愛は想いであり、愛は沼である

「すぅ……すぅ……」

「結局このまま寝ちまったな……」


 男嫌いの美人で有名なクラスのマドンナは今、俺の隣で寝てるぜ?

 ……はぁくっさ、キモすぎて自分自身に大きなため息を吐きたくなり、俺は気を紛らわせるために天井に目を向けた。


『一緒に……寝てくれませんか?』


 枕を抱えて部屋に入ってきた涼香さんはそう言った。

 どうしようかと考えたものの、ジッと不安そうに見つめてくる涼香さんの姿にとてもではないが断ることが出来ず、俺は彼女の提案に頷いた。


「……なんつうか、本当に可愛い人だな。それにとても優しい人だ」


 すぐに寝た彼女だけど、それまではずっと話していた。

 内容は今までのことと今回の再婚について改めて考えたこと、そしてどこまでも妹思いの人だった。


「……由愛……いつまでも私が……守りますからぁ」


 寝言でさえも妹のことを考えている……確かに、あれだけ可愛い妹が居たら誰だって守りたくなるだろうよ。

 こんな風に妹を思う強い姉としての姿……そして俺に甘えようとしてくる姿のギャップを感じ、ついつい頭を撫でそうになって踏み止まる。


「ったく……何をしようとしてんだよ俺は」


 そうは言ったものの、甘えさせてほしいと言われて断ることが出来ないこの不思議な魅力は何だろうかと俺は真剣に考えてみる。

 もちろん隣に眠っている涼香さんが居る時点で心臓は忙しなく鼓動しているが、考え事に没頭していると恥ずかしさも遠のく気がするんだ。


「……っ……トイレ行きたくなっちまった」


 ゆっくり体を動かす。

 するとまるで起きているのかと思わせるほどにそっと涼香さんが俺のパジャマを握りしめたが、彼女が夢の中に居るのは間違いない。

 慎重に体を動かしてベッドから出ることに成功し、そのまますぐに部屋を出てトイレに向かう。


「……?」


 トイレに向かう際、左右に別れた涼香さんと由愛の部屋が配置されている。

 涼香さんの部屋の扉が開いてないのは当然なのだが、由愛の部屋が少し開いてしまっており中から明かりが漏れていた。

 トイレの明かりも点いているのでおそらく由愛が居るみたいだが……なんだこの匂いは?


「……甘い匂い?」


 由愛の部屋から漏れだす香りはあまりにも甘く、それこそ脳を痺れさせるような何かを感じさせてくる。

 甘い匂い……今までに嗅いだことのない香りだ。

 香水でもなければ消臭剤のようなものでもない……不思議なことに俺の頭はそんなものではないと何故か理解出来ていた。


「お兄ちゃん?」

「っ!?」


 中に由愛が居ないことは分かっていたが、この香りは何だろうと気になっていたのがマズかった……不思議そうに俺を見つめる由愛。

 彼女がこんなに近付くまで気付かなかったのか……?


「何か用だった?」

「いや……その、ドアが開いてたからどうしたのかなって思ったんだ」

「あ~……ふふっ、大丈夫だよトイレだから」

「そっか……まあそうだよな」


 頷くと由愛はクスクスと笑い、おやすみなさいと言って俺の傍を通る。

 その瞬間、彼女の部屋から漏れ出していた甘い香り……それが更に濃く俺の鼻を通って体の中に入り込んできた。


「お兄ちゃん? 本当に大丈夫?」

「あ、あぁ大丈夫だ! そんじゃあ俺もトイレだから!」


 情けないとは思いつつ、俺は駆け足でトイレに向かった。

 ふぅっと息を吐きながらリラックスしていたが、俺はふとそういえば由愛の顔が火照ったように赤かったことを思い出す。

 熱があって調子が悪いわけでもなく、運動した後でもない……よな? それなのにあの様子は一体なんだ?


