過去を塗り替える依存の境地

 時間の流れは早いもので放課後だ。

 いつもなら時風と一緒に遊びに出るというのが日常の一コマなんだけど、本日はそうはいかないようだ。


「湊君はこれから帰りますか?」

「……えっと」


 涼香さんがそう訊いてきたからだ。

 まだ今日は放課後にどう過ごすか決めていなかったため、俺はチラッと時風たちに目を向けた。

 時風たちは好きにしろといった顔だったので、俺は涼香さんに再び視線を向ける。


「特に決まってないけどどうしたの?」

「帰る場所は同じなので一緒に帰ろうかと思ったんです……ダメでしょうか?」

「ダメなわけがないでしょう。じゃあみんな、俺は帰るわ」


 女の子にダメかと言われて断れるわけがなかろう。

 本来であれば涼香さんと一緒に帰るあの男は何なんだって話になるだろうが、やはり家族となるとその目は極一部……まあ一部あるのが困りものだが。


「ありがとうございます!」


 嬉しそうに微笑んだ涼香さんから視線を逸らすと、バッチリ時風たちと目が合う。

 照れた俺を見てニヤニヤ笑う時風たちをキッと睨みつけるも、俺の睨みなんて彼らからすれば小動物が威嚇している風にしか見えないんだろう。


「それじゃあな湊。また明日!」

「じゃあな!」

「詳しく聞かせろよ~」


 心底楽しそうに手を振りやがって……。

 彼らが居なくなり、俺の様子に首を傾げていた涼香さんの隣に並ぶ。


「俺らも帰ろっか」

「はい♪」


 ……あれ?

 よくよく考えたら下校時間を女子と過ごすのって初めてじゃね……?

 恥ずかしいことに俺は今、高校二年になるまで彼女が居た経験はなくそこそこ仲が良い女子が居ないわけでもないが、当然ながら放課後を一緒に過ごすほどじゃない。


「どうしました?」

「……えっと」


 つまり何が言いたいかと言うと……めっちゃ緊張している。

 

「……ダサいとか思わないでくれるとありがたいんだけどさ」

「はい。思いませんよ」

「俺さ……放課後を女子と過ごすのって初めてっていうか……そもそも一緒に帰るのも初めてなんだ」

「はい……あ、緊張してるんですね?」

「……いえす」


 言い当てられ俺は頬を掻く。

 というかわざわざ口にしなくてもそのまま黙ってれば良かったじゃないか! まさか嘘を吐くというか誤魔化すのが苦手なところが如実に出てしまったああああ!!

 そんな風に照れていた俺の手を涼香さんが唐突に握りしめた。


「涼香さん……?」

「大丈夫ですよ。私だって緊張していますから」

「……涼香さんも?」


 言われてみれば……確かに涼香さんも顔が赤くなっていた。

 俺みたいに分かりやすい照れ顔というよりは可愛さが際立つ顔にドキッとしたものの、次に齎された言葉はある意味で俺の心臓を爆発させた。


「私も初めてです……湊君が私の初めての人です」


 その時、教室の中はビッグバンが発生した。

 男子も女子も涼香さんの爆弾発言に固まり、俺は呼吸するのを忘れた……それこそ心臓と脳みそが爆発したと言わんばかりに何も考える余裕がなかった。


「な、何を言ってるんだ!」

「……はっ!? 私ったら何を……えっと! そういう意味ではなくてですね!」


 いや分かってるよ……分かってるけど絶対に言い間違えたらダメなやつ!

 顔を真っ赤にして照れる涼香さんもそれはそれで珍しい姿であり、彼女の友達でもある女子たちは俺に対して親指を立てていた。


(……新しい顔を見せてくれてありがとうってか?)


 取り敢えず、この居た堪れない空気から脱するように俺たちは教室を出た。

 下駄箱を出る頃にはお互いにいつも通りに戻っており、思い出すと恥ずかしいがその程度だった。


「……お」

「あら、由愛ですね」


 涼香さんと歩いているとまた体育館の入口に由愛さんを見つけた。

 前回と違ってまだ部活は始まってないため汗を掻いてないが、友達と楽しそうに会話をしている姿を見ると少し安心する。


(良かった……あのことを気にしてる様子はなさそうだな)


 先輩に絡まれてしまったことをもしかしたら気にしてると思ったが、彼女の表情を見る限りその心配もなさそうだ。

 俺たちに気付いた由愛さんは目を丸くしたものの、すぐにヒラヒラと手を振りながら笑みを浮かべた。


「どうですか? 由愛は可愛い子でしょう?」

「そうだな……あんな子が妹になったってんだから凄いよなぁ」

「ふふっ、あの子は私にとっても自慢の妹なんです」

「それはつまり……俺も由愛さんのことを自慢の妹って言える日が来るのかな?」

「すぐに来るんじゃないですか?」


 ずっと一人っ子だった俺がそう言える日が来る……か。

 既に由愛さんに関しては可愛いや綺麗やエロい……エロいは最低だったわ。とにかく由愛さんに対してマイナスな言葉は思い浮かばない。


「あ、そうだ……なあ涼香さん」

「なんですか?」

「……由愛さんってふとした時に俺のことをお兄ちゃんって呼ぶんだけど普段は先輩じゃん?」

「そう言えばそうですね。でもあの子、私と話す時はお兄ちゃんって呼んでるんですけどね」

「……マジか」


 それは知らなかったけど、それならいずれ呼んでくれる日が来るのを待つか。

 俺と涼香さんは今まで絡みがなかった……でもこうして話は弾んでいるし、仲良くなれたという実感はある。


「……………」


 チラッと横を見ると涼香さんはやっぱり笑顔だ。

 教室で友人たちと話す笑顔と変わらないけれど、その笑顔を俺の傍で浮かべていること……家族として信頼を勝ち取れたと思って良さそうだ。


「……家に帰ったら少し良いですか?」

「え? うん全然構わないよ」

「ありがとうございます」


 今までにない真剣な様子だけど何だろうか?

 それから俺たちは特に寄り道をすることなく帰宅し、涼香さんと話をするために俺は彼女の部屋に向かった。


「用というのは簡単なことです――私と由愛が何故、男性が苦手なのかの話です」

「……俺が聞いても良いの?」

「はい――簡単に言うとストーカーです。中学生の頃、こことは違う場所に住んでいた頃の話です」

「……………」


 ストーカー……いや、男嫌いになるほどだから何かがあるとは思っていた。

 ストーカーかレイプか……そう言った類いの出来事を僅かでも想像しなかったわけじゃない。


「学校でも男子から幾度となく声を掛けられたこともありましたけど、それ以上に私と由愛を追い込んだのがストーカーだったんです。既にその人は逮捕されましたが、児童ポルノ所持などで過去に何度も逮捕された人でした」

「そう……だったのか」


 そういうので逮捕される人の報道はニュースでよくされている。

 一度の逮捕で更生する人も居ればそうでない人も居る……涼香さんの話だと付き纏われた程度で済んだってことで良いのかな?


「ふふっ、そんな深刻そうな顔をしないでください。何もされていませんから」

「そっか……」


 まあ深刻な表情になるっての。

 口元に手を当てて笑っている涼香さんだが、俺は彼女の手を見た――由愛さんの時と同じようにその手は震えており、俺は即座にその手を握りしめた。


「ありがとう話してくれて。その……ここは大丈夫だ。そんな人は居ない安全な場所だからさ」


 でも……高校生の俺には中々荷の重い話ではあった。

 父さんは……多分知ってるんだろうな。こうして家族になる以上は美穂子さんから話は聞いてるだろうし……でもそうか……そんなことがあったのか。

 涼香さんは空いている手を俺の手に重ねた。


「それから男子が声を掛けてきた時に体が震えることは何度かあったんです。何もなかったとはいえ、声を掛けられてあの悍ましい目を向けられたことを思い出してしまうんです」

「……………」

「あの時、湊君が助けてくれたことによる吊り橋効果があるのかもしれませんが……あなたに触れられても体が震えないんです」


 スッと俺の内側に入り込むように、涼香さんは俺の胸元に額を押し付けた。


「もちろんお父さんにも同じことが言えるんですけど、あんな風に咄嗟に体に触れられて大丈夫だったのは湊君が初めてだった……だからとても安心するんです」


 涼香さんは顔を上げた――少しだけ違和感を覚える瞳だったけれど、俺はすぐにそれが気にならなくなった。


「湊君の傍で安心しても良いですか? それを望んでも良いですか?」


 その問いかけに俺は強く頷いた。


「当たり前だ――同じ家族なんだから。とことん安心させまくる! まあその……正直頼りないとは思うけどね!」


 俺は笑いながらそう言ったが、家族を守るんだと強い意識が芽生えたのは確かだ。

 母さんが言っていた優しい子になりなさい、強い子になりなさいって言葉……彼女たちを守ることでそれを証明してみせよう。

 俺は涼香さんの背中を撫でながらそう誓った。








「あぁ……こんなにも嬉しい言葉をくれる……私を甘えさせてくれる……これは神様が与えてくれた奇跡なんです――絶対に離しませんから」

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