第31話 わからないなら聞いてみな
駅では取り巻きが待っていた……なんてことはなく、無事に電車に乗ることができた。
史穏くんと明日のお出かけについてメッセージをやり取りしながら、いつもより幸せな気持ちで電車に揺られる。外の景色は茜色へ、やがて藍色に変わっていった。
午後五時、空はすっかり闇色になっていた。いつもより早めに自宅の最寄り駅に着いた私を、母はどこか青ざめた顔で出迎えてくれた。早退して少し早く帰るとメッセージで知らせていたので、車ですっ飛んできてくれたのだ。
そのまま病院に連れていかれそうになったのを、『寝たら治るから』となんとか断って家に帰ってもらい、階段を駆け上がると身を隠すように自分の部屋に滑り込む。
ドアを後ろ手で閉めて、部屋の明かりをつける。それから、カーテンを閉じる。
目に飛び込んでくる色に、色。まるで白い紙に自由に絵を描いたように、私の部屋にはありとあらゆる色が散らかっている。能力を使って調度を思いのままに染めた、私にとって一番安らぐ場所。
カバンをそっと下ろし、机の椅子を引いて腰掛けた。背もたれに体を預け、身体に酸素を十分に染み渡らせるように呼吸してから、私は心を決めた。
「よし」
ポケットからスマホを取り出して手に取った。小さな画面の隅に置いた連絡先のアプリから、ある人物の名前を呼び出す。
超能力者管理機構の柚木さん。【不詳】と呼ばれる能力者の管理を担当する人のひとりだ。
私にとっては子供の時からの馴染みで、遠い親戚のおじさんくらいの距離感の人。実際に会ったことがあるのは両手で数えられれるほどしかないけど、電話でなら月に数回話す機会がある。
ただ、向こうから様子伺いの電話がかかってくることはあっても、こちらからかけることは滅多にない。だから史穏くんにかける時の次くらいに緊張しながら通話ボタンをタップした。
数回のコールの後、相手につながる。するとこちらが何か言うより先に、柚木さんが話しだした。
「おやおや、草壁さんからとは珍しい……」
声を聞くだけで電話の向こうの顔が笑っているのがわかる。本当に親戚のおじさんのようで、壁を感じない。安心するというかなんというか。
「そうだ、鍵山くんとは上手くやってるかな? 話してみると面白いだろう、彼は」
けれど、鍵山くんの名前が出た瞬間に私は眉を寄せる。たとえ耳を塞いでも、何かを話そうとすると彼の『ナイショ』の声が呪いのようにこだまする。
「あ、はい。なんとか」
あの野郎、何か妙な力を隠し持ってます! ……とチクりたかったところだけど、バッチリと封じられてしまっているので言葉が濁ってしまう。クソ。
こちらは唇を噛み、舌打ちをしそうになってるなんて知るよしもなく、柚木さんは声を笑わせたまま続けた。
「ああっ。用件も聞かず申し訳ないね……わざわざ電話をくれたということは、なにか困り事でも?」
「……困り事というか、尋ねたいことがあって」
「何かな? 私に答えられることなら答えるよ」
柚木さんはまるでこちらに両腕を広げたみたいに優しい声色のまま。けれど、緊張でスマホを握る手に勝手に力が入る。私は鍵山くんにかけられた呪いに引っかからないように慎重に言葉を組み立てた。
「ウチの学校の近所に、【不詳】の人が住んでたりします?」
いまひとつピントが合ってないけれど、こう聞くのが精一杯だった。こんなのでも上手くいけば、あの男の人に繋がるかもしれないと思ったのだけども。
一瞬の間。
「……悪いねえ。個人情報だから答えられないんだよ」
柚木さんはあくまで優しいおじさんといったやんわりとした口調で、しかし役人らしくキッパリとそう言った。当然か。残念だけど仕方ない。
能力のことは個人のプライバシーに関わる。謗りの対象にもなりうる【不詳】ならばなおさらだ。私だって、自分のことをペラペラ喋られたらちょっと気分が悪い。
「ですよねえ、すみません……」
晴れた日のような水色に染めた天井を見ながら謝りつつ、ならどうしようかと考えた私はハッと気がついた。
……ちょっとまって。普通は、いないなら『いない』と答えるんじゃないだろうか。
意識してるのかどうかはわからないけれど、これはおそらく遠回しの肯定だ。私は確信を得た。鼓動がまたもや急ぎ足になって、手がじんわり汗ばんでくる。
やっぱりあの人は【不詳】と呼ばれる能力者。しかも、私も
おそらく東翔大附属の関係者だ。
……ああ、そうだ。鍵山くんも、あの謎の人物も、自分の能力が本当はなんなのかを知っている。
男の人の眼鏡の輝きが、鍵山くんの左耳に開いたピアスの輝きにピタッと重なった。
そうとわかれば。よし、週明けに鍵山くんを締め上げよう。呪いをかけてきた本人に対してなら、きっと聞けるはずだ。答えてもらえるかはわからないけれど。
私が思案を巡らせていると、柚木さんはやっと口を滑らせたことに気づいたのか、「あっ」と小さく声をあげた。
「いや、聞かなかったことにしてくれ。今は違うから」
「今はって?」
「ああ。今はもう一般人だ」
「……え、能力がなくなっちゃったってことですか?」
意外な事実だった。あっけに取られた私に言い聞かせるように、柚木さんはゆっくりと続ける。
「能力が使えなくなったと自己申告を受けて調べた結果、ね。能力喪失で登録抹消なんてよくあることだから。【不詳】には特に多い」
「へぇ……」
なんだか不穏なひと言を置かれたところで、柚木さんが呼び出しを受けたらしく通話は終わった。
私は唸りながらスマホを机の上に置いて、代わりに本立てから教科書を引き抜き、パラパラとめくりながらじっと考えた。
