただ、アザリアはと言えば、彼女に対しいつも通りに呆れを向けることは出来なかった。
あまり赤面出来なかった自信は無い。
何かしらを誤魔化すように、「ごほん」と咳払いをすることになる。
「あー、うん。メリル? 殿下を話題にして、妙なことを言わないように」
「あはは、良いじゃありませんか。ただの事実ですし」
アザリアはむっと彼女をにらみつけることになる。
事実だなんだは関係ないのだった。
かなりのところ気恥ずかしく、あまり話題にして欲しくは無いのである。
しかし、この件は余人の興味を引かずにいられるものでは無いらしい。
年頃は10もそこそこか。
農村の少女が、目を輝かせてアザリアを見上げてくる。
「聖女さま。でんかはどんなおかたですか? かっこいいですか? おやさしいですか?」
アザリアは「うっ」だった。
なにぶん、いたいけな少女の問いかけなのだ。
周囲の農民たちの視線は気になるが、無視は出来ない。
戸惑った末に口を開くことになった。
「そ、そうですね。はい、素敵なお方です。端正なお顔立ちですし、笑みも優しくて……あ、もちろん、人となりもです。お優しい方で、あのご身分で気配りもされる方で……」
なんとか要望に応えるのだが、その様子が彼女にはどう映ったのか?
メリルはニヤニヤとして目を細めてきた。
「聖女さまは素直な方ですねー。お顔、なかなかのニヤケ具合ですよ?」
気がつけばである。
周囲の農民たちは、ほほ笑ましいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
もう気恥ずかしいどころではなかった。
隠しきれず赤面してうつむくと、メリルの愉快げな笑い声が響いた。
「はははは。本当、聖女さまは心底殿下に惚れていらっしゃるようで。まぁ、当然でしょうか。先日などは、えーと、そうでしたね。殿下は聖女さまのために薬湯などを」
うつむきつつ、アザリアは思い出す。
彼女の言う通りそんなが出来事があったのだ。
聖女としての活動でアザリアは日々忙しくしている。王子と会えるのは年に数回も無いのだが、その時のことであった。
アザリアの疲労を心配した王子は、王家に伝わるものだと薬湯を用意してくれたのだ。
「……ふーむ、それはまた、素晴らしいお心配りですなぁ」
農民の一人が感心を示したが、アザリアもまったく同感だった。
思わず頷きを見せる。
「は、はい。正直、
少し喋りすぎたような気もしたが、からかいの言葉は誰からも上がらなかった。
周囲からは、ただただ笑みがこぼれた。
「聖女さまがお幸せのようで、我々も嬉しいです」
「おめでとうございます」
「本当におめでとうございます、お幸せに」
その祝福の言葉に、アザリアは気恥ずかしさを忘れた。
笑みと共に彼らに頭を下げる。
そして、思う。
(そうです。きっと、そうなれます)
根拠は無くとも信じられた。
この先、思ってもみなかったような苦労があることは間違いない。
だが、それはきっと乗り越えられる。
自分は聖女として、『彼』の妻として幸せになれる。
そう疑いなく思えた。
◆
そうして一週間が経った。
別の農村に滞在していたアザリアの元に王宮からの使者が来た。
──さも聖女としての力があるかのように振る舞い、スザン王家を欺き、その名誉に多大な傷をつけた。
よって、王都に連行する。
使者はアザリアにそう告げてきた。
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