時として嗅覚は全ての感覚を支配する

(学校……あ、今日は土曜日か)


 目を開けてすぐに俺は今日が休日であることを思い出す。

 それならまだ全然ゆっくり出来るなと思ったが……なあ湊。そろそろ現実を見たらどうだ?


「すぅ……お姉ちゃん……」

「……自分、お兄ちゃんです由愛さんや」


 思いっきり体を押し付けるように抱き着き、更に足まで絡ませて密着しているのが由愛という状況だ。

 男であるならばこの状況に緊張とドキドキは止まないはずなのに、あまりにも現実味がないほどにエロ……じゃなくて、ヤバい状況なので逆に冷静になれた。


「確か昨日……あれ? どうしてこうなったんだっけか」


 徐々に思い出していく……そうだ。

 俺は確か嫌な夢を見て……それで汗をベッタリ掻いて……扉を開けたら由愛がそこに立っていたんだ。


『おいで、お兄ちゃん』


 ……恐ろしい。

 今ならそう思える……だってそうだろう? 困惑も何もかもを押し退け、両腕を広げた彼女の誘いを一切断れなかった……断ろうともしなかったんだ。

 甘い蜜に誘われるかのように、俺は由愛の温もりを求めた。


「この姉妹は凄いな……そんな彼女たちと仲良くなれたのはもちろんだけど、こんな風に気に掛けてもらえることが嬉しいんだもんな」


 でも……こんな風に一緒に寝たりするのは普通なのか?

 いやいやそんなことあるわけないだろうと思いつつも、そもそも兄妹が居たことないしわざわざ友人にそんな質問をすることもない。


「はれ……? お兄ちゃん?」

「っ!?」


 俺は即座に目を閉じた。

 呼吸さえも寝ているんだと思わせるようにすると、由愛は俺が寝ていると思ったのかそっと体を離した。

 スッと離れた温もりと柔らかさを残念に思ったが、耳元で由愛が囁くと同時に俺の手を握りしめた。


「お兄ちゃん……寝てるんだよね?」

「……………」


 寝ています……寝ていますから誤魔化されてくれ。

 まあ別に彼女が寝ている隙に忍び込んだわけでもなく、由愛に誘われる形だったので俺は悪くないとそう思わせてくれ!


「……寝てるっぽいね」


 そうです俺は寝ています。

 そうしてジッとしていた俺の握りしめられた手がどこかへと誘われ……え?


「あはっ♪」


 あざとい声が聞こえてドキッとしたが、それ以上に手の平に伝わる感触がマズい。

 直接肌に触れている感触と、ちょうどの手の平の真ん中にある僅かな硬さ……それを理解した時、俺は目を開けてしまったんだ。


「……………」

「おはようお兄ちゃん?」

「……何を」


 やっぱり、俺の手は彼女の胸に当てられていた。

 胸元のボタンを外して谷間を露出させ、俺の手をパジャマの中に潜り込ませるような形になっている。


「やっぱり起きてたね?」

「……うん……あの?」

「スマホのアプリ漫画で読んだことあるんだけど、こうされるの男の子は大好きじゃないの?」


 いやそれは大好きですけども!? というか今まで彼女なんて居なかったからこういうことをしたのも初めてですけど!?

