絡みつく透明な鎖は夢幻の産物か
「おはよう湊君」
「あ、おはようございます美穂子さん」
月曜日、平日の始まりだ。
起きてすぐにリビングに降りると、既に美穂子さんが朝食の準備をしており、父さんもウトウトしながら手伝っていた。
「父さん眠たそうだな?」
「……あぁ。だが久しぶりにこんなにも嬉しい朝だなと思ってるよ」
「あ~」
朝起きたら誰かが待ってるんだもんなぁ……今までの父さんを見ていると俺もどこか感慨深い気持ちになる。
「おはよ~」
少しだけ眠たそうな声を出しながら俺の後に現れたのは由愛さんだ。
いつも朝食を済ませてから俺は着替えをしたりするのだが、由愛さんは既に着替えを終えておりキッチリとしている。
(……改めて見たけど破壊力がヤバいな)
衣替えを終え、上着がないだけでその抜群の体のラインが見えている。
普段から教室で見る涼香さんも同じではある……ただ派手というか、少しギャルのような見た目の由愛さんだからこそその妖艶さが際立っていた。
「っ……」
ついつい視線を逸らしてしまうのも仕方のないことだ。
照れている俺をこの場に居る誰も気付いておらず、父さんに至っては娘という存在が出来たことが嬉しいのか完全に親馬鹿目線でしかない。
「おはよう由愛ちゃん。今日も可愛いな!」
「ありがとう……えっと、父さん」
お、由愛さんはもう父さんって呼べるのか……。
俺はまだ美穂子さんのことを母さんと呼ぶことが出来ていない……別に呼びたくないわけじゃないけど恥ずかしいというか難しいというか。
「って由愛さんは起きたけど涼香さんはまだなのか」
「そだね。昨日は珍しく早く起きてたけど、お姉ちゃんって結構寝ちゃうタイプなんだよ」
「そうだったんだ」
「学校だとかだとしっかりしてるでしょ? でも家だとお姉ちゃんは……その、割とダメな部分が多いんだよね」
「へぇ……」
あの涼香さんが?
学校ではあんなにしっかりしているのに家ではダメな部分が多い……まあこっちの家に来てまだ二日程度しか経ってないから俺が知らないだけなんだろうが、それにしてもあまり想像出来ない姿だ。
「試しに先輩が起こしてみてよ」
「え!?」
「あら、良いじゃない。頼めるかしら湊君?」
「……………」
いや、流石に寝起きの女性の部屋に入るのはマズいのでは……?
由愛さんと美穂子さんに提案された時点で、これは間違いなく二人からの信頼を勝ち得ている証ではある……でもやっぱり素直に足は動かなかった。
「先輩、大丈夫だから行ってみて」
「……マジで?」
「うん。お姉ちゃんのことだし絶対に大丈夫」
ニコッと微笑んだ由愛さんは俺の背中を軽く叩いた。
それが後押しになったかのように俺はリビングから出た後、真っ直ぐに涼香さんの部屋へと向かう。
「……いつも居たはずの家なのに、なんでこうも緊張してるんだろ」
一昨日くらいにも似たようなことを考えた気がする。
頼まれた以上は目的を遂行しなければならないと自分を奮い立たせ、俺はかつて空き部屋だったその部屋の前に立つ。
「……よし」
意を決するように、俺はノックをした。
コンコンと音を立てて涼香さんと呼び掛ける……反応は何も無しで、数秒待ってみたが中から物音がするような気配もない。
「……行くか」
ガチャッと音を立てて中に入る。
静かな部屋の中、ベッドの上で眠っているのは美しいお姫様……ってアホなことを考えつつ、俺はそっと近付いていく。
「すぅ……すぅ……」
規則正しく寝息を立てる涼香さんの肩に手を置き、トントンと優しく叩いた。
「……う~ん?」
薄らと目を開けた涼香さんはジッと俺を見つめる。
寝ぼけ眼の涼香さんはとても可愛く、そして何より学校の誰もが見ることの出来ない特別な姿ということに若干の優越感もあった。
「涼香さん、朝だから起きてくれ」
「……………」
これ……悲鳴を上げられたりしないよな?
