水面に映るは雌豹の美しき身体
平日は基本的に父さんの帰りは遅いものの、美穂子さんは基本的に五時過ぎには帰ってくるようで今日はそれも変わらなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい美穂子さん」
ついさっきまで涼香さんと語り明かしていたのもあって喉が渇いてしまい、リビングに降りて麦茶を飲んでいた際にちょうど美穂子さんが帰ってきたのだ。
玄関の扉が開いた音がしてひょっこり顔を出すと美穂子さんは目を丸くしたがすぐにクスッと笑い、涼香さんや由愛さんにそっくりな微笑みを見せてくれた。
「湊君が出迎えてくれるなんて嬉しいわね」
「そうですか? ちょうどリビングに居たんですよ。麦茶を飲んでて」
「そうだったの……今だと由愛はまだ帰ってないわよね? そうなると涼香と過ごしてくれたのかしら?」
「はい。帰ってからずっと喋ってました」
「まあ♪」
……ただ、涼香さんが甘えるように俺に抱き着いていたことは黙っておく。
俺としてもあんな姿を涼香さんが見せるなんて思わなくてビックリしたのもあるけれど、それ以上に過去に起きた出来事が決して小さくはない傷となって涼香さんに刻まれていることを知ったから、離れてくれとも言えなかったんだ。
「本当に仲良くなってくれたみたいで嬉しいわ。湊君と話して誠実さは分かっていたけれど、こんなに早く二人と仲良くなるとは思わなかったもの」
「……それは二人の過去のことですよね?」
「……聞いたの?」
「その話もしたんです」
「そう……」
いつまでも玄関に居るわけにもいかず、美穂子さんと共にリビングへ。
仕事帰りで疲れていると思い、もう一つコップを出して麦茶を注ぎ美穂子さんに手渡す。
「ありがとう湊君」
「いえいえ」
ググッと一気飲みをした美穂子さん……良い飲みっぷりだなぁ。
コップを置いてふぅと一息吐いた美穂子さんは、まるで昔を思い出すように口を開いた。
「ストーカー……ニュースではよく目に入ることだけど、それがまさか自分の娘にだなんて思わなかったわ」
「……………」
「涼香と由愛から後ろを付いてくる人が居る……ジッと見てくる人が居る……怖いから助けてって言われた瞬間に私はまさかと思って警察に相談したわ。幸いに話の分かる人ですぐに対応してくれたの」
「……その……実際に被害が起きてから言ってくださいとかそういう対応があるって言いますもんね」
「そうね。もしそう言われたらしつこく言ってやろうと思ったわ。だって大事な娘たちを守るためだもの」
強い人だな美穂子さんは……いや、これが本来の親の姿なんだ。
俺は男だし誰かにストーカーをされるような経験はなかったけど、それでも父さんや亡くなった母さんは俺のことを慈しんでくれた……俺と涼香さん、由愛さんはお互いに素晴らしい家族に恵まれたんだな。
「対応は早くてあの子たちに万が一があることもなかった……でも、その経験があの子たちに男性に対する苦手意識を埋め込んでしまったのよ。普段の生活に支障が出ることはなかったけれど、ふとした時に体が震えているのを知っていたから」
改めて聞くと二人にとって壮絶な過去を垣間見た気がした。
もう心配はないから大丈夫だと涼香さんは笑顔だったけど、それに安心せずより一層家族の一員として守りたいという気持ちが強くなる……もちろん由愛さんも。
「……その目、義孝さんと同じ目だわ」
「え?」
「誰かを守るために強く在ろうとする姿……私は再婚するつもりは元々なかったけれど、その瞳を見せてくれた義孝さんだから私は一緒になりたくなったの」
「へ、へぇ……」
なんか父さんのことについて話を聞くのもむず痒い気分だ。
「ふふっ、ごめんなさいね。つまり何が言いたいかと言うと、それだけ湊君が素敵だってことよ。あなただからこそあの子たちがこんなにも早く心を開いたのも納得ね」
「あまり褒めないでくださいよ」
「可愛いわねぇ。息子かぁ……良いわね!」
そう言って美穂子さんは俺の元に近付き、ギュッと抱きしめてきた。
よしよしと頭を撫でられる感覚……それは昔の、母さんにされていた時のことを思い出す。
「……母さん」
「ゆっくりで良いわ。ずっと待っているから」
