小さなアクシデントがスイッチを押す

「ふんふんふ~ん♪」

「ご機嫌だな?」

「はい。家族揃っての外食というのはいつだって楽しいものですよ。今日に関しては尚更ですね」

「……だな」


 時刻は五時半ということで、既に放課後にしても遅い時間だ。

 俺たちは家に帰ったわけではなくまだ学校に居る――部活動に勤しむ由愛を待っているためだ。


「由愛!」

「うん! 任せて!」


 ダンダンとボールがバウンドする音が響き、キュッキュとシューズを踏みしめる音も同時に響く。

 そこに加わる部活動ならでは掛け声……ちょっと調子の良い言葉で表すならシンフォニーってやつだろうか……いや変に慣れない表現はやめておこう恥を掻くから。


「俺たち、目立ってるね?」

「ですね。普段はこうして見学なんてしませんから」


 体育館の入口に立つようにして俺たちは由愛を見守っている。

 男女それぞれ体育館を半分に切るようにして別れて部活動をしているのだが……そのほとんどの視線が突き刺さるという何とも言えない空間だ。


(俺たちは……いや、なんで俺を睨む視線があるんだよ)


 いくつか……正確には男子の方から突き刺さる視線がある。

 なんで俺を睨むんだと言いたくなったが、なんとなくその理由には気付いているので変に睨み返したりはしない。


「後はお願い由愛!」

「うん!!」


 味方からパスをもらい、その勢いを殺すことなく由愛はゴール下に潜り込んだ。

 由愛に追いつきゴールを守るのは二人……だが由愛はその間を華麗に掻い潜るようにしてボールを浮かせ、そのボールは綺麗にゴールへ吸い込まれた。

 そこでちょうどブザーが鳴り、部活メンバーによる紅白戦は終わって由愛たちのチームが大差で勝利した。


「こうしてバスケをしている由愛を見たのは初めてだけど……」

「凄いでしょう?」

「……あぁ。なんつうかめっちゃかっこいいな」


 セミロングの髪を結ぶだけでも印象が変わるが、それ以上に汗を掻きながら一生懸命に体を動かす彼女は凄かった。

 中学生の頃には全国大会に出場した経験があるらしく、それだけでも由愛の凄さが窺え知れたし、チームメンバーたちもそんな由愛をエースとして頼りにしている様子も見て取れる。


「あ……」

「あら、あの子ったら」


 紅白戦が終わったことで後はもう簡単にストレッチをして終わりのはずだ。

 由愛は見学している俺たちの方に視線を向け、あまりにも分かりやすく手を振ってアピールしてくる。

 彼女に手を振り返すと、もっと嬉しそうにしたので自然とこちらも笑みが零れる。


「私は中学の頃から特にやりたいことがなかったので部活をしてないんですけど、湊君は何か理由があるんですか?」

「あ~……いや特にないな。俺もやりたいことがなかった」


 これは嘘じゃないけど、一番は早めに家に帰って父さんの負担を減らしたかった。

 やれることは風呂掃除や家の掃除だったりだけど、昔からやってて父さんに礼を言われるのが好きだったというのが大きい。


「あ、また何か優しいことを考えてますね?」

「え……?」


 スッと涼香が俺の顔を覗き込み、こう言葉を続けた。


「湊君と家族になって一週間……大分表情が分かるようになりましたね。今の湊君はたぶん……家族のこと、とりわけお父さんのことを考えていたのでは?」

「……凄いな涼香は」


 言い当てられたことに俺は驚いたが、この一週間で涼香は勘が鋭いことも分かっていたのである意味……俺が分かりやすかったのかこの場合は。


「いずれは……いいえ、出来るだけすぐにその表情を浮かべる条件の中に私たちも入ってみせますから」

「……あはは、そっか。もう十分入ってるとは思うんだけどな」


 そう言って涼香と笑い合った時だ――由愛の声が聞こえた。


「お兄ちゃん!」


 その声は確かに俺に届き、そして瞬間的に何かが迫っていることを知らせた。

 自分でもびっくりするほどに、どうしてそんな風に体が動いたんだと思わせてくるほどに――俺はスッと腕を上げてガードするように力を入れる。


「っ……」


 バシッと、腕にバスケットボールが当たった。

 突然のことに驚き、腕に響くジンジンとした痛みすらも忘れるほど……おまけに反射的に涼香を庇うように片手で彼女を抱きしめていたみたいだが、そっちの方が気になってしまいすぐに離れる。