「……まあ良いか。気にしても仕方ねえ」


 もし調子が本当に悪いなら気になるけど、受け答えはいつも通りだったしな。

 トイレを出てから手を洗い、今度はちゃんと閉まった由愛の部屋の前を通る……中で僅かに物音がするくらいで、すぐにカチッと電気を消す音が聞こえた。


「おやすみ……由愛」


 今までおやすみと伝えるのは父さんだけだったので、やっぱり別の誰かにこう言うのは本当に新鮮な気分だ。

 今は家に父さんと二人ではなく、新しい家族が増えて五人で毎日が賑やかだ。

 この温もりと騒がしさをいつまでも守っていきたい……家族が誰一人として嫌に思うことも疎外感を感じることもないようにな。


「あ……帰ってきましたぁ」

「げっ!?」


 この驚き方は流石に失礼だろ俺の馬鹿!

 部屋に戻ると目を擦りながら涼香さんが起きており、どうして勝手に居なくなったんだと言わんばかりに頬を膨らませている。

 とはいえ別に怒っているわけではなく、どちらかというと眠気の方が勝っているみたい?


「むっ!」

「……えっと」


 両腕を広げて早く来なさいと彼女は言いたいようだ。

 待たせるわけにもいかずすぐに駆け寄り、ごめんなさいと伝えて再びベッドの中に俺は戻った。


「……えへへぇ♪」


 俺の腕を抱きしめる涼香さんは気付いているだろうか……その豊満な胸元に俺の腕を挟んでいるかのような現状に。

 挟んでいるのか押し当てているのか……この際それはどうでも良い。

 心頭滅却! 心頭滅却!


「……むにゃ」

「ってもう寝たのかよ……っ!」


 本当に一瞬だけ目を覚ましたらしい……恐ろしいほどの寝付きの良さだ。

 しばらくはトイレに行くまでの緊張が戻ってきたものの、次第に涼香さんが傍に居ることに安心感を抱いたのかすぐに眠くなって目を閉じるのだった。


▽▼


「……お兄ちゃん、どうして私の部屋を見ていたの?」


 部屋の明かりを消してはいるが横になったわけでもなく、ベッドに腰かけたままある一点のみを少女は見つめている。

 その瞳の先は壁を隔てた兄の部屋――涼香も一緒に寝ていることを知っているかどうかは不明だが、彼女は十五歳とは思えない妖艶な微笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「もしかして気付かれた? あはっ♪ ちょっと恥ずかしいけど、流石にアレに気付かれたわけじゃなさそうかな?」


 薄らと差し込む月明かりは彼女の……由愛の素顔を照らし出す。

 湊が違和感を感じたように由愛の頬は赤くなっており、瞳の僅かな濡れも相まってあまりにも雰囲気は妖しい。


「助けてもらった時のことも、心配してくれたことも……全部忘れてないよ。全部が全部、私の中に刻まれてお兄ちゃんのことを強く想わせてくれる」


 由愛は想う――彼女にとっての愛おしい存在が増えたのだと。

 姉と母だけでなく、彼女の愛おしいと考える領域の中に入り込んだ湊……そして新しい父でもある義孝。

 中でもとりわけ湊の立ち位置はあまりにも由愛の心に近い。


「家族だもんね……お兄ちゃんだもんね。お姉ちゃんと一緒にずっとずっと、私の傍に居てくれるだもんね?」


 窓を通して月を見上げる。

 彼女の瞳は美しい白銀の月をしっかりと写し込むほどに、深淵のようでありながら宝石の輝きを放つ矛盾……そんな不思議な瞳の色だった。


「楽しみだなぁ……そうだよねお兄ちゃん?」


 今、彼女は湊のことしか口にしていないが認識としては家族全員に対して言ったつもりになっている。


「守ってくれる強さと頼りになる大きな背中……甘えてほしいと思わせる不思議な魅力も凄いよぉ」


 ニヤリと笑いながら由愛は胸元に手を当てた。

 ドクンドクンと強く鼓動を放つ心臓。その心臓を守る大きくて柔らかな女性の象徴に添えられた手に力が込められ、むにゅりと指を沈めていく。


「ぅん……っ♪」


 体に走る甘美な刺激に恍惚とした表情を浮かべた由愛が脳裏に抱くのは果たして誰の姿か、それはあまりにも分かりやすい。


「……お兄ちゃん♪」


 愛は想いであり、想いは愛……だが本当にそうなのだろうか?

 愛は沼であり、沼こそが愛――一度足を踏み込めば、そこからはもう自分だけで抜け出すことは出来ないのだ。

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