7:……無事?

 死にたくはなかった。


 人々に尽くすべき聖女としての義務感もある。

 ハルートとの明るい未来への未練もある。

 レドへの復讐心も当然ある。


 だからこそ、まぶたの裏にほのかな明るさを感じ、アザリアは心から安堵した。


(良かった……)


 自分は死んではいない。

 打ち殺される結果には至ってはいない。


 しかし、である。

 

 目を開けて生を実感することはためらわれた。

 仮に、視界に飛び込んできたものが牢獄ろうごくの石壁だとすればどうか?

 その時点で自分の運命は決まったも当然なのだ。


(ここはどこでしょうか?)


 不安の思いと共に外にへと感覚を向ける。

 初めに意識に上ったのは匂いだ。

 初春を思わせる、どこか爽やかな緑の匂い。

 森のものだと思えた。

 耳をすませば、風や小鳥のざわめきも聞こえてくる。


(……牢屋では無い?)


 だとしたら幸いだった。

 だが、あの状況から牢屋以外にたどり着くことなどあるのだろうか?

 さらには、ここは屋内だとも思えないがどんな状況なのか?

 森のただ中に寝かされてでもいるのだろうか?

 

 疑問は尽きなかったが、いつまでも目を閉じてはいられない。

 アザリアは意を決して目を開き……大きく首をかしげることになった。


(……はい?)


 そこは森だった。

 早朝だろう初春の森だ。

 明るい森であり、気持ちの良い風が吹き抜けている。

 そこは良いのだった。

 森であることは予想の範囲内であり、そこは良い。


 問題は視界にある。

 森の見え方にある。


(えーと?)


 普段の森の見え方とはまるで違っていた。

 前を向けば、そこには幹が立ち並び、見上げれば枝葉の緑と木漏れ日が目に入ってくる。

 それがアザリアの知る森の見え方である。

 

 しかし、今は違う。


 見上げるまでもなく、目の高さに枝葉の緑が広がっている。

 そして、見下ろすところに幹の根本と、雑草にまみれた地面が広がっている。


 自分は木の枝の上にでも寝かされていたのだろうか?


 不思議な状況だと思うのだが、それ以上に不思議なことがあることにアザリアは気づいた。


 自らの隣を凝視することになる。


 そこには枝葉の一枚があった。

 なんでも無いような木の葉であるが、問題はその大きさである。


(……なんと言いますか)


 大きい。

 そうとしか言えなかった。

 どう見てもそれは大きすぎた。

 地面に敷けば、寝床として利用出来かねない大きさである。


 周囲を見渡すと、全てがそのような様子だった。

 葉も枝も、そして幹も。

 巨大であり、重厚だ。

 石造りの見張り塔や灯台が、おもちゃのように思えるほどである。

 

 アザリアは天を仰いで考えることになる。

 何かがおかしい気がする。

 そもそもだが、自身の感覚がおかしいのだった。

 いつもの感覚とはまるで違う。

 どうにもだが、手先に指の感覚が無い気がする。

 一方で、全身には妙に安堵感のある暖かみがある。

 

 首の感覚もおかしい。

 やけに回る。

 無理せず背後まで視線を向けられ、さらにその結果の視界もおかしい。

 自身の背中が見られるのだが、そこにあるのは……


(羽?)


 黒っぽい羽がキレイに並んでいるように見えた。

 何気なく、自身の足元を見下ろしてみる。

 そこにあるのは足だった。

 やけに細く、指は四本。

 小さな無数の鱗で覆われており、それぞれの指の先には先が鍵状になった鋭い爪が伸びている。


 不意に、アザリアはびくりと身をすくませることになる。

 バサバサバサ、と近くでけたたましい物音が響いたのだ。

 音の先を追うと、ちょうど数羽の野鳥が飛び立つところだった。

 飛び去る彼らの姿は非常に印象的だった。

 その羽並み、その足の形。

 非常に見覚えがあった。

 アザリアは首の動く範囲の限りで、再び自身の姿を確認する。


(……なるほど?)


 一つ頷く。

 納得出来たが、しかし納得しきれない。

 アザリアはしばらくの間、ただただ呆然と空の青さを仰ぎ見ることになった。

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