 言葉を発せず静かになった俺を満足そうに見下ろす由愛はようやく手を離してくれた。


「お兄ちゃん、昨日のこと覚えてる?」

「昨日のこと? 由愛に誘われて部屋に入ったこと?」

「うん。私も直前まで寝てたんだよ? でもちょっと不安になって……それで起きてお兄ちゃんの部屋に行こうとしたらって感じ」

「……そうだったのか」

「えへへ、私たち惹かれ合っちゃうねぇ♪」


 惹かれ合う……確かにそうかもしれない。

 もちろんこの惹かれ合うというのは甘酸っぱい意味ではなく、単純に家族の心の機微に気付いたという意味だろう。

 ……まあそれでも由愛さんは少し俺のことを受け入れ過ぎという気もしないでもないが。


「由愛~。入りますよ?」

「お姉ちゃん?」

「っ!?」


 コンコンとノックがされてから涼香が部屋に入ってきた。

 涼香はベッドの上で見つめ合う俺たちを見てポカンとしたが、俺としてはパジャマのはだけた由愛という構図が非常にマズいと焦った。


「おはようお姉ちゃん」

「……あ、そういうことですか」


 納得したように涼香は微笑んだ。

 由愛も全く慌てた様子を見せることなく、何でもない風にその豊かな胸の前のボタンを留めて収めていく。


「湊君と一緒に寝るのはどうでしたか?」

「最高かも! なんというか……全然寂しくならないから」

「そうなんですよ! 私も同じ気持ちです――これで由愛とこの気持ちを共有できますね!」

「うん!」


 ピタッと抱き合う姉妹仲を見せ付けられた気分だけど目の保養には違いない。

 涼香が部屋に来たのは朝食の準備が出来たからとのことで、俺と由愛もすぐに降りることに。


「そういえばお兄ちゃん?」

「うん?」

「いっぱい汗を掻いたお兄ちゃん凄かったよ?」


 汗を掻いた俺が凄かった……その言葉を聞いて即座に頭を下げた。

 自分の匂いが臭いと思いたくはないが、基本的に汗の臭いが良い香りだと思ったことはないからである。

 ただ……謝罪をした俺に対する由愛の返事は予想外のもので俺の目を丸くさせる。


「どうして謝るの? 凄く良い匂いだったけど……」

「……へ?」


 決しておかしなことは言っていないと言わんばかりに、由愛はそのまま一階へと降りて行った。

 すんすんと自分の体の匂いを嗅いでみる。

 流石長年付き合った自分自身の体臭だ全く臭いとも良い匂いとも思わない。


「由愛……大丈夫か?」


 これを心配しだすと一緒に寝た経験のある涼香にも同じことが言えるのだが、流石に昨晩ほど汗を掻いてはいなかったので……いや、でもやっぱり自分の体臭が他人にどう思われるのかは気になるな。


「……ま、嫌に思われてないならいっか」


 俺は考えることを止めた。


▽▼


 土曜日とはいえ部活動に参加する由愛は休みにはならない。

 朝食を済ませてからすぐに家を出て行った後、残された俺たちはというと適当に時間を過ごしている。

 父さんは仕事で家を空けているが、涼香は美穂子さんとリビングで家族の団欒を楽しんでいた。

 そんな中、俺は一人家を出てランニングだ。


「由愛を見てると運動したくなったんだよなぁ」


 身近でスポーツに打ち込んでいる人が居ると、俺もちょっと運動をしてみたくなったんだ。

 そろそろ夏が到来するわけだし、そんなに出来ないとはいえ運動をして体力を付けておくに越したことはないだろうから。


「……うん?」


 近くの公園まで走ったところで涼香から電話が掛かった。

 どうしたんだろうと思って出ると、部屋に行った際に俺が居なかったので連絡をしてきたようだ。


「あ、そうかごめん。どこかに行くか伝えれば良かったよ」

『いえ、気になってしまっただけですから。どこかに用事だったんですか?』

「ランニングだよ。由愛を見てたら俺もちょっと運動したくなってさ」

『そうだったんですね。もう薄情ですよ湊君! どうして誘ってくれないんです?』

「……逆に良いの?」

『もちろんですよ。今どこに居るんですか? すぐに着替えて向かいますね』


 近所の公園だと伝えて通話を終えた。

 涼香は別に運動をする必要はなさそうだけど……まあ健康を求めるならどんな体型でも関係はないか確かに。

 しばらく待っていると俺と同じように運動着を涼香が現れた。


「お待たせしました湊君♪」


 長い黒髪をポニーテールにした涼香を見るのは結構新鮮な気がする。

 学校でも見てたっけ? 体育をしている女子を一生懸命見るような趣味もないのでもしかしたら見落としているだけか?


「それじゃあランニングしましょうか」

「おうよ」


 それから一旦休むことなく俺たちは走り続けた。

 雲一つない晴天だからこそ太陽の光が容赦なく俺たちを照り付けるが、それでも多くの汗を流しながら俺たちは足を止めない。


「っ……ふぅ……ふぅ!」

「よし、そろそろ休憩しよう」

「あ、はいぃ……」


 俺も疲れてはいたが涼香の息が荒くなった段階で休憩を取ることにした。

 自販機で飲み物を買って一息吐いた時、チラッと隣を見れば汗を大量に流す涼香がやっぱり新鮮だ。


(汗で髪の毛が張りついてる……色気が凄いな)


 なんて、こういう時にそれを思うのはどうなんだよって話だ。

 そんな風に気を散らした罰だったんだろう――何故か手に持っていた飲み物を落としかけてしまい、その拍子に思いっきり涼香の方へと体を倒す。


「あっぶ!? ごめん涼香」

「い、いえ……ふぁ」


 何とか押し倒すようなことはなく、彼女の目の前で体を止めることに成功した。

 だけどどうして涼香の息が少し荒いというか、目を潤ませて鼻を鳴らしている様子に俺は首を傾げていた。

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