超能力の喪失自体は学校の座学でも学んでいる。脳が力の源である以上、肉体的、精神的なショックで一時的、または永続的に能力が弱くなったり、失われてしまうこともあると。
教科書を閉じて、胸をじっと押さえた。あらゆる測定器の手が届かない魂の奥底で、夕方の空に灯る一番星のようにこうこうと輝く青い星。私の力の源は、脳ではなくてここにある。
今までの言動から鍵山くんが、このことを私に気付かせるために動いていたのはわかった。
そして実際に気がついたのは、謎の人の声によって。だからこのふたりはつながっていると考えるのが自然だろう。
けれど、目的が今ひとつよくわからない。鍵山くんは学校ではあくまで何もできないふりをしているし、あの謎の人に至ってはおそらく、能力を失ったと嘘までついている。
本当のことを知りつつも【不詳】、もしくは【無能】というレッテルを受け入れて、これからもじっと隠れたままでいるつもりに思える。
だったら私のこともそっとしておきそうなのに、鍵山くん……たちはそうしなかった。
「
思わず口からついて出たのは、鍵山くんが発した言葉。これまた呪文のように鼓膜に焼き付いて、忘れることができない。
「私は、超能力者ではない……けど」
そもそも私に自分が何者なのかを気づかせて、一体何になると言うのだろう。少なくとも私にはなんのメリットもない。周りから虐げられてムカつきはしてたけど大したことはなかったし、私は自分の能力を好きに使って、それなりに幸せに暮らしていた。
ぐるぐると思考して、ハッと気がつく。
もしや、私が『落ちこぼれの超能力者』のままでは、あの人たちにとっては都合が悪かった?
ふと、まぶたの裏に青い炎が蘇り、首をブンブンと振る。
いけない。私はもう絶対に引きずられない。もちろん、復讐なんてバカなことは考えない。確かに取り巻きたちをギャフンと言わせたいと思ったことくらいはあるし、実際にやり返したこともあるけど、命を取ろうとまでは思ったことはない。
誰かに消えない傷をつけてしまうようなことになってしまったら、両親から、葉月から、史穏くんから。せっかくもらった愛に背いてしまうことになる。
だからこれからはなにがあっても、気を確かに持たなければ。
「目には目を、歯には歯を……」
一度にたくさんのことを考えすぎて頭痛がしてきたところで、部屋の中に遠慮がちなノックの音が響く。返事をするとドアがそっと開き、心配そうな顔の母が顔を出した。
「お夕飯は食べられそう? お雑炊にでもしたほうがいいかしら?」
「えっ」
あっけに取られた。どうしてそんなことを聞くの? と目で訴えた私を、母は心配そうに見るばかり。
あれ? 私は首を傾げたけれど、すぐに思い出す。
……そうだ、私は体調が悪いことになっていたのだった。
「色葉ちゃん?」
「ううん! もうけっこう元気。たくさんは食べられないけど、普通のご飯でいいよ」
お昼は……おばさんが作ってくれたご飯があまりにも美味しすぎて、うっかりたくさん食べてしまった。母には本当に悪いけど、夜は少なめにしないといけない。
つとめて普通に返事をしたつもりだったけど、母はどこか悲しそうに眉を下げた。
「……ねえ、心配だから今からでも病院に……まだ受付してると思うから電話して……」
ダメだ、うまく言わなければ小児科に連れて行かれてしまう。
「ああ、違う違う! 大丈夫だから。帰りに肉まん食べたからかなあ!? 晩ご飯楽しみ! あはは! あとで手伝いに行くね!!」
肉まんなんかもちろん食べてないけど、嘘は方便ってことで。テンションの高い私を見ても母は釈然としてなさそうだったけど、すごすごと部屋から去っていった。
ドアを閉めて、ため息をついて。それから、ハンガーラックに引っ掛けているワンピースへと視線を向ける。明日のために新調した一張羅が、キラキラと輝いて見えた。
私服を見せるのは初めてのこと。少しでも体を細く、可愛く見せたかった。だから一緒に買いに行った母にはわからないように、普段よりワンサイズ小さいものを選んでいる。
何とか服に合わせるために、この一週間、駅まで歩いたり、おやつを抜いたりご飯を減らしたりしてきた。今日も寝る前にエクササイズをこなさなければ。しょせんは突貫工事だと笑われそうだけど、これを足がかりに綺麗になりたいと思っている。
そう、いよいよ史穏くんとのお出かけの日だ。
「水族館かあ……何年ぶりだろ」
話し合った結果、行き先はうちから電車で二時間ほど、史穏くんの家からは車で三十分ほどで行けるらしいある市営の水族館になった。
『地味だと避けられがちだけど、イルカやペンギンもちゃんといるしけっこう楽しい。なによりこの時期なら土日でもあまり混み合っていない』と、葉月が評したのも決め手になった。人混みが苦手だという史穏くんにはもってこいの場所だった。
自分が彼氏と出かけるだけではなく、同じような友達からも情報が集まってくるらしく、葉月はデートスポットにけっこう詳しい。やっぱり持つべきものは友達だ。
「いや、デートって……デートなのかな? デートって言っていいのかな?」
慣れない言葉を声に出してしまうと、急に足元がソワソワして顔が熱くなってくる。心臓の音がうるさくて、部屋の中を無駄にウロウロした。
恐る恐る姿見を見ると、顔どころか耳まで、おまけに鏡のフレームや制服のリボンまで、しっかりと赤くなっていた。
染める私と読める君 霖しのぐ @nagame_shinogu
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