21:急転(1)

 大丈夫だ。

 何も心配はいらない。

 この日々は何の問題も無く続いていく。


 実際、アザリアの願った通りに日々は過ぎていった。

 いつも通りのレドを見守り続ける日々だ。

 

 一週間が何事も無く過ぎた。

 

「おはよう」


 今日もまた、いつも通りである。

 鳥かごから暗幕としての布が外され、レドの笑みを目の前にすることが出来た。


 アザリアは安堵あんどを覚えつつに、開かれた出口からかごの外へ。

 そこでは彼の指が待っている。

 指に止まると、これもいつも通りである。

 アザリアの定位置──かごの上へと運ばれた。


「今日は暑さは遠いな。気持ち良いことでけっこうなことだが、君はどうだ?」


 窓を開きながらに、レドが機嫌良く語りかけてくる。

 アザリアも同感だった。

 先日までの暑気しょきが嘘のような、気持ちの良い朝の空気だ。


 決して頷きなどしなかったが、伝わるものがあったのかどうか。

 彼は「そうか」と笑みを深める。


「まぁ、うん。その辺りは鳥も人間も変わるまい。君もそう思っているということにしておくとするが……ふーむ」


 不意に、彼は首をかしげた。

 その意味は何なのか?

 不思議に思っていると、彼は「ふーむ」と再びうなり声を漏らした。


「そう言えばだが、君はずっと君だな?」


 第三者からすると理解は難しかったかもしれない。

 だが、アザリアには簡単に理解出来た。


(名前の話ですか)


 思い返すと確かにそうだった。

 アザリアはずっと『君』であったり『この子』としか呼ばれてこなかったのだ。


(まぁ、不都合は全くありませんでしたから)


 メリルやマウロが訪れてくることはあるが、大抵アザリアはレドと2人きりだ。

 わざわざ名前で区別する必要は無かったのである。


 ただ、季節を一つ超えて、それに変化が訪れるのかどうか。

 レドは眉間にシワを寄せて腕を組む。


「……必要は無い。必要は無いのだが、やはり無機質と言うか、愛情には欠ける印象は……うーむ」


 非常に悩ましげだったが、アザリアも少しばかり考えさせられた。

 自分は名前を欲しているのかどうか。

 彼の言う通り、理屈としては必要は無い。

 ただである。

 名付けという行為は、やはり愛情と一体であるように思えた。

 レドから名付けという形で愛情を示されるというのは……悪くはない話であるように思えるのだった。


 きっと、この日々は長く続くのだ。

 その日々を幸せに過ごす一端に、名前というのはなってくれるのかもしれない。


 期待して待つ。

 レドはしばらくうなり続け……不意に苦笑を浮かべた。


「まぁ、止めておくか」


 残念ながら、現実は期待通りにはいかないらしい。

 彼は苦笑のままでひとつ頷く。


「うむ。思いつくものは無いし、が決めるというのもな。メリルにでも愛着の湧く名前を決めてもらうとしよう」


 肯定も否定も頭には浮かばなかった。


(……え?)


 思案を深める間は無かった。

 突如として、耳に異音が届いたのだ。

 アザリアはそれに意識を向けざるを得なくなる。


(な、なに?)

 

 おそらくは足音だった。

 やたらと荒々しい響きと共に、この部屋に近づいてきている。


 レドも気づいたらしい。

 彼はわずかに首をかしげた上で、「ほぉ?」と呟いた。


「どうにも気づかれたか?」


 その言葉の意味は何だったのか?

 これにも考える時間は無い。

 扉が荒々しく開かれる。

 現れたのはマウロだった。

 隣にはメリルの姿もある。

 どちらも揃って剣呑けんのんに目を鋭くしている。

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