涼香と由愛

「……ヤバい……今日の俺、なんかおかしいぞ」


 湯船に浸かりながら俺はそう呟いた。

 米沢とのやり取りから何かがおかしいとは感じていたが、帰りに涼香と一緒に歩いていた時にそれは極まってしまった。

 今まで俺は自分から彼女を抱きしめること……あったかもしれないが、放課後のように強く抱きしめたのは初めてかもしれない。


「……………」


 お湯に口を浸けてブクブクと泡立てる。

 この泡のように俺の抱いた悩みが全部、外に出て行けば良いのにと思ってもそうは上手く行かない……ただ流石に汚いなと思って顔を出し、はぁっとため息を吐いて天井を見上げた。


「……俺は……どうなっちまったんだろうな」


 別に頭がおかしくなったわけでも、狂ってしまったわけでもない。

 それでも何かがカチッとハマったような……そんな感覚があったんだ……俺は涼香に離れて行ってほしくないと思った……もちろん由愛も一緒だ。

 ……まるで独占欲が強いなと思えて嫌になる。

 こんなこと、絶対に二人は言えないと俺は自分を戒めるのだった。


「ふぅ、そろそろ上がるか」


 今日は少し早めに風呂に入ったのもあって時刻は五時半だ。

 基本的に風呂に入るのは六時を過ぎてからなので、それに比べて今日は本当に早かった。


「上がったよ」

「分かりました。それじゃあ由愛が帰るまでに私も済ませてしまいますね」

「分かった」


 まだ五時半とはさっき言ったが、だからこそ由愛はまだ帰ってきていない。

 ただ……朝食の時に今日はいつもより早く帰れるかもしれないと由愛が言っていたのを思い出し、いつもより早いとはいつなんだろうと俺は考える。


「……ったく、流石に過保護と思いつつも迎えに出る湊君なのでしたっと」


 既にパジャマだがまあ良い。

 サンダルを履いて外に出ると、沈みかけの夕陽が幻想的で綺麗だった……俺はそんな景色に少しだけ見惚れた後、家の前に出てみた。


「……あ」


 すると、普通に何事もなく歩いて由愛がこっちに向かっていた。

 これなら全然大丈夫じゃないかと俺は苦笑し、流石に以前みたいに心配になってしまったと思われるのも恥ずかしかったので、俺はすぐに回れ右をして家に戻ろうとしたが何故か背後から走る足音がドンドン近くなってくるんだ?


「まさか……」


 もしかして気付かれてた……?

 玄関を開けたままその場で待っていると、やっぱり由愛があの地点から走り出していたようだ。


「ただいま兄さん♪」

「お、おう……おかえり由愛」


 運動部のこの子にとって今の距離は大したことないようで息が上がった様子はないが、今のが気付かれていたとなるとちょっと……いや、かなり恥ずかしい。

 ずっと外に居るわけにもいかないので一緒に家の中に入る。

 すると当然のようにどうして外に居たのかを俺は聞かれた。


「……その……心配になったんだよ」

「そうなんだ♪ えへへ、それは嬉しいねぇ!」


 嬉しそうにする由愛と共にリビングへと向かうが、流石にまだ涼香は居ない。

 汗を掻いた由愛としては早いところ風呂に入りたいとは思うけれど、彼女は冷蔵庫からジュースを取り出して一服していた。


「ぷはぁ! 最高に美味しい!」

「ははっ、そうか」


 なら俺もちょっと喉が渇いたので麦茶をもらおう。

 由愛の隣で喉を潤していると、やはりさっきのことをもう少し彼女は聞いてきた。


「……ま、心配になったのは確かなんだけど……ちょっと色々あってな」

「話して、お兄ちゃん? ううん、話して楽になりなよ」

「っ……」


 優しい声で由愛はそう言った。

 その声だけでなく、俺の頭を優しく抱き留めるようにして彼女は自身の胸に誘ってきた……甘い香りだけでなく、汗の匂いも漂う胸元……それなのに不快感は一切なく逆にこれに浸りたいと思わせるいつものパターンだ。


「……実は――」


 由愛に甘えるように、俺はどうしてこんなことになったのかを教えた。

 具体的に米沢……名前は伏せ、こういうやり取りがあったんだよってことを伝えると由愛は分かりやすく舌打ちをした。


「ごめんねお兄ちゃん。そんなことでお兄ちゃんに言いがかりを付けたその人に凄くムカついちゃった」

「いや、そんな風に思ってくれて嬉しいよありがとう由愛」


 相変わらず俺の頭を撫でる優しい手……由愛はそのまま言葉を続けた。


「それは……独占欲だったりもするのかな? 私とお姉ちゃんを誰にも渡したくないっていう」

「っ……気持ち悪いだろそれは」

「そうかな? 私はそんなこと思わないよ? だって……お兄ちゃんがそんな風に思ってくれてるんだもん」

「由愛……」


 おかしい……言われている言葉は嬉しいはずなのに、この先を聞いてはダメだと何かが俺に訴えかけている。

 俺はこの気持ちを……独占欲を持って良いのか?

 俺は……二人に対してそう思っても良いのだろうか……。


「お兄ちゃん……」


 その時、由愛の雰囲気が一変した。

 俺から離れた彼女は先ほどまでの包容力ある雰囲気から、年下の女の子らしい少しばかり弱々しい雰囲気を醸し出す。


「……お兄ちゃん、守ってよずっと……私とお姉ちゃんを守ってよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は涼香にした時と同じように由愛を強く抱きしめた。

 そうだ……俺は守るんだ――家族になった二人を、何があったとしても守り続けてみせる……絶対に守ってみせるんだ。


「……ふふっ」


 胸の中で由愛が笑った気がしたが……それすらも気にはならなかった。

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