「ごめん涼香」

「いえ……今のは――」


 涼香の視線の先に居るのは一つ上の先輩のバスケ部員だ。

 結構な勢いで飛んできた今のボール……これがワザとか偶然なのか、どちらにせよ危ないことに変わりはない。

 ただ思った以上に涼香と由愛がそれぞれ睨みつけているのもあってか、先輩はそそくさとその場から居なくなってしまった。


「大丈夫ですか湊君」

「お兄ちゃん大丈夫?」


 由愛も走り寄ってきて心配してくれた。

 特に怪我もしてないので大丈夫だと伝え、二人にはどうにか安心してもらう――ただやっぱり、分かりやすいほどに嫉妬というか嫌な風に思われるんだなと俺はため息を吐く。


「あいつ、嫌な先輩だよ。練習してる時に結構視線感じるし、友達を利用して呼び出そうとしてくるし」

「困りますね。まあ姉としてはあなたがそういう誘いに断固として乗らないので心配はしてないのですが」

「もちろんだよ。ウザいだけ」


 おぉ……こんな風に嫌がる由愛は初めて見たぞ。

 ちっと舌打ちまでしたしよっぽどあの先輩が由愛は嫌いらしい……まあ俺が好き勝手言える立場じゃないけど、あんな形で誰かを害そうとしてくるのは俺としても絶対に好きになれない。


「もし涼香にぶつかってたらどうしてくれたんだろうな……突っかかってたかも」

「……ふふっ」

「そうだね! 私だって思いっきり蹴り入れてたよ!」


 なら俺は思いっきりケツを蹴り上げてやろうかなと笑った。

 これにて練習は終了し一足先に俺と涼香は外に出て由愛を待つ……しばらくすると急ぐように由愛が走ってきた。


「ごめん! おまた――あっ」


 急いで足元が留守になっていたようで由愛は僅かな段差に躓く。

 幸いに距離が近いこともあって俺はすぐに彼女を支えるように駆け寄り、男の俺とは違う華奢な体を受け止めた……のだが、ここで俺に戦慄が走る。


「っ!?」


 受け止めた片手の位置が悪かった……手の平に伝わる圧倒的なボリュームと柔らかさに意識が固定される。

 この手の平にある物が何であるか、それに気付いたからこそ離れようとしたのに俺は何故か……少しだけ強く、指に力を込めてしまったんだ。


「ぅん……♪」


 すぐ近くで聞こえた艶めかしい声にようやく俺は体を離す。

 由愛は……由愛はどんな反応をするのか怖かったけれど、彼女は決して俺に対して怒るようなことはなかったのだった。


「ありがとうお兄ちゃん。助かったよ♪」

「お、おう!」

「全くもう。ちゃんと足元は見ないとですよ由愛」

「分かってるよお姉ちゃん」


 ……ふぅ、取り敢えず安心して良さそうだ。

 先程のアクシデントがあったことを感じさせない由愛さんの様子に感謝しつつ、家に帰ってから俺たちは車で出発する。


「息子が女の子に囲まれているのを見るのはやっぱり新鮮だな!」

「うふふ。それだけ慕われている証拠ですよあなた」

「あなた……ははっ、良い響きだな!」


 夫婦でイチャイチャする二人だが、俺たち子供組は後ろに三人で座っている。

 父さんと美穂子さんが微笑ましそうに言ったように、俺を挟むように二人が座っているのだが……ガッチリと肩と肩がぶつかっている。


「みんなでの焼肉、とても楽しみです」

「そうだね。いっぱい食べちゃおっと!」


 ……なんというか、一人で気まずく照れているのか馬鹿馬鹿しく思える。

 一旦深呼吸をした後、俺はいつもの調子を取り戻そうとしたその時だった――ボソッと由愛が囁く。


「お兄ちゃん――私のおっぱい、柔らかかった?」

「っ!?」


 ニヤリと笑った由愛さんは悪戯が成功したような顔だったが……その後に続いた言葉を俺は決して実際に口にされた言葉とは思っていない――だってあり得ない言葉だからだ。

 ただ……焼肉はとても美味しかったとだけ言っておく。

 気になることはあったけど途中からはいつもの調子に戻れたからだ。







『甘えたいの? お兄ちゃんならどんな風に甘えさせてあげるよ――それこそさっきみたいに触っても良いんだよ?』

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