なんて不安を抱いていた俺だったが、その考えはすぐに驚愕に彩られるように打ち消されてしまう。
「湊君ですぅ♪」
「っ!?!?」
布団から手が伸びてきたかと思えば首の後ろに回った。
即座に離れることも出来ず、逆にこうなってしまったら涼香さんのことを考えて無理に距離を取ることも出来ない。
「うふふぅ♪」
「……………」
既に涼香さんが起き上がっている……その状態で俺の胸元に顔を押し付けていた。
まるで甘えるかのような彼女の仕草に、これが本当にあの涼香さんなのかと分からなくなるほどだ。
『もっと頼っても良いですか?』
脳裏に涼香さんの言葉が蘇る。
あんな出会いがあって仲良くなった女の子、流れで家族になった女の子だが彼女は男嫌いということで決して特定の男子と仲良くしている姿はなかった。
そんな姿を見たことがないだけでなく、女友達にさえここまで無防備に甘える姿も見たことがない……これが涼香さんの、彼女の隠されていた素顔の一つなのかな。
「涼香さん。もう朝だから……ほら、ご飯を食べて学校に行かないと」
「もう少しだけこうして居たいです……えへへ♪」
「……可愛すぎるだろ」
思わず可愛いって言っちゃったよ。
いつの間にかベッドに腰かけていたことすら忘れてしまうほどに、涼香さんの愛らしさの弾丸ミサイルを俺は全身で食らっている。
「……あれ?」
っと、そこで理性の伴った困惑の声が胸元から聞こえた。
ゆっくりと顔を上げた涼香さんの目はバッチリと開いており、ジッと俺を見つめたまま動かなくなってしまった。
「流石に遅すぎる……ってお姉ちゃんやっと起きたの?」
「あ、由愛さん……」
「……………」
どうやらかなり時間が経ったらしく由愛さんが覗きに来た。
「え……? あれ……? 湊君……?」
「……おはよう涼香さん」
そこでようやく、涼香さんは目覚めの咆哮(悲鳴)を上げるのだった。
▽▼
「……湊君。すみませんご迷惑をおかけして」
「いやいや、そんなことないから。むしろ俺的には……いや何でもない」
無事に学校に向かって家を出た後、涼香さんはとにかく謝りまくっている。
俺としては確かに試練の時ではあったものの、役得だなと思ってしまったのも嘘ではないし……むしろ嫌な時間では決してなかったのだから。
「知ってもらっておいた方が良いんじゃない? お姉ちゃんは特に朝弱いし、あんな風に甘えたがりなところもさ」
「ゆ、由愛!」
それ以上言わないでと涼香さんが由愛さんの口を抑えようとしている。
……やっぱり、姉妹仲の良さももちろんだけどこんな姿も今まで見たことはなかったな。
「……でも由愛さんか」
涼香さんのこともそれはそれで新たな発見だったけど、何故か由愛さんのことも俺はジッと見てしまう。
昨日、俺は不思議な夢を見た。
亡くなった母さんのことを考えて寂しくなってしまったからか、夢の中で甘えさせてくれる女性が現れたんだ。
『なんでも言って大丈夫だよ。甘えてね……甘えてよずっとずっと――』
蕩けるほどに甘く、雰囲気の全てで俺を包み込むあの包容力……声と姿が由愛さんにそっくりだと思ったのは……もしかして俺にそんな願望があるからか?
一つ年下の女の子にあそこまで甘えるなんて恥ずかしくて仕方ないが、確かに由愛さんのような女性に甘えてくれなんて言われた日には素直に甘えてしまいそうだ。
「先輩、遅れてるよ~」
「あ、ごめんごめん!」
遅れないように二人に追いつく。
家を出た時と同じように俺を囲む二人……当然、学校に近付けば近付くほどに俺たちに集まる視線は多くなる。
「二人は……大丈夫か? こんな風に見られて」
「気になりませんよ」
「気にならないよ」
「そ、そっか……」
やけに強く否定されて俺はたじろいだ。
あの男嫌いの二人がどうして……そもそも何故二人と俺が歩いているんだと多くの人たちが思っているはずだ。
「私と湊君のクラス、それと由愛のクラスでは説明がされるはずです。私たちが一緒に居ることに疑問を抱く人もすぐに少なくなりますよ」
「そうだね。しばらくは物珍しいだろうけど、誰も文句は言わなくなるよ」
「だから」
「だからね」
どうした……?
「離れなくて大丈夫ですよ」
「離れないからね」
かちゃりと音を立てるように、俺の四肢に鎖が絡みついたような音が聞こえた。
鎖……? 馬鹿を言うんじゃない。
今の音はきっと気のせいだと俺は思う……だってそうだろう?
こんなにも綺麗な二人が微笑んでいるのに……怖いだなんて思ったら彼女たちに失礼じゃないか。
「……………」
失礼……じゃないか。
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