「……うん」
この人……凄く優しい人だ。
俺はその後、すぐに恥ずかしくなって美穂子さんから離れたが、すっかり機嫌を良くした美穂子さんは鼻歌を口ずさみながら家事を始め、俺は涼香さんの待つ部屋に戻ろうとしたところで外を見た。
「……暗いな」
夕方も過ぎて外はそこそこ暗い。
部活をやっている由愛さんは帰りが六時過ぎくらいが普通みたいだけど、やっぱりあんな話を聞いた後だと気になってしまう。
「美穂子さん。ちょっと外行ってくる」
「分かったわ。気を付けてね」
この辺りで不審人物の目撃情報なんて数年ない……でも気になる。
父さんは心配じゃないのかって? あんな筋肉モリモリのおっさんに襲い掛かる奴が居たら逆に見てみたいもんだ。
「行ってきます」
玄関を出ると若干の肌寒い風が吹き抜ける。
俺はそのまま門を出て学校の方角に向かって歩き続けること五分程度、そのくらいの時にイヤホンを耳に刺して歩く由愛さんを見つけた。
「……え? 先輩?」
「おかえり由愛さん」
俺だと分かった瞬間、イヤホンを取って駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「いや……えっと……」
これ……過去のことを聞いたってのは伝えても良いのかな?
少し悩んだものの、変に誤魔化すことも出来ないし結局涼香さんか誰かが話すだろうと思って、俺は素直にどうして迎えに来たのかを伝えた。
「実は涼香さんと美穂子さんから昔のことを聞いたんだ」
「あ、それでなんだ」
「あぁ。それで――」
「先輩……私が心配になったんだね?」
「めっっっっっっちゃ心配になった」
「わっ、凄く溜めたね」
目を丸くした由愛さんはクスクスと笑い、そっと俺の手を握りしめて歩き出す。
「ありがとう先輩。それじゃあ帰ろ?」
何もないことは分かっていたが、こうして俺たちは無事に帰宅するのだった。
俺と由愛さんが帰宅してから程なくして父さんも帰ってきたので、先に汗を掻いて大変そうだった父さんを風呂に行かせ、その後は俺の番だ。
「上がったぞ」
「あ~い」
一旦部屋に戻って着替えを手に風呂へと向かう。
ちなみに女性と……とりわけ同年代の女子と一緒に過ごすということで、事故がないように風呂の順番は決めている。
まあ涼香さんも由愛さんも特に気にしないと言ってくれたけれど、こういうのは予め決めても損はないからな。
「……ふぃ~」
シャワーを浴びながらのんびりとした声を漏らす。
風呂ってのは人間にとってベッドで横になる次くらいにリラックス出来る瞬間だと思うほど、俺はお風呂タイムが大好きだ。
さっさと体と頭を洗ってしまって湯船に浸かろうかとしたところ――脱衣所の方から音が聞こえた。
「うん……?」
なんだ……? 誰か入ってきた……? 父さんか? 美穂子さんか?
「先輩、お湯加減はどうかな?」
「……由愛さん?」
何で由愛さんが……?
まあ裸を見られたわけじゃないので慌ててはいるがそこまで……俺は彼女の言葉に従うように湯船の温度を再度確かめ、最高に良い湯加減だと伝えた。
「まだ入ってないんだ?」
「今から体とか洗うところ」
「ふ~ん。ならちょうど良かったよ――私が背中を流してあげる」
「……うえっ!?」
ま、待て……今彼女はなんと言った!?
ギョッとするように戸に目を向けると、黒く動くシルエットが服を脱ぐ動作をしていく……俺の困惑を他所にそのシルエットは手を戸に当て、そのままガラガラっと音を立てて姿を見せた。
「心配させたお詫びと、迎えに来てくれたお礼をしてあげるね♪」
体にバスタオルを巻いた由愛さんはニコッと微笑んで俺を見つめる。
俺は口をパクパクと動かしながら彼女をジッと見つめてしまい、当然のことを口にするのだった。
「な、何を考えて――」
しかし、途中で口を封じられた。
「しーっ、静かにしてね先輩」
俺の口に手を当てて由愛さんが塞いだからだ。
……おいおいおい!
本当に何を考えているんだ彼女は!!
【あとがき】
もし面白いと思っていただけたら評価等、よろしくお願いします!
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