28

 青空が見える。

「喜べ、お前の物語は、今始まるんだ」

 そう言って輪郭を消していく兄に、俺は処理できない感情を覚えた。兄さんがいなきゃ喜べないだろう、と怒り。なんで兄さんが消えなきゃいけないんだ、と恨み。もっと一緒にいてくれ、と願い。何故俺は見てることしか出来ないんだ、と悔やみ。死んじゃ嫌だ、と悲しむ。その全てが同時に来るものだから、処理が追い付かないまま言葉を発することもできずに涙を流しながら首を振るだけだった。

 ようやく兄が消えてしまうことに体が追い付き、離さないように手を伸ばす。しかし現実は残酷であり、無情にも兄へと伸ばした手は空気を掴んだ。息を呑んだ瞬間に、兄はいなくなっていた。

「あ、ああ」

 兄がいた場所に縋る。誰もいない場所を求める。

 感情がごちゃ混ぜになって、嗚咽と涙が止まらなくて、もうどうしようもなくて、俺は胸の奥を掻き毟りたくなった。

 手の届かない場所が叫び、手の届かない人を想う。自分自身の無力さを文字通り痛感してもなお足りないくらいの痛く苦しい感情が溢れ続ける。

 叫ぶことすら出来ぬまま、地面に倒れる。倒れた先から見えた青空は腹立たしいくらいに澄みわたり、その青色が余計に俺を苛んだ。

 ふざけんな。ふざけんなよ神様。

 神を呪って生まれた言葉は至極単純なものだった。

「行かないでくれよ、兄さん」

 言葉は、届かない人へと紡がれて、消えた。早く言えば、兄は行かないでくれただろうか。後悔は先に立たず、またもしもは存在しない。今ある現実のみが俺の眼前に広がって、そこにいた。

 目が痛いくらいの青空が俺を見下ろしていた。

 兄の最後の困り顔が、いつまでも消えなかった。

 あんたがいなきゃ、始めれないよ。兄さん。

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いつか書いた700文字短編の集合体 くが @rentarou17

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