9

 後輩の倉井あかりと横断歩道を渡ろうとしたとき、車がブレーキをかけずに突っ込んでくるのを見た。

 その時に考えたのは倉井を守ることで、こうしようと思うよりも速く、倉井を車線上から突き飛ばした。

 後はもう一瞬で、下手な動画を見ているように過程が殆ど分からないまま体が地面に伏している。

 痛いということはなく、何だか気分が悪い。昼食を全部吐いてしまいそうだった。

「先輩っ!」

 倉井の声。呆然と瞬きをしていると、いつの間にか倉井が顔を覗き込んでいる。

「先輩っ」

「……、倉井ぃ」

「はい、倉井です、倉井あかりです! そこの人、早く救急車呼んでください! 大丈夫ですからね、先輩! すぐ救急車来ますから!」

「怪我ないか?」

 静止。倉井が止まって、俺の顔を見て大粒の涙を流し始める。泣くなよ、可愛いんだから。

「先輩、せんぱい……、ごめんなさい、先輩ぃ」

 そういえば明日は試合だっけ、とか頭の端で思ったけどどうでもよかった。

「だってさあ」

 なんでって、そんなの決まってる。

「明後日、倉井とデートじゃん」

 倉井が目を丸くした。その顔を見て、悪戯を成功させた子供のような気持ちを覚える。

「倉井が怪我したら行けないだろ」

「……先輩が怪我しても駄目ですよお」

「大丈夫だよ、倉井」

 怪我しても大丈夫だ。

「まだ終わってないから大丈夫。これからだよ」

 試合が負けてるときは、いつも俺はそう言っていたような気がする。口癖のように終わってないから、と倉井の手を握って安心させるように言った。

「デート、楽しみだな、倉井」

 水族館でクラゲを見る倉井をスマホで撮って、勝手に撮るなって怒られるから、ご飯を奢る羽目になって、倉井はいつも通りオムライスを食べて、それで。

